全ての始まり4
「ああっ!」
しかしいくら強く掴まれようとフィオスはスライムである。
ちゅるんと老婆の手の中から滑り出て、ジケの胸に飛び込む。
「そのスライムの契約者か! 教えてくれ、そのスライムはなんなんだ!」
老婆は怖い目をしてジケの腕を掴む。
全力で掴んでいるのかもしれないが、その力はあまりにも弱々しかった。
「あなたこそ一体なんですか!」
振り払うほどではないにしても、老婆から感じる狂気には恐怖を感じる。
リアーネもいざという時に備えて剣に手をかける。
「……あ……そうだな……すまない…………こんなふうになったせいか、感情のコントロールも効かなくて……」
ジッとジケの目を見つめて、老婆は動揺したように激しく瞳を揺らした。
老婆は肩から手を離すと震える手で自分の顔を覆う。
「話を聞かせてくださいませんか? 何かお力になれることがあるかもしれません」
老婆の膝はまたいつの間にかしわがれた肌に戻っている。
何か複雑な事情がありそうだとジケは優しく声をかけて、手を差し出す。
「…………こんな私に優しくしてくれるなんて、心の広い子だね」
先ほどまでの狂気はどこへやら、つきものでも落ちたように老婆は冷静になっている。
ジケの紳士的な態度に感動したように目を潤ませて、差し出された手を取った。
「何か食べましょう。エニ、朝ごはんのスープ残ってただろ? あっためてくれないか?」
「うん、分かった」
家の中に入って、老婆をイスに座らせる。
だいぶ落ち着いたように見えるが、もうちょっと穏やかに話せるようにと配慮する。
タミとケリが作って置いといてくれたスープをエニが温めて出す。
たっぷりと具の入ったスープに老婆は驚いた顔をする。
老婆も貧民街にいることは自覚している。
貧民街の、しかも子供の家でこんな贅沢なスープが出てくるなんて予想外であった。
「美味しいね……」
ひと口飲んで、染み入るような優しさの味を感じていた。
「うちの小さいシェフたちが作ってくれるんです」
日ごとにタミとケリの料理の腕前が上がっていっている。
お仕事としても料理を習うし、ジケの家にいると食べてくれて美味しいと言ってくれる人も多い。
前まではグルゼイが色々捻出する形だったけど、今はちゃんとジケも食材費を渡したりしているから色々と買い込んでお試しで料理することもある。
「うっ……うぅ……」
老婆はスープを食べながら泣き始めた。
ブツブツと何かを言いながらすすり泣いていた時とは違う。
今ここで老婆を刺激されて、また興奮状態になってはたまらない。
ジケはそっとリアーネに視線を送る。
リアーネもジケの視線の意味を察して音を立てないように家の外に出ていく。
ジケのところにはよく人が来てしまうので、リアーネに止めてもらうようにお願いしたのである。
「お話しいたします……」
スープを食べ終え、涙声で老婆は話し始めた。
「私はセクメル。実は……まだ二十代なのです」
「えっ!?」
大きな声を出すつもりはなかった。
けれども信じがたい告白が飛び出してきて驚いてしまった。
エニも同じく目を丸くして驚いている。
「信じられないのも……無理はありません」
セクメルがフードを下ろす。
「どう見ても死に近い老人でしょうから」
髪は白く、肌にハリがなく垂れている。
正直どう見ても二十代という年齢だとは思えない。
「こうなったのは呪いのせいなのです」
「呪い?」
最近時々聞く危ない言葉にジケは眉をひそめる。
「自分の責任……というところもあるのでしょうが、このようなこのような代償があるとは知らなかったのです」
「ええと……呪いで年をとってしまった、ということですか?」
「その通りです」
セクメルは悲しげな目をして小さく頷いた。
「呪いなら……解いてしまえばいいんじゃないの?」
簡単なことではないものの、呪いを解く方法や呪いを解いてくれる人はいる。
一応ジケもその手段を持っている。
「できるなら、そうしていました」
「できない理由が何か?」
「……この呪いは通常の方法では解くことができないのです。なぜならこの呪いは神がもたらしたものだから」
「神が……もたらした……」
「呪い?」
色々と分からないことが多いとジケとエニは思った。
神が人を呪うなんてことも聞いたことがない。
そして呪うとしても、年をとってしまう呪いなんてかなり特殊な呪いである。
「おいで、クロイーネ」
セクメルは自身の魔獣を呼び出した。
「なんだ?」
「見たことない……不思議な魔獣だね」
現れたのは精霊のような魔物であった。
ただ様子は通常の精霊と大きく異なっている。
頭が三つある。
それぞれ別の方向を向いていて、体の向きを正面として右の頭の髪は黒く、左の頭の髪は白い。
そして正面を向いている頭の髪は二つの色を混ぜような灰色である。
初めて見る形態の妖精にジケもエニも困惑する。
「この子が見ているのは現在、過去、未来……ただの魔物ではなく、神の力を宿した魔物なのです」
「神の? そんなことって……」
「……あるな」
神の力を宿す魔物にエニは困惑を示すが、ジケ険しい顔をしながらも話を受け入れていた。
かつて神の力を宿した魔物の力をジケは目の当たりにしたことがある。
アユインの父親である王様の魔獣が普通の魔法ではあり得ないような力を発揮して、人を瞬間移動させるという芸当を現実のものとしていたことを思い出す。




