血の絆
小屋の屋根には、礫が落ちるような音が響き続いている。
強風が小屋全体を揺らしている。
「竜だ……」
国立が低い声で言う。
ビクリと反応した菊池は、思わず国立を見上げる。
「マジか……」
互いの鼓動が重なる。
「生き延びて、親戚の家に引き取られた頃からだ。ヘンなものが目の前を過るようになった」
最初は靄のようだった「ヘンなもの」は、次第にはっきりとした形になる。
それはゲームや絵本でよく見かける、ドラゴンに似ていた。
「たまに現れるそいつらは、目が合うと襲ってくる。だいたい走って逃げていたんだが……」
獣の咆哮に似た風の声。
小屋の近くに雷が落ちた。
「逃げきれず、襲われたりしてたんだけど、たまたま逃げ込んだ路地が喫煙場所だった時、アイツらは追って来なかった」
「それで、ヒロはタバコ喫うようになったのか」
「うん。だから言ったじゃん。煙吐いてるだけだって」
寒そうに肩を震わせる菊池の頬に、国立は顔を寄せる。
「俺のことコワイ? ヘン? トンデモ話だもんな」
「恐いわけじゃない。それに、此の世ならざる存在というのか、魔物みたいなものがいるってこと、否定しないよ」
否定など、菊池に出来るはずがない。
国立の特異体質を作ってしまったのは、間違いなく自分なのだから。
◇◆五年前の、あの日の後
菊池蒼は、裏十六紋と似た家紋を持つ、千年以上の歴史を有する一族の生まれである。
連綿と続く一族に課せられた使命は、国の鎮護だ。
それは天平の時代。
ある村には、毎年若い娘を選び人身御供として、湖に差し出すという慣習があった。湖に棲む毒竜を鎮めるためである。
その村の近くで修行をしていた万巻上人は、人身御供の風習に深く憤り、その毒竜と対決した。力で屈服させるのではなく、経文による説得であったという。
改心した毒竜は、人を喰らい、人を苦しめることを止め、これからは守り神になると上人に約束したのだった。宝珠や錫杖、水がめを万巻上人に手渡して。
菊池一族の祖は、万巻上人の直弟子であった。
上人からの仏法と法力を、そして毒竜が上人に渡したという宝珠と錫杖を代々受け継いでいる。
それは口伝であり、秘伝なのだ。
誰もが法力を使えるわけではない。
万巻上人の直弟子であった者の直系にのみ、与えられた力。
宝珠に秘められたのは、超人的な体力と運動能力。
錫杖は人と世に害を与える存在を排除する武器。
そしてその血を受け継ぐ者だけが、竜を認知し、使役出来る。
ゆえに、一族の婚姻は、当主が使役する竜の許可が必要となる。
許可を得ないで結婚した場合、夫婦のどちらも、生まれ出る子どもも、一族の特殊能力を失うこととなる。
しかしながらそれを忘れて、無理やり竜を使役しようとすると、竜は暴れる。
特殊能力を失ったが、元は一族ゆかりであった者は竜を呼ぶことが出来る。だが呼ばれても、契約を交わすことが出来ない者たちの言うことなど、竜は聞かない。人間の言うことを聞かない竜は危険である。すぐに理性を失い、単なる魔物となって、人間を襲うからだ。
それが「はぐれ」という存在である。
五年前、菊池が瀕死の子どもに自分の血を少量与えようとしたのも、菊池一族に流れる血の中に、強力な回復要素があることを知っていたからである。
ただし、緊急事態とはいえ、当主とその使役する竜へ許可を貰っていなかった。
次代の当主となる菊池蒼でも、許されないことであった。
よって菊池には罰が下る。
向こう十年、竜の加護による特殊能力の停止。
それまで、大人と一緒に魔物と戦うことの出来た菊池であったが、同年齢の男子よりも相当低い体力と運動能力になってしまった。
ただし、と当主の竜は言った。
「ある条件を満たせれば、自動的にお前の能力は回復す」
その条件とは……。
◇◆小屋の中
国立は素肌に一枚、シャツを羽織る。袖口から出た掌を握ったり開いたりする。
「良かった。蒼がこういう話、否定しない奴で」
苦笑する菊池。
その時、金属を強く擦る音が聞こえた。それは早晩、小屋に入ってくるだろう。
「守るから」
国立の瞳が菊池を射抜く。
「え、何」
「守るよ、お前のこと。俺が」
あの日。
血まみれの小さな掌を握った時の衝撃を、菊池は思い出す。
何かを国立に言おうとした、その時だった。
小屋のドアがベリベリ剥がれていく。
突風が二人を裂いた。
Q:竜って本当にいるんですか?
A:さあ。でも、ある山中で、空を飛んでる人は見ました。
屁で飛んだのか?
明日も更新。
間もなく完結です。