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6話『シュヴァルツ親衛隊―2』

 親衛隊隊長の話をまとめるとこうだ。


 以前の俺はその辺を歩いても、今のように気安く人が話しかけられるような人間ではなかったという。


 特に、ナターシャと一緒にいるときはそれが顕著だったらしい。

 二人だけの独特な世界が――所謂、ラブラブカップル特有のそれがあったこともあり、俺たちは何処か神聖な尊き存在として認識され、温かく見守ろうという暗黙の了解が国民の中に生まれていたのだという。


 だが、そんな空間に、甘い蜜に引き寄せられた蜂のように特攻する女子が現れることはあるらしい。

 ある日、俺とナターシャが歩いていると、とある女――三ヶ月前のシュヴァルツ親衛隊隊長が道を塞いだ。


「愛人でも何でも良いので、私をどうかシュヴァルツ殿下の傍に置いてください!」


 と、いきなりぶっ飛んだことを言い始め、土下座する隊長を無視して俺はそのまま通り過ぎようとする。

 ――が、隊長は引かなかった。俺の脚にしがみつき、尚も必死に俺に懇願する。


「ボロ雑巾のように使い潰してもらっても構いませんので、どうかお手元にぃ!」


 耐えかねた俺はギロリと隊長を睨みつけ、獅子を幻視するような激しいオーラを発したという。


 しかし、隊長も俺のオーラに気圧されずにしがみつく。必死にそんな恋の駆け引き(?)を繰り返していると、俺は一瞬だけ笑ったという。

 隊長の考察によると、俺が人を認めた時――即ち、一定水準以上の強者であると判断した時に僅かに笑みを浮かべる悪癖があるらしい。


 そして、そんな強者に対して俺は、俺なりの礼儀を払う意味を込めて会話を許すのだ。


「それなら俺は雑巾を使う」


 あまりにも長い時間俺の脚にしがみついていた隊長は、唐突に俺が発した雑巾の意味をすぐに理解できず、『……雑巾? 何で殿下が雑巾を使うんだ? もしかしてお掃除がお好きなのかしら……?』と思ったらしいが、それは自分が先程投げかけた問いに対する答えだと遅れて知る。


 つまり、俺と隊長の会話の入り口は、雑巾からだったということだ。


「……そういう意味ではなく……とにかく、どんな事でもしますから、私を好きになってください!」


「お前ができることは俺でもできる。……いい加減にしろ、通行の邪魔だ!」


 などと、会話になっているような、なっていないようなことを暫く繰り返した後、隊長は何をしても俺に振り向いてもらえないと悟り、だんだん悲しくなってきたという。


「私は、殿下のことを心の底から愛してしまったのです。殿下に愛されない人生ならば、私は生きている価値すらありません! 私は……私は……これからどうしたら……うわああああああん!!!」


 そう言い泣き崩れる隊長に、そっと手を差し伸べる一筋の光があった。


「そこまでシュヴァルツ様のことをお思いになられるのでしたら、自らに価値がないという考え方はお辞めください」


「巫女……様?」


 そう言い、ナターシャは隊長を抱きしめた。慈母のような温もりに思わず隊長は顔を赤らめる。


「誤解されておられる方もいらっしゃいますが、シュヴァルツ様が魔王を倒すことをご決断され、それを成し遂げられたのは、その……私への強い想いだけがあったからだけではなく、人々が笑顔に暮らせる世界が欲しかったからです。だから、貴女はシュヴァルツ様に見向きもされない存在ではない。一人の王国民としてちゃんと愛されているのですよ」


 隊長にとってのナターシャは、紛れもない恋敵である。

 だが、その女神のような美しさ、そしてそれに相応しい優しさに触れたことにより、自らの心の闇が晴れていくのを感じたという。

 この時シュヴァルツに恋する乙女は死に、シュヴァルツとナターシャを崇拝する一人の狂信者が生まれたのである。


  ◆


「……あの、すみません。俺は今、何の話を聞かされているのでしょうか?」


 俺の問いかけに、前のめりになりながら隊長が熱く語る。


「シュヴァルツ親衛隊が発足したきっかけに決まってるじゃないですか! 私はシュヴァルツ殿下を崇拝し、同時に貴方様が愛したナターシャ様も崇拝してしまった哀れな女! シュヴァルツ様を語るには、やはりナターシャ様も語らずにはいられません!」


 周りの親衛隊たちも、隊長の言葉に同意をこめて深々と頷いた。

 それなら、シュヴァルツ親衛隊の名に、ナターシャも加えたらどうだろうかという疑問も湧くが、これ以上話がややこしくなるのは面倒なので、俺はそのことを決して口にはしない。


 ……まぁでも、隊長のおかげでわかったことがある。


 やっぱり俺という存在を本当に理解するには、かつて俺が愛したナターシャという存在が絶対に欠かせないということだ。

 それに、これは何も記憶を取り戻すためという義務感から来るものじゃない。

 もしかしたら、俺はナターシャのことを、一人の女性として意識し始めて……


「――ところで、殿下。そろそろ我々の願いを叶えてもらってもよろしいでしょうか?」


「……そういえば本来はそんな話から始まったことでしたね。すっかり忘れてました。……で、貴女たちは俺に何を望まれるのでしょうか?」


 色々と話し込んでいたせいで、本来の主旨から大きく遠のいてしまっていた。

 まぁここまで協力してくれたんだ。多少の無理難題くらいは叶えてあげたいな……と思っていると、隊長は何やらもじもじし始めた。


 先ほどまでの勢いは完全に失せていて、そこには乙女の恥じらいのようなものを感じられる。


 ……何故だろう、とても嫌な予感がする。


「では、……を見るような目をお願いします」


「……すみません、よく聞こえなかったのでもう一度お願いします」


 隊長は顔を赤らめ、今度は大声で叫んだ。


「ゴミを見るような目をお願いします!」


「はぁっ!?」


 この人は一体何を言っているのだろうかという、俺の困惑を他所に隊長は続ける。


「私は、あの時――殿下に告白した時に向けられたゴミを見るような視線が快感となってしまい、骨の髄まであの凛々しいお姿が焼き付いてしまったのです! どうか、どうか私に今一度あのお姿を拝見させていただきたい……!」


 そう言い、隊長は鼻息を荒げた。そこに理性はなく、最早煩悩で動く何かだ。

 すると、隊長の言葉を皮切りに、他の親衛隊の人たちも欲望を曝け出し始めた。


「――私は身分差フェチでして、崇高な立場であらせられるシュヴァルツ様の靴を舐め……」


「――シュヴァルツ様はナターシャ様のものなので、代わりにお二人のお子様が男の子だったら……」


 ……うわぁ。この人たちがやばいのか、それとも昔の俺がこうさせてしまったのか。

 何はともあれ、ここを離れた方が良いのは間違いないだろう。


 しかし、そんな浅はかな俺の考えは、隊長にはお見通しだったようだ。


「逃がしませんよ、殿下……! 何故このような包囲網を張っているか、今一度よくお考えください」


 隊長がすっと手を挙げると、巧みな連携で包囲網が徐々に狭まってきた。

 なるほど、この包囲網は情報の遮断以外にも、俺を逃さないという用途として使えるらしい。

 ……でも、記憶は失くしていても、俺の身体能力は健在だ。


「良い作戦だとは思いますが、相手が悪かったですね! ……よっと!」


 ひょいと俺は宙返りし、親衛隊たちを何人も飛び越えて俺は包囲網を掻い潜る。

 着地も見事に決まり、周囲からは「おー!?」やら「すげー!?」やら歓声が聞こえてきた。


「ちょっと、上から逃げるなんて反則ですよ、殿下! ちゃんと約束守ってください!」


「流石に俺には貴女たちの願いは叶えられそうにありません。……だけど、感謝しています。ありがとうございました!」


 そう言い俺は努めて爽やかな笑みを彼女たちに向けると、「あっ、不意の笑顔はもっと反則……!」という隊長の声と共に親衛隊一同が硬直した。


 その間に、俺は前方を歩いているナターシャの手を引っ張った。


「シュヴァルツ様……? 急にどうされ――」


「――詳しい話は後だ、ナターシャ! これからはファンサービスというやつは、ほどほどにしておくことにします!」


 俺の話を理解しきれていないナターシャは、後方から追いかけてくる親衛隊を見て青ざめた。


「あれは……貴方の親衛隊じゃないですか! 何かとんでもない言葉が聞こえてくるんですけど、貴方は彼女たちに一体何をしたのですか……!?」


 ナターシャの疑問はもっともだが、彼女たちが何故こうなったかなんて、俺にはわかるわけがない。

 そして、それは昔の俺に問いただしても同様だと断言できる。

 だから、魂の底から声が出た。


「……全然記憶に――ございませええええええん!!!」


 その後、俺とナターシャはひたすら走って、後方から追尾してくる親衛隊から逃れた頃には、夕暮れ時だった。


  ◆


 くたくたになりながら、俺たちは王都を歩く。今日は一体何をしていたのだろうかという疑問を抱きながら……。


「なんか……今日はめちゃくちゃ疲れましたね、ナターシャ」


「ほんとですね。……でもちょっと楽しかったかも?」


「……そうですか? なんか途中から走ってた記憶しかないような……」


「だって、走ったり、笑ったり、ヤキモチ焼いたり……こんなことって、平和な世の中でしか体験できないことなんですよ! ……少なくとも、私が巫女としてのお役目を任されていた頃には、全然想像もしていなかったことです」


 そう言いナターシャは笑う。

 ……言われてみれば彼女の言う通りかもしれない。

 何せ、未だ魔王が倒されてから日が浅いのだから、このような日常は当たり前のようで、当たり前ではないのである。

 それに、巫女であったナターシャにとっては、神殿の外に出て自由に走り回ることなんて想像すらしていなかっただろう。


 ……こんなことができるようになったのは、俺が魔王を倒したからこそ実現したんだ。


「……たしかにその通りですね。俺も走ったり、笑ったり、ヤキモチ焼いたりできて、今日一日とても楽しかったです」


「……シュヴァルツ様がヤキモチ? ……一体誰にヤキモチを焼かれたのですか?」


 不思議そうな顔を浮かべてナターシャは俺を見た。


「俺がヤキモチを焼く相手なんて一人しか……!?」


 言いかけてようやく俺は自覚する。

 ……ああ、そうか。そうだった。

 いつの間にか俺は……俺自身に嫉妬していたんだ。

 ナターシャとの思い出を持っている、かつての俺自身に……。


 俺は意を決してナターシャに問う。


「君は昔の俺と今の俺……どっちが好きですか?」


「……とても意地悪な質問しますね。答えなきゃダメですか?」


「はい。俺にとっては、とても重要なことなんです……!」


「うーん――」


 ナターシャは少しイタズラ気な笑みを浮かべたが、すでに答えを持っているらしい。数歩前に出て、俺を見る。

 金色の髪が夕日によって明るく照らされていて、俺の目にはその姿が何処か神秘的に映った。


「――選べません! だって私は、貴方の全てを愛しているのだから!」


 頬を染めて思いの丈を述べる彼女を見て、俺はようやく気づいた。


 ……ああ、今のでなんかわかった気がする。


 今日だけで色々な女の人たちが俺に寄ってきて、その中には俺に異性として好意を抱いてくれている人たちがたくさんいた。

 俺を好きになってくれるのはたしかに嬉しかったけど、彼女たちに対してときめきを抱くことはなかった。


 何故なら彼女たちにとっての俺は、王子として、英雄として……そういった色眼鏡を通した先にいる存在でしかないからだ。


 ……なぁ、かつての俺よ。お前のことは全然わからないけど、お前がナターシャに惚れた理由だけはわかったよ。

 彼女は俺を王子でもなく、英雄でもない……ただのシュヴァルツとして受け入れてくれたことが、何よりも嬉しかったんじゃないのか?


 そんな胸中の問いに対して明確な答えが返ってくるわけではない。ただ、今この瞬間、俺が感じている彼女への恋心のみがその問いの答えなのだろう。


 たとえ記憶を失くしたとしても、俺は絶対にナターシャを好きになる運命のようだ。

 言葉にしよう。生じたこの強い想いを彼女に届けたい。


「俺もナターシャのことを――」


『――そう、貴方はイザベラのことを狂おしいほど愛している。貴方の胸に突き刺さった愛という名のトゲ、それは目の前の女に対してではなく、貴方が来るのを待ち続けているボクへの秘めたる想い……』


  ◆


 突然聞こえてきた女の声に導かれるまま、俺に生じた感情はすぐ様訂正される。それでも僅かに燻る衝動は消えずチリチリと心の中で疼いていた。


『よほどナターシャとかいう女への入れ込みが強いみたいだね。でも、いずれその気持ちは完全にボクのものになる。……その時を楽しみに待っているよ、ダーリン』


 それだけ言うと女の声は消え、俺の意識はその事自体も完全に認識できなくなってしまった。


  ◆


「――シュヴァルツ様? 何か仰いましたか?」


「……いえ、なんでもありません。なんでも……?」


「そうですか……?」


 言いながら何か大切なことを伝えようとしていた気がするが、何も思い出す事はできない。

 ……一体何を忘れてしまったのか、それすらも思い出せないまま俺の一日は終わるのであった。

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