表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/9

7話『知らない知り合い』

 遂に記憶がないことの弊害が起こってしまった。


「――シュヴァルツ! あの日の屈辱は、決して忘れんぞ!」


 青い髪を短く刈りそろえた男が、俺に凄まじい剣幕で怒鳴りつける。



 この男と出会ったのは、ナターシャと王都から離れた街を散策していた時のことだ。

 何やら広場から悲鳴が聞こえてきたので駆けつけてみると、この男が通行人の胸ぐらを掴み殴りかかろうとしているところだった。

 この男が帯刀していたこともあって、万一の場合に備えて俺が間に入ったところ、男は俺のことを見るなり、先のセリフを発したのだ。


 ……しかし困った。

 要人に関する知識ならある程度頭に入れているが、流石に今までの知り合った全ての人間のことを把握するのは無理というもので、どうしても知識に抜け穴がある。

 今までは騙し騙しで乗り切れていたけど、今回の場合はそうもいかなさそうだ。


 俺が記憶喪失ということは極秘事項。

 魔王を倒した英雄がそのような状態に陥っていることを知られたら、王国民は混乱するだろうし、そんな俺を利用しようとする輩も現れることだってあり得る。


 だからこそ、可能な限り記憶の保管が必要だ。俺は声音を落として隣にいるナターシャに問う。


「ナターシャは、あの人のことを知っていますか?」


「いえ。申し訳ありませんが、私も知らない方です」


「……ということは、俺の個人的な知り合い――友人や知人の可能性も考えられますね」


「その可能性はより低いかと。シュヴァルツ様のご友人を全て把握しているわけではありませんが、このような暴力行為を平気で行うような方々とは縁遠いように思われます……」


 つまり、一方的な怨恨による難癖か。状況的にもそれが一番しっくりくる気がする。

 そうこうしていると、男は舌打ちして眉間にシワを寄せた。


「何ごちゃごちゃくっちゃべってやがる! お前……まさかあの時のこと――俺の女を犯した日のことを忘れたとは言わせねーぞ!」


 女を犯した……? この俺が……?


「その話、もっと詳しく聞かせて頂けるかしら?」


 凍てつくようなナターシャの声を受けて、男は少し後方へとたじろいだ。


「あっ……ああ。いいか、よく聞け! こいつは今や魔王を倒した救国の英雄なんて言われてもてはやされているが、その旅の道中に数多くの女がこいつの毒牙にかかったんだ! 王都を離れた田舎なら、多少火遊びしても噂になんねーからな! さぞや楽しい楽しい旅になったことだろうさ!」


「この方の言う通りよ! 私はこの王子にもて遊ばれて、ゴミのように捨てられたのよ! 忘れもしない、あの日の権力を傘にして受けた屈辱を……うえっ、ぐすん!」


 男の言葉が終わると同時に女が現れ、泣き始めた。

 まるで待ってましたと言わんばかりのタイミングだ。男は勝ち誇ったかのような笑みを浮かべた。


「こうやって俺の証言を裏付ける女も現れたぞ! さぁ、どう落とし前を付けるんだ、王子様よぉ! そこで土下座して詫びるなら、今回ばかりは特別に許してやるぜ!」


 なるほど、どうやらこいつらは俺を陥れたいらしい。


 俺は王子で魔王を倒した英雄だ。こういったやっかみがあることくらい想像の範疇ではある。

 ただ、こいつらの主張は、記憶を失くした今の俺にとって事実かどうか判別がつかない。

 ちょっと前の俺なら、少しくらいは自分のことを疑ったと思う。


 ……でも、今は確信がある。こんなことは絶対にしていないという強い確信が。


 俺はナターシャを見た。


「今の俺がこんなこと言ったところで信憑性に欠けると思いますが、俺はあいつらが言っているようなことは、神に誓って行ってはおりません……!」


 ナターシャは強く頷いた。


「勿論私も信じております。……しかし、あのような偽りによって、シュヴァルツ様の築き上げてきたものを穢されているという事実に、今――私は強く怒りを覚えております!」


 と、俺の元婚約者は大層ご立腹のようだ。俺のことを何の疑いもなく信頼してくれていて、俺が陥れられているこの現状に対して自分ごとのように怒りを感じてくれている。


 ……そのことが、素直に嬉しかった。


 まぁ俺も今や昔の俺が、そんなクズ野郎だとは微塵も思っちゃいない。


 ほんの少しではあるが、戻った記憶からわかった昔の俺は、今の俺とはかなり違っていて、同一人物とは思えないことも多いし、何なら別の生き物だとすら感じることすらある。


 それでもはっきりわかることは、昔の俺はとんでもなく一途な純情野郎だということだ。そんなやつが一夜とはいえ、他の女と無理やり事に至るはずがない。


 ……舐められたものだな。


 今俺が感じている怒りは、きっと個人的なものだけではない。


 俺は王子――そして、やがては王となる者だ。そんな旗頭が、公然と虚偽によって貶められている。それは俺を慕ってくれた人たち、ひいては国そのものを愚弄するのと同じだ。


 この怒りは上に立つ者としてのプライド、それを踏み躙られたことに対しての本能だ。


 俺は男に詰め寄った。


「なっ、何だよ……!? やる気か!」


 筋書きになかったのか、それとも俺に気圧されたからなのか。男はカタカタと震えながら、腰の剣を引き抜く。


「やる気も何も元からそのつもりじゃなかったのか? それとも、剣術の指導が目的だったのか? だとしたら、先ずは礼儀を知らないその口から正さないとな……」


「ほっ、ほざけ……! 幾らお前が強かろうが、丸腰で何ができるってんだ!?」


「その足りない頭では、格の違いも、背負っている物の差すらも理解できんらしいな……!」


「ひっ!?」


 男は悲鳴を上げながら剣を縦に振るう。それは子どもが棒切れを振り回すような出鱈目な動きだ。

 魔王を倒した俺にとってその動きは止まっているのと同じである。


 俺は男の振るった剣の刀身を――そのまま掴む。俺の手に掴まれた刀身は、カタカタと揺れているがそこから先に進む気配は全くない。

 剣を振るった男は、信じられないものを見たような顔をし、そのまま地べたにへたり込んだ。


「そこの女……」


「はっ、はいっ!?」


 俺が睨むと女はピンと姿勢を伸ばした。男と結託しているであろう女に俺は告げる。


「この男を連れて、俺と俺の女の前からとっとと失せろ! ……二度とこのようなくだらない行いをしないと誓うならば、今回だけは見逃してやる――但し、次は無いぞ!」


 俺は掴んだ剣に力を込めると、ぱきん、と剣が折れる。

 その様に恐怖を覚えたのか、女はガクガクと頭を上下に振りながら、男と共に走り去っていった。


 その背が地平線の彼方へと消えて行くのを見届けると、俺はふぅと息を吐き呼吸を整える。


「……皆さん、お騒がせしました。このように、あらぬ誤解を招くことはこれから先もあるかもしれませんが、己の得た地位と名誉に恥じぬよう、これからもより一層精進して行く所存です」


 と、周りの人たちに騒がせたことを詫びる。すると、皆は笑い始めた。


「――私はシュヴァルツ殿下を信じます!」


「――まぁシュヴァルツ殿下の巫女様への一途さは有名だしな。最初からあんな奴らの戯言なんて信じちゃいないさ!」


 一部始終を見ていた人たちは、口々にそう言って俺を信じてくれた。


 俺の記憶はあまり戻ってはいないけど、こういう形でかつての俺の人となりを知る機会は多い。

 だから、あんな風に俺の過去を偽る風聞を流す奴が現れても、俺は俺自身を信じて行動できるのだ。


 ……かつての俺が魔王を倒しに行った理由が、今ならよくわかる気がする。

 たしかにさっきのような輩もいるけど、総じてこの国は良い国だと思う。


 取り敢えず、この騒動はとりあえず一件落着したと言って良いか……


 ……ん?


「どうしたのですか、ナターシャ。顔が赤いですけど……?」


「あっ、あの……シュヴァルツ様……! さっき……私のこと、俺の女と仰いましたよね?」


 ああ。そういえば、勢い余ってそんなことを口にしてしまったような……


「あれは、我を忘れて言ったことでして……」


「我を忘れて……! つまり、それはシュヴァルツ様は本心から私のことを……!」


 ナターシャは更に顔を赤らめた。……まぁ、実際俺がナターシャに対して好意を抱いているのは間違いない。

 いつの間にか、俺はナターシャのことが好きになっていたようだ。


 ……それに、煮え切らない態度のままなのは、王子とか英雄とかそれ以前に男が廃るというもの。ここまで好意をはっきりと寄せてくれている彼女に報いる意味でも、俺は自らの思いの丈を伝えるべきだろう。


「……そうですね。俺はナターシャのことが――」


『イザベラのことが――』


  ◆


 ――何かが俺の中にいる……!?


 このままだと、俺の中に生じた感情が、別のものへとすげ替えられてしまう……!?


 記憶には全く失いが、そのことに気づけたのは、以前書き換えられた体験を俺の身体が覚えていたからだ。


「何者だ……!?」


 心の内で問いかけると、聞き覚えのある女の声音が返ってきた。


『流石は魔王を倒した英雄というべきか。そんな感覚的なやり方でボクの存在に勘づいたのは、キミが初めてだよ。でも、気づいたからといって、どうにかできるものじゃないけどね。だって、キミはボクのことを――イザベラのことを愛してしまうのだから』


 俺の頭の中のナターシャへの感情と築きあげた思い出が、別の女――俺が記憶を失くした時に唯一覚えていたあの女と重なった。


「一体、俺に何をしたんだ……!?」


『直にわかるよ。またね、ダーリン。もうすぐキミは、完全にボクのものになる……』


 そう言うと、俺の中にいる存在の気配が消えて行く。それと、同時に今起こったことが俺の中で曖昧になっていく。


 ……やばい!? この存在のことを……どうにかして伝えなくては……!


 しかしそんな俺の意志に反して、イザベラのことも、記憶を書き換えられたことも忘れて俺の意識は覚醒する。


  ◆


「――シュヴァルツ様? さっき何か言おうとされてませんでしたか?」


「……いえ、なんでもありません……なんでも……」


「そう……ですか……」


 俺は彼女に何かを伝えたかった気がするがそれを思い出すことはできない。

 ……俺はまた何か大切なことを忘れてしまった気がする。


 ……否、何かおかしい。

 そして、これは以前も経験している気がする……?


「――はいはい、ストップ、ストップ、ストップ! アンタら甘ったるいから、見てるこっちが胸焼けするわ!」


 俺の思考を遮るように、一人の男が人混みをかき分けて近づいてくる。肩まで掛かかる白髪とヘビのように細い目が特徴的な男だ。

 この国ではあまり見かけない顔立ちからは、異国の人間を思わせるものが感じられる。


「はじめまして、王子様。何や随分とエライ目にあったみたいですね、ご愁傷様です」


 そう言い男は屈託の無い笑顔を俺に送ってくるが、同時に探るような目を向けられていることに気づいた。

 得体の知れないその感覚は、まるで大蛇に睨まれてるような冷たさがある。


「はじめまして……。立場上、あのようなことには苦労させられます」


「いやはや、王子様っていう立場は、庶民が考えるよりも、案外楽じゃないんですね。あっ、そういえばどうしても王子様に言いたいことがありましてね……あっ、ととと――」


 わざと石に躓いたふりをしながら、男は俺に近づき――俺の肩にしがみつく。そして、耳元で囁くように言う。


「……よう考えてみたら、はじめましてやなかったわ、ボクら。さては王子様、記憶あらへんやろ?」


「なっ……!」


 こいつ、俺のことを知っている……!?

 即座に頭に入れている要人の顔とこいつを見比べるが、やはりこの男に当てはまる人物はいない。

 何処で出会った……? それとも俺の記憶喪失を知っていて、適当なことを言っているだけなのか……?


 何にせよ、今の俺に答えが出せるわけがなかった。


 そんな俺の動揺を気にも留めずに男は話を続ける。


「軟弱者になったって小耳に挟んだけど、案外昔みたいにやる時はやるみたいやね、今の王子様も。まぁこのことは、みんなには黙ってたるから、安心してええよ。まぁ、その分の見返りは欲しいけど……」


「……何が狙いだ?」


 男の視線がナターシャへと向かう。ヘビが獲物を狙うかのようなべっとりとした不快感がそこにはある。


「ボク、嫁探しの最中でして……あの巫女さん、ボクにくれへんか? 美人やし、優しそうやし……是非ともボクの将来の伴侶として相応しい……おわぁ!?」


 俺は男を振り払うと、大袈裟に後方へと退いた。


「おっと、すみません。俺もちょっと手が滑ったみたいで……大丈夫ですか?」


「お互い躓いたり、手が滑ったり、災難が重なるな。もしかしたら、王子様とは似た者同士なんかもしれんわ。仲良くなれそう」


「いえ、むしろ一緒にいると不幸が増長するタイプなのでしょう。俺は貴方とは気が合わないように思いますね……」


「あらあら残念。もしかして、ボク嫌われてしもうた?」


「さっき、お二人で何を話されていたのですか?」


 俺たちの会話に入ってきたナターシャに、男は満面の笑みで答えた。


「いやあ、巫女さんが美人やからちょっかいかけようとしたら、王子様に静止されてもうてな。良い彼氏さんやね。大切にしぃや。あっ、あと――」


 男の笑みは深くなった。


「――彼氏さん。もしかしたら、想像以上に他の女にメロメロかもしれんで。盗られんように気ぃつけいや。……あと、良い女子いたら紹介してな! じゃ、また何処かで!」


 そう言い手を挙げ、そそくさと帰っていく男の背を、俺は警戒しながら見送った。


「なんか、不思議な人でしたね……?」


「気をつけろ、ナターシャ……! あいつ、俺が記憶喪失だということを知っていた!」


「えっ……!? なら、このまま放っておくのは不味いのでは……?」


 捕らえられるなら、今すぐに捕らえるべきだろう。しかし、無策で俺に近づいたとは思えないし、何よりもあいつから感じられる得体の知れない感覚が俺を強く静止する。


「今は放っておこう……。それに、もっと他に気になることがある……!」


 俺は何者かによって攻撃を受けている。それを俺は認識しきれていないが、このままだと確実にまずいことが起きると、俺の直感が告げていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ