その2
予想通り、ホームセンターは高橋にとってはやりづらい。新米だった時に最初の研修で何度か入ったが、最初の印象からしてやはり取っ付き難く感じていた。
研修が終わってからというもの、高橋は一年の間ほとんどを食品スーパーにて過ごしていた。小さな地元のスーパーもあれば、他にテナントが無数に入っているような大型ショッピングセンターの中のやりごたえのある現場も経験した。彼女にとって既に食品スーパーは、大抵の店舗は自分の家の庭のような場所になっていたのだ。
だがホームセンターはというと、食品スーパーとはまるで違った造りをしている。客層や商品、店の規模などもかなりの差異がある。今までの常識は通用しない。一から覚えていかなければならないだろう。
(なるほどね、小さい店だけど立体駐車場あるんだ。スゴイじゃん。んでエレベータがここ、と)
万引きの手段は結論から言うと『何でもアリ』である。無限にあるのだ。一階の正面入り口から商品を持ってのこのこ出て行くとは限らない。犯人が一人でエレベータに乗る事が出来ればその時点で保安員を振り切る可能性もあるし、二階から直接続いている立体駐車場の出口に仲間が車を待機させていれば、難なくカゴ抜けも成立するだろう。
そういった施設の造りを利用しての犯罪も多々ある。一般的にホームセンターの場合は扱う商品サイズが大きいために、自然と建物自体が大型化する傾向があるため、施設の造りも頭に入れておかなければならなくなる。施設の大型化と比例して犯人の逃走経路は複雑になってゆくので、保安員の労力も倍化するのだった。
(やっぱりこういう売り場はイヤだなぁ……)
若い女性は大抵立ち入らない金物売り場。高橋にとっては何の魅力も感じない、電動工具の部品などが陳列されている。違う大きさのネジなども、高橋には全て同じに見えるし、ドーナツ状の電動のこぎりの刃などは「何コレ、フリスビー?」などと言い出す始末だった。
どうやらこの店での一番の被害を受けているのが金物売り場らしく、店長からの指示で、指定された時間中はこの範囲にいてくれ、という事になっている。腕時計と睨めっこがしばらくの間続いた。
(無駄な時間だなぁ。お腹空いてきた)
とボヤくものの、真面目な性分の高橋にはサボる事は出来なかった。そうして心の中でボヤいている最中にも、いつ何処で万引きが発生するか分からないからだ。
売り場の人間は入れ替わりが激しい。店内は人の流れがゆっくりに見えるが、五分も経てば客層はがらりと変わる。いつ万引き犯が現れるか、油断は出来ない。
(なんかアイツ、いかにも怪しいなぁ。何であんなリュック持ってきてるんだか)
高橋は一人の男性客に目を付け、追跡を開始した。職人風の二十代と思われる男性で、茶髪にオールバック、深いポケットが付いたニッカポッカを履いている。典型的な土建屋の兄さんだった。ホームセンターの金物売り場では珍しくない客層である。
だがその兄さんが普通と違って見えたのは、リュックサックを持っていたからだった。大抵こういう店に来る職人は荷物を何も持っていなかったりする。違和感のあるバッグ等を持っている場合、それを利用して隠匿(商品を隠す)する事があるのだ。
『違和感』というのは私服保安員にとって意外と重要なキーワードだ。万引きをする人間には、何処かおかしい違和感が大抵存在する。それを敏感に嗅ぎ取り、数居る普通の客の中からターゲットを絞り込む。こればかりは経験を積んで感覚を磨く以外に鍛える術は無い。
(まずっ)
兄さんとちらっと視線が合った。すぐさま高橋は手元の商品を見るフリをする。だが手元にあるのはバール。高橋のような女性が見るには違和感がありすぎる商品。
舌打ちの音が聞こえた。一回、二回。高橋はそれでも必死に知らないフリを続けた。下手に急いでその場を離れたりすれば逆に怪しく思われる。兄さんは大股で高橋に近づいてきた。ガムを噛んでいるらしく、近づくにつれてくちゃくちゃ音がはっきり聞こえた。
高橋の心臓は緊張で鳴り始めた。バールを凝視するが、無意識に視線を上げたくなる。一歩兄さんが踏み出すたびに喉がカラカラになってくる。
「おい姉ちゃん」
隣に立たれた。
「は、はい?」
高橋は恐る恐る返事をした。男は大柄で、身長百八十センチはあろうかと見える。それが上から獲物を狩る獣のような目付きで睨んできているのだから、たまったものではない。
「さっきから俺の事なんで見てんの?」
「気のせいじゃないですか。私、買い物してるだけですよ」
「嘘付け、分かってんだよ。さっき俺が金槌見てる時、後ろの方からじぃっと見てたろ」
保安員だという事がバレたのかどうかは分からないが、確実に追跡がバレている。中にはこういったように鋭い人もいるので侮れない。こうなってしまったら「自分は客だ」と言い張って白を切り続けるしかなくなる。
「それとも、俺に惚れた?」
(それはない)
心の中で即答する。どうやら保安員だという事はバレていないようだが、別の意味で厄介な相手かもしれない。
「いえ、そういうわけじゃないんですけど」
兄さんは有無を言わさずマイペースで続ける。高橋の顔を覗き込むようにして同じ視線まで背を落とした。
「姉ちゃん良く見りゃ可愛いな。彼氏とかいんの?」
反射的に答えた。
「いや、いないですけど……」
言った後で高橋は後悔する。いると言っておけば「ふーん」で終わったかもしれなかったのだが。
「じゃあこの後遊ぼうぜぇ。俺、もう少しで今日は仕事終わりだからよ。何処行きたい。カラオケ? ゲーセン?」
豪快に笑いながら、男は調子良く強引に話を進めた。高橋はどうしようとばかりに冷や汗を掻く。初めて入った店のために店員は全く高橋の顔を知らない。高橋が保安員だという事も分からないはずだ。それに、彼女の性分では思い切って叫び声を上げる事も出来ない。
基本的に高橋は引っ込み思案な大人しい女であり、いざ恐怖を感じたら足がすくんで逃げる事も出来なくなるようなタイプだった。ましてや大柄の男にナンパされたら乗っていくどころか気圧されてしまう。実力はあるが、実際万引きGメンとしては性格が優しすぎると指導者からも指摘された事がある。
「あ、あの、私……」
顔を執拗に覗き込んでくる男。ジーンズを無意識に内股で擦り合わせ、落ち着かない。目は左右におろおろと泳いだ。
「おっと、こんな所に居たの?」
不意に第三者の声がした。二人は横に振り向く。
(えっ、さっきのイケメン?)
そこにいたのは、先ほど店の入り口のベンチに座っていた容姿端麗な青年だった。さも高橋に知り合いかのように話しかけてきた。
「探したんだよ。全く、勝手にどっか行っちゃうんだから」
人懐っこい子供のような笑みを満面に浮かべ、きょとんとする高橋を困惑させた。
(ど、どういう事これ)
薄手のジャケットを羽織っているが、青年の体格は細い。目の前の職人の兄さんと比べると巨人と小人くらいの差がある。身長は百七十センチ無いかもしれない。
兄さんは煙たそうに青年を一瞥する。
「何だよ、やっぱ彼氏いたのかよ。まぁ女が一人でこんな所うろついてるはずねぇか。おかしいもんな。じゃあな」
勝手に解釈して離れてゆく兄さん。一体何がどうなってるのと、高橋は首を傾げていた。
青年は無邪気に話しかけ続けた。
「突然ごめん。何だか君が変な男に絡まれてるの見て、黙ってられなかったんだ。何とか穏便に離れさせようと思って」
「あ、そうだったの。ありがとう」
青年は「じゃ」と言うと手を軽く振り上げて挨拶した。そのまま売り場から足早に消えていった。
「変なの」
高橋の感想はそれだけだった。




