オズドゥードルに入り込め5
「ユダリカ、もうちょい薄めで大丈夫だ」
「うん、分かった」
あまり厚く塗ると赤みが出てしまう。
薄めに塗るだけでも十分な効果があるので薄く広く塗っていく。
「おや、作業なされているのですね。少し休憩なさってはいかがですか?」
若干の雑さはありながらも割といい感じに壁にパロモリ液が塗れてきた。
老年の執事がカートで紅茶とお菓子を運んできたので少し休憩することにした。
「ジケ、この人がキノレさんだよ」
「おや、私が何か?」
ジケがカナユラの部屋で作業していたことにもまた理由があった。
それはキノレと自然に接触するため。
以前までカナユラは限られた人しか身の回りにいなかったのだが、ユダリカの仕送りの件以来キノレをはじめとしてカナユラの世話をする人を増やした。
特にキノレはカルヴァンの息がかかった人である。
ジケやユダリカが何かをすれば様子を見にくることがあるだろうと思っていた。
「一つお願いしたいことがありまして」
「私にですか?」
「北方の蛮族……獣人たちと顔を繋いでほしいんです」
回りくどい交渉はなし。
ジケはここにきた目的を正直にぶつけた。
「なんですと?」
「北方の蛮族との戦争の気配がありますよね?」
「……なんのお話か分かりませんね」
一瞬驚いた顔をしたキノレであったがすぐに表情を取り繕った。
「俺は商人ですよ。目には見えない流れを見抜くのが商人の力です」
情報屋に調べてもらったとか過去の知識があるとか説明するとややこしいのでここは説明を省く。
「物やお金の流れを見ればここで何かの動きがあることは分かります。特に今はフィオス商会で北に販路を広げようとして注目していたので」
もっともらしい理由は考えてある。
戦争が起こる準備を始めれば通常とは物やお金の流れが変わる。
どれだけ分かりにくいようにしたところでめざとく見ていけば気づく人ならば気づけるものである。
実際オズドゥードルでは戦争に備えて食料の買い溜めを始めていた。
他に影響が出ないようにはしているが、いつもよりも買っている量が明らかに多いのでキノレも気づく可能性はあるかもしれないと内心で思う。
「俺は戦争が嫌いです。戦争なんて起こらなきゃいいと思っています」
そりゃあ誰でもそうだろうとユダリカは思う。
「ですが北方の蛮族との間で戦争が起こることは以前にもあったらしいですね。戦争が起こる時、それは北方の蛮族をまとめている人が代わったり何か必要なものがある時です」
人間に対して好戦的な獣人が北方の蛮族をまとめ上げると戦争が起こることがある。
理由は様々で自分の力を誇示したり、本当に侵略するつもりのこともある。
ただ今回に限って北方の蛮族の支配者に代替わりは起きていない。
今北方の蛮族をまとめている狼王はここまで戦争を起こしていないし、急に戦争を起こすようなタイプでもない。
となると戦争を起こす理由がある。
「お金、食料、必要な物があるから何かを要求して、そして聞き入れてもらえなかったから圧力をかけている」
いつの間にかキノレは優しい笑顔を消して真剣にジケの話を聞いていた。
「違いますか?」
「…………お話は聞いておりましたが、どの噂もあなた様のことを的確には表現していないようでございますね」
老練した相手と話しているようだとキノレは感じていた。
新進気鋭の若手商人だともっぱらの噂であるけれど目の前で対峙した印象では熟練の商人のようである。
「戦争の空気感が高まっていることは認めましょう。ですが北方の蛮族に会ってどのようになされるおつもりですか?」
ジケのいう通りである。
戦争という言葉がチラつく状況にあることはキノレも認めざるを得ない。
しかしだからといってジケが何をするつもりなのかキノレにはまだ分からない。
商売を仕掛けようというのならとんでもない話だ。
これから戦争をしようという相手に商売の提案など国賊的な行いとなる。
「戦争を止めたいんです」
「……どのようにですか?」
もちろんジケがそんなことをするとは思っていないキノレはジケの返事も予想していた。
だが戦争を止めるなど口で言うほど簡単なことではない。
「お金とか物、食料なら王様は戦争を避けるために渡すでしょう」
何がなんでも北方の蛮族の交渉には応じないなんて人もいるかもしれないが今の王様は賢い人である。
北方の蛮族と戦争しても利益は一切ない。
戦争を避けられるなら相手の要求にある程度応じることもする柔軟さがあるだろう。
にも関わらず戦争になりかけている。
「きっと北方の蛮族はそんな簡単な物じゃない。でも何を要求しているか。狼王が最も大事にしてるもの……それは娘です」
キノレの表情に動きがあったことをジケは見逃さなかった。
やはり過去と同じく狼王の娘がキーであるようだ。
「娘に何かがあった……さらわれたのなら今頃国内で獣人が暴れているだろうし、単純な怪我や病気なら神官ぐらい派遣するでしょう。もっと重篤な状態……狼王ですらなんともできないような状態で王様に助けを求めた」
あくまで推測しているように装いながら言葉を続ける。
「戦争になりかけているということは狼王は王様が娘を治す何を持っていると確信しているけれど、実際王様にはその手段がない。このすれ違いが戦争を生みかけているのではないですか?」
ユディットはこれが我が主君の叡智と感動の目をジケに向けている。




