高橋さん (万引きGメン歴1年0ヶ月。日給8000円)
高橋さん 万引きGメン Limited Edition
「店長さん、捕捉です!」
事務所に押し込められるようにしてなだれ込んできた男は、何が起きたんだとばかりに凝視してくる従業員達を見据えて吼えた。椅子を蹴飛ばし、書類を鷲掴みにして投げ飛ばす。書きかけだった報告書は、騒ぎで転んだ従業員の尻によってくっきりと跡が付いた。
「俺はやってねぇっつってんだろうがぁっ!」
「じゃあこの買い物カゴは一体何?」
狭い事務所。人間二人と大荷物は全ていっぺんには入りきらなかった。事務所の廊下に置いておいた店内カートに押され、女は贓物であるカゴいっぱいの万引きした品物を男に突き出した。
米に酒、刺身に高級肉の山。調味料やブルーマウンテンコーヒー豆までカゴの底のほうにぎっしりと垣間見えた。どう考えても高額品ばかりを詰めている。傍らでその贓物を覗き込んだ店長も、呆れたように顔を手で覆った。
男は目付きのキツいヤクザ崩れのような風体だった。昼間だというのに顔は常に赤い。視線も定まっておらず、アルコールが体臭となって撒き散らされている。どう見てもまともじゃない。アルコール依存症患者か何かだ。
「くそっ、どいつもこいつもよぉ! やってねぇんだよ、俺はよおぉ」
「……警察だな」
店長はデスクに座った部下に目配せすると、阿吽の呼吸で素早く百十番していた。その手の動きは慣れたもので、もう何度もダイヤルしているといった様子が見て取れた。
「あぁん、てめぇ俺をムショに送ろうってのか? おい、やってみろ、ぶっ殺してやるぞ」
店長に向かって唾を吐きかける勢いで食って掛かる。今にも手が出そうになる男に対し、店長も買い言葉で反論した。
「ぶっ殺すって、どうぶっ殺してくれるんだ? ウチの商品これだけ持っていこうとしやがって。お前、自分の立場が分かってるのか」
カゴを指差す。レジを通らず、商品を直接車に載せてとんずらしてしまうという、いわゆる『カゴ抜け』と呼ばれる万引き方法だ。食品スーパーでは金額は小さなものが多いが、これをホームセンターなどの高額商品が多い現場でやられると、店にとっては大打撃となる。万引きGメン=私服保安員にとっても注意しなければならない万引き方法だ。
だが今回盗ろうとした物でさえ、量が多いためにかなりの金額であろう。店長は軽く数え始めた。
「茨城産コシヒカリ十キロ、刺身三パック、ジャックダニエルにワイルドターキー、しゃぶしゃぶ肉四パック。この肉なんか一パック二千五百円だ。冗談じゃねぇぞ、おい」
警察が来るまで、店長と男は半分錐もみ状態になって喧嘩していた。女はその様子をじっと何も言わず見守り、その日は終了した。
後で警察の調べによると、男は前科者であり、元暴力団組員。他店でも幾度と無くカゴ抜けによる万引きを繰り返し、ここいら一帯の食品スーパーでは出入り禁止を食らってしまい、行く所が無くなってしまっていたのだという。再び檻の中に逆戻りとなりそうであった。
その日の終わり、上司との電話のやり取りで女は告げられた。
「来週からシフトの都合で、しばらく食品スーパーは入れられなくなりそうだ。苦手だろうが、ホームセンターに入ってもらう事が多くなる。だが高橋、お前の実力なら大丈夫だろう」
「分かりました」
高橋と呼ばれた女は電話を切り、ホームへと降り立った。吐く息が白い。二月の雨は冷たかった。タイツに染みた雨は冷え切り、彼女に家路を急がせるのだった。
最寄り駅から一時間ほど電車に揺られて着いた先は、一度も行った事の無い小さな町のホームセンターであった。昔ながらの木造家屋や、新興住宅地、アパートが立ち並んだ町並み。閑静な住宅街である。恐らく地元の人間しか行かないような小ぢんまりとした店だ。
(なんだか狭くてやりづらそうな店)
先輩達の話では、女性の場合は食品スーパーが得意で、ホームセンター等は置いてある商品の関係で苦手とする人が多いようである。男性の場合はその逆で、食品スーパーに一日中居ると私服保安員自体が不審者として店員に疑われてしまう事も多く、やりづらいらしい。
高橋はまだ経験が浅かった。コンビニエンスストアに置いてあった、求人情報誌ポットペッパーで一年前にたまたま見つけた仕事がこれだったのだ。
時々テレビの特集などでやっていて、面白半分で見ていた覚えが高橋にはあった。主に高齢者の万引き犯の後ろからカメラがゆっくりと着いていって、やり手の保安員が「だめでしょ、レジ通らなきゃ!」などと叱りながら事務所に連れてゆくあの光景だ。
そして事務所に行ったら行ったで、「お願いですから許してください。お金払いますから」「警察や家族には言わないで」などと嘘泣きをしながら懇願する様子が容易に思い出される。
だが高橋には分かった。あの特集はもしかしたら、いわゆる――ヤラセに近い物があるのではないかと。良く考えてみれば店の名前も、万引き犯の名前も顔も毎度毎度出ない。つまり、ヤラセする気ならいくらでも出来る。それくらい、実際に万引き犯を捕捉する立場の過酷さを身をもって知った。テレビの特集ほど現実は甘くない。
特に、万引きをしていないのに犯人に仕立て上げてしまう誤認逮捕だけは避けなければならない。最悪の事態であり、侮辱罪でこちらが犯罪者になってしまう。裁判になれば確実に負けるのだ。それくらい、一歩間違えば重い責任を負う結果になる。私服保安員になってからというもの、高橋はそのプレッシャーと常に向き合いながら日々を送っている。
(うわ、なんかイケメンがいる)
店の前には一人の青年がベンチに座っていた。こんな片田舎の住宅街には不釣合いなほどに容姿端麗な男だった。ストレートの黒髪はセミロングまであり、その間から覗く中性的な顔立ちが女心を妙にくすぐる。いわゆるお兄系の黒を基調とした線の細い印象で、足を組んで携帯電話をいじっている。
青年は入り口から入ってゆく高橋に気付いたらしく、ちらと視線を飛ばす。高橋はドキッとし、何故か緊張して視線を合わせなかった。