天使の呪い
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頬に当たる雨粒が痛い。
菊池と国立は走る。稲妻が雲を切る。
二人共全身ずぶ濡れになった頃、菊池は、ぽつんと建つ小屋を見つけた。
小屋には鍵もなく、這う這うの体で二人はそこに飛び込んだ。
掘っ立て小屋、といったものだろうか。
小屋の内部は剥き出しの角材とトタン、いくつかの機材と角材の切れ端が目についた。
「屋根があるだけでも良かった」
そう言いながら、国立は服を脱ぎ始め、戸惑う菊池にも促す。
「濡れたままだと体が冷えるぞ」
「……ああ」
国立は菊池に背を向けたまま、脱いだ衣類を絞る。
上半身裸の国立は、肩幅が広く背筋が綺麗だ。
同じ年でありながら、自分の華奢な体躯と違う国立を羨ましいとも思う。
菊池も同じ様に、服の水気を落とす。
ボタボタと落ちる滴は、黒い色に見えた。
「あ、あったあった」
小屋の中をあちこち見て回った国立は、隅に置いてあった一斗缶を動かす。
上の蓋は切り取られて、缶には吸殻が散らばっている。
「何かいらない紙、ある?」
訊かれた菊池は持参したノートを国立に渡す。幸い濡れていなかった。
国立は器用に紙を破り、リュックからビニール袋を取り出す。
「雨に濡れると、喫えなくなるからな」
ビニール袋には、ライターとタバコの箱が入っていた。
「不良もたまには役に立つだろ?」
笑いながら国立は、紙の切れ端にライターで火を点ける。
一斗缶に入れた紙が燃えだすと、国立は小屋の中から細い材木を集め加えていく。
橙色の炎はチロチロと揺れる。
不思議と心が落ち着くものだ。
「もっと火の側に来いよ、蒼。寒いんだろ?」
国立が身を縮ませた菊池の腕を取る。
ハッとして菊池が顔を上げると、国立の腹に走るいくつか傷が見えた。
やっぱりそうだったのだと、菊池は思う。
安堵するのため息を呑み込みながら。
国立の傷跡を目で追い、菊池は国立の視線を受けとめる。
「気になるか?」
「え、何が」
「傷」
菊池は軽く首を横に振るが、その瞬間、くらりと眩暈を起こす。
体が反応した。
禁を破った後遺症だ。
「っと、大丈夫か、蒼」
菊池は国立に抱え込まれる。
「顔色悪いもんな。じっとしてろ」
「うん」
菊池は国立の厚い胸に、顔を預けた。国立の肌の匂いがする。
互いの鼓動が重なり合う。
菊池は国立に体をあずけた。
互いに素肌で重なり合うと、熱が生じることを菊池は初めて知る。
パチパチと火の粉が上がる。
雨音はドラムの音のように断続的に鳴る。
「俺さあ」
ぽつりぽつりと国立が口を開く。
「死にかけたんだ、五年前くらいに」
菊池の喉が動く。
掠れた声で話を繋ぐ。
「それが、腹の傷?」
「ああ」
重なる鼓動は生の証。
肌に伝わる熱もまた。
「痛かった、か?」
見上げた菊池の瞳は、いつもより潤んでいる。
国立の鼓動が一瞬大きく速くなる。
そんな目で見つめられたら、都合の良い解釈をしそうだ。
「あ、いや、覚えてないんだ。気が付いたら病院で、親たちはもう死んでて。俺も、助からないと医者は思ったって」
「そうか……」
「ただ一つだけ、覚えてる」
国立の目がすうっと遠くを見る。
「天使が見えた」
「て、天使?」
「うん。黒い、真っ黒い天使だった」
「何の漫画だよ、それ」
国立は少しだけ真面目な顔つきになる。
「その天使が治癒の魔法でもかけてくれたのかと、俺思ったんだ……けど」
「けど?」
「呪いも一緒に、受けたような気がする」
山の何処かに雷が落ちた。
次話の更新は月曜夜かと。