その4
一週間後、再び高橋は同じホームセンターへと来ていた。今月は一週間に一度、計四回この店へのシフトが入っている。
最初に来た時、高橋はイケメンと一緒に急病の老人を助けた事により、店長に気に入られてしまった。『毎日でもいいから入ってほしい』とまで言われてしまったのだが、正直困った。会社を通して『申し訳ないが毎日は遠慮していただきたい』という事を遠回しに店に伝えてもらったのだった。
普通の店員なら、毎日同じ店に入るのは当たり前である。だが高橋は万引きGメン。その仕事の特殊性から、連続して同じ店へのシフトを当てるのはまずい。店員だけでなく地元の客にまで顔が割れてしまう。最初はいいだろうが、二日三日と経つ毎にだんだんやりづらくなってゆく。最後は万引き犯にまで顔が知られてしまい、『あの女が保安員だな』というように覚えられてしまうからだ。
そうなってしまったら居るだけでバレて警戒されてしまい、万引き犯の捕捉どころか、逆にわざと誤認逮捕を誘発してイタズラしてやろうという『引っ掛け』行為にも遭う確立が高くなる。引っ掛けを行う人物は悪質な事が多い。わざと誤認逮捕をさせ、侮辱罪を掲げて裁判に持ち込み、多額の賠償金を奪い取る事を目的にする。
こういった事例が多々あるために、連続して保安員を同じ店に入れる事はある意味禁じ手なのである。どんなに腕の良い保安員だとしても、世間では弱い一個人でしかない。周りが皆敵になってしまったら集団の悪意の中では生き残れないのである。
だからこうして高橋も、週に一度のペースでこのホームセンターへと入る事になった。高橋が事務所に挨拶に行くと、店長は満面の笑みで彼女を出迎えた。
「いやぁ高橋さんが来てくれると安心するよ。私も仕事に集中できるしね」
だがどこか店長は高橋の腕前だけでなく、彼女の外見も気に入っているような節があった。私服保安員としては、高橋はかなり若い。ここはホームセンターで男性客が多いために、少しでも溶け込もうと高橋は地味なジーンズを履いている。こういった店でなければレギンスの上にスカートでも履くのだが。
店長とのやり取りは苦笑して終わらせる。彼女はあくまでもここに仕事をしに来ているのだ。店長に会いに来ているわけではないのだから。
やはり平日のため、一週間前と同じように客は少ない。サンダルを履いた寝巻き姿のようなおじさんなどが、やる事も無くぶらぶらしている様子をひたすら追いかける。だが客自体の数が少ないために追いかけた相手はことごとく外れだった。
(はぁ、早く勤務時間終わんないかな)
苦痛な時間。いっその事仕事場を抜け出して昼寝でもしてしまいたくなるような、倦怠感の伴う午後三時。今追いかけているおじさんも、『ついさっき寝床から這い出してきました』と言わんばかりに寝巻き。水玉模様のどてらを羽織り、無精髭を蓄えた鼻の下をすすりながら腕を組んでぶらぶら歩いている。本当に財布も持ってきているのだろうか。何も買う気も盗る気もなく、ひたすらに時間潰しと言わんばかりに無駄な時を過ごしているようにしか見えない。
(ホント、昼間から仕事もしないでろくでもないオヤジ。まるでホームレスみたい)
たまたま今日仕事が休みだった、なら納得もいく。だが高橋が今追いかけている相手は、恐らくまともに働いていないだろうなと予想できた。普段から社会生活をしている人は、少し出かけるだけでもそれなりに外見を取り繕う常識のある人が多い。寝巻きそのままでボサボサの頭、伸び放題の髭などでは店に来ないだろう。
(こんな人しかいないんじゃ、保安員居る意味あんのかな)
その時、ふと誰かに肩を叩かれた。軽く『ぽんっ』と。
「ん?」
「や、こんな所で何してんの」
振り向いた高橋は、目と鼻の先にイケメンが居たのであまりに突然の事に動揺した。
「ちょ、ちょ、何であなたがここに」
「君こそ。いやぁ、でも奇遇だね」
一週間前と同じように、人懐っこい笑みで高橋を見つめてきた。間近で見ると、遠目以上に中性的で端正な顔付きをしていたので、思わず恥ずかしくなって真正面から見返す事が出来ずに視線の先を逸らした。
(今日も、万引きしに来たの?)
そっと心の中で呟く。だがイケメンは両手をポケットに突っ込んだまま首で店の外を向いた。
「ねぇ、ちょっと外で話でもしない?」
高橋は無意識に頷いていた。ストレスの溜まる仕事場環境のため、そろそろ休憩をしようかと考えていた所だったので丁度いい。万引き犯とあまり仲良くなるのもどうかという後ろめたさも態度で出ているが。
「あの、あなた一体ここで何してるの? この前も今日も。偶然にしちゃ……」
イケメンは足を組んで座り、視線を自らの足元に向ける。
「買い物しに来ちゃダメかい?」
澄んだ瞳を向けられ、高橋は思わず視線を逸らした。
「いえ、それなら別にいいんだけど」
万引きGメンの隣に居るのは万引き犯。だが今日はまだ何も盗った所を見てはいない。その現場を押さえなければ万引きの成立にはならない。高橋の心境は複雑なものだった。彼女は仕事に対しては真面目な性分で、基本的に手を抜く事は無い。今まででも見つけた犯人は容赦なく捕捉してきた。
歳若くして実力者と言わしめた彼女の仕事には、信頼があった。だが今回は何かが違う。高橋は心のどこかで引っかかっている。躊躇いというのか、捕捉したいのだがしたくないといったような。言葉では言い表せないモヤモヤとした感情だ。
高橋とて年頃の女だった。
「俺さ、実を言うと初めて会った時から話してみたかったんだよ――」
数日後、二人の姿は街のレストランの中にあった。普段お金の無い高橋ならば絶対にランチでは入りそうにない小洒落た中世的な店。アンティークの柱時計が印象的な店内は、振り向けば全身フォーマルの紳士が紅茶を啜っていそうな空気が漂っていた。
小さく流れるジャズは、湖面に揺蕩う常緑樹の葉のような繊細な時間を作っていた。触れたら今にも大波を立てて葉が沈んでしまいそうな。
目の前の腕時計に視線を移すのでさえ億劫になるようなゆったりとした空間の中で、二人は午後のひと時を過ごしていた。
高橋は心のどこかでいけないと思いながらも、彼の優しさに惹かれていた。彼は中性的な顔立ちそのままに温和な性格をしており、時折見せる子供のような無邪気な笑みが可愛らしい。話をすればするほどに彼の優しさが分かった。
あの日以来彼とは三回ほどデートを重ねた。オクテな高橋はこれまでも恋では遅れを取り、何度も悔しい思いをした。そのせいもあってか、高橋は万引き犯との恋愛というある意味禁断の構図に後ろめたい気持ちを持ちながらも手を出してしまっていた。
もちろん、自分の職業は教えていない。だがいつかはバレる時が来るだろう。その時彼は高橋の事をどう思うのだろうか。その時まだ彼は万引きを続けているのか。
(私、どうすればいいんだろう……)
あれから彼はホームセンターへは来なくなった。デートをしている最中に寄った店でも、不正を働いている様子は窺えない。だがもし目の前で彼が万引きをした場合、高橋はそれを咎める事が出来るかどうか。彼女自身も分からない。万引きは現行犯を認めた場合、一般人でも逮捕する事が出来る。仕事をしていない時の彼女はGメンではない。一般人と同じだ。だが逮捕できるが、気持ちの面で躊躇う可能性があった。
高橋は彼が好きになっていた。出来るものなら彼に付いているのであろう万引き癖をやめさせたかった。もし彼を捕捉してしまったら、彼との仲は間違いなく終わるであろうからだ。
犯罪者だって更生できる。高橋という彼女が出来た事で、彼の生き方が変わればそれでいい。高橋の存在によって反省する事が出来れば、高橋は一人の人間を救えた事になる。
万引き犯を捕まえ、力ずくで反省させるだけがやり方ではない。人を更生させる方法にだってそういうやり方があってもいいはずだった。むしろ大事な人が出来る事で彼が自らを昇華させられれば、もう二度と闇に手を出す事は無くなるだろう。
「ね、次はどうしようか。俺、久しぶりにボウリングでもしたいな」
パスタをフォークにくるみながら、彼は微笑みかけてきた。高橋は無条件で頷く。今の高橋は、彼と一緒に居られるなら何でも良かった。
「うん、行こうよ」
「よし、勝負だ。俺、こう見えてもけっこう上手いんだぜ。覚悟しろよ」
「私だって。負けないからね!」
「ははは」
二人の声は窓から差し込む昼下りの柔らかな光に包まれて、温かかった。




