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4話『俺の最高の好物はお前だ!』

 ……俺は今すごく緊張している。


「シュヴァルツ様、あーん!」


「あーん……」


 溢さないようにと口元に手を添えられながら、俺の無防備な口元に切りわけられたパイが運ばれた。


 まず最初に芳醇な秋ぶどうの甘酸っぱい味が口一杯に広がる。

 使われている材料は、りんご、みかん、ブルーベリー、それといちごか……。

 主役の秋ぶどうを基調としながらそれぞれがそれぞれの味の良さを引き立て合い、しつこくない甘さで纏まっている。

 それを噛み締めていくと、サクサクともザクザク共取れる音が心地よく響いた。


 かつての俺の好物で作られたフルーツパイは、やはり今の俺にも甘美なお菓子であると認識されたらしい。


「お味はどうですか、シュヴァルツ様?」


 笑顔で問う彼女に、俺も笑顔で答える。


「うん。とても美味しいですよ、ナターシャ」


 側から見ればラブラブカップルのように見えるこの行動は、かつての経験を辿ることによって、記憶を呼び覚まそうという試みである。

 先日の婚約破棄を突きつけられたあの時は、まさかこんな事態になるとは全く想定していなかったのだが……


  ◆


 婚約破棄を突きつけられた俺は、ナターシャの提案を全面的に受け入れることにした。

 彼女がこんなことを言い出した理由はわからないが、自らのことを忘れた婚約者に対して、愛想を尽かしたということなのだろうか。


 ……それによく考えれば、今まで婚約を解消しなかったのも、記憶を失くす前の俺への恩義によるものだったのかもしれない。

 今回の件は、ナターシャにとって俺たちの関係を見直す丁度良い機会となったのだろう。


 かつての俺がこのような結果に納得するのかわからないが、ナターシャには、これからは何にも縛られず、自らの幸福を追い求めて欲しいとは思っている。


 ……どうか、幸せになってくれ!


 そんなことを考えている俺とは対象的に、ナターシャは明るい笑顔を俺に向けてきた。


「シュヴァルツ様、明日以降のご予定をお聞きしてもよろしいでしょうか?」


 何故このようなことを質問してくるのか疑問に思ったが、特に隠す理由もない。俺は正直に答えた。


「母さ――否、女王陛下からは当面の間、失くした記憶を思い出すことに専念するよう命じられておりますが……これと言った予定があるというわけではありません。取り敢えず、かつて俺が訪れた場所を順に巡ってみようかと考えております」


「でしたら、私にお任せください! シュヴァルツ様のことなら、私が一番よく知ってますから!」


 爛々と瞳を輝かせながら、ナターシャは俺が記憶を取り戻すためのデートプランを練り始めた。


 ……いや、ちょっと待って欲しい。話が全く見えてこない。

 俺たちはつい先程婚約を解消したばかりだ。世界ひろしと言えど、その直後に別れた婚約者とのデートを計画する人間がどこにいるというのか。


「ナターシャは……俺のことが嫌いになったのではないのですか!?」


 そんな俺の言葉を彼女はキッパリと否定する。


「いいえ、今でも変わらず貴方のことを愛しております! たとえこの先何が起きようとも、この気持ちが変わることは永遠にないでしょう」


「そこまで思って頂けているのなら、何故俺との婚約を解消したのですか!?」


「シュヴァルツ様が私のことを愛していないのなら、婚約は契りではなく、ただの枷。お互いの愛がないまま婚約を継続するなんて、私は絶対に嫌です。だから……」


 彼女は俺に視線を向ける。海のような美しい瞳を笑みの形に細め、顔は仄かに紅潮していた。


「だから、もし貴方が私をもう一度好きになってくれたのなら、その時は――」


 ――私とまた婚約してくださいますか……?


 と、逆プロポーズを受けたわけである。


  ◆


 そんなこんなで今俺たちは、王都の名所の一角で花見を行なっている。

 この場所は俺が魔王を倒して帰国した後、初めてナターシャがデートをした場所らしい。

 周りにはたくさんの人たちがいて、俺たちに微笑ましい視線を送ってくる。


「――殿下と巫女様が一緒におられる御姿が生で見れるなんて、私はこの世で一番の幸せ者よ……」


 感激して涙を流しながら俺たちを見守る人がいた。


「――かの英雄と女神様が降臨なされるとは……! 眼福眼福! どうか我々下々の者たちに永遠の繁栄と幸福を……!」


 俺たちに祈りを捧げる人がいた。


 ……ちょっと皆さん、流石に大袈裟過ぎやしないだろうか。

 それに、俺たちこう見えても婚約破棄してるんですけどね……。


「シュヴァルツ様、あーん!」


 そうこうしている内に、二口目のパイが口に運ばれ、俺はそれを貪る。言うまでもなく美味い。


 ……なんだか、俺が記憶喪失であることをナターシャに都合よく利用されているところもあるような気がしなくもないが、彼女と一緒にいる方が俺にとっても良い刺激になるのは確かだろう。


 ただこれ……超恥ずかしい。どうやら俺にはこの手の免疫が、記憶の喪失と同時に完全に失われてしまったようだ。


 そんなこんなしていると、一人の女の子が俺の前にやってきて立ち止まる。


「あっ、あっ、あの。お取込み中失礼します。その、えっと……あああ握手してください!」


 沸騰しそうなほど真っ赤な顔をしながら、女の子は俺に手を突き出した。


 まるで肉食獣を目の前にした小動物のように震えている。

 今日だけで何度か経験したそれは、俺にとって最早慣れつつある光景だ。


 記憶こそ失っているが、俺は王子であり魔王を倒した英雄である。

 おそらく、彼女はそんな俺の所謂ファンというやつなのだろう。


 俺は努めて明るい笑顔を作った。

 憧れを抱かれる存在は、それに相応しいだけの態度というものが必要だと俺は思っている。

 上に立つ者として、人々の心の平和を保つことも俺の重要な責務の一つだ。


「そんなに緊張しないでください。俺で良ければ握手くらいいつでもお受けしますよ!」


 そう言って差し出された少女の手を――俺は両手で受け止める。

 憧れの人に話しかけるのは結構勇気がいることだと思う。せっかく、勇気を出して俺に話しかけて来てくれたのならば、此方も相手の思う以上のことをやってあげたくなるというものだ。


 ぎゅっと手を握ると少女は破顔した。


「……あっ、あああああありがとうございました!!! もう、この手は一生洗いません!!!」


 そうお礼を言いながら、少女は地平線の彼方へと走り去っていく。まるで流れ星のような勢いだ。


「足元にはお気をつけて! ……あと、手はちゃんと洗ってくださいね……」


 まるでスーパースターにでもなったような気もするが、俺は決して増長するつもりはない。

 自らの名声に恥じないよう行動を心掛けていくことも、英雄である俺には必要なことなのだから。


 ……それにしても、俺が気さくに振る舞えば振る舞うほど、周りは意外そうな視線を向けてくる。

 ちょっと人に良くしているだけのはずなのだが、俺がそのようなことを行うのは、そんなにもおかしなことなのだろうか。


 俺は声音を落としてナターシャに問う。


「もしかして、昔の俺って嫌われていたのでしょうか?」


 ナターシャは大きく横に首を振って否定する。


「そんなことありません! ただ、昔のシュヴァルツ様と、今のシュヴァルツ様とのギャップに困惑されているだけだと思います。かつてのシュヴァルツ様は、今のシュヴァルツ様よりも少し近寄り難い雰囲気がありましたから……」


 ナターシャは昔の俺が握手を求められた時の話をしてくれた。


  ◆


「握手してください!」


 差し出された手を、俺はただ黙って見続ける。


「あっ、あの。握手を……お願いできないでしょうか? それとも……やっぱり私じゃ……ダメですか?」


 二度目の問いに、ようやく俺は反応し口を開く。


「……この世は弱肉強食! 食うか食われるか、だ! 俺を欲するならば、文字通り俺を殺すつもりで来い!」


 射抜くような瞳を向け、少女を睨む。背後には獅子を幻視してしまうほどの強烈なオーラを放っていたという。


「……すっ、すみませんでした! 私には、そこまでの覚悟は持ち合わせておりません。こうやって、殿下とお話できただけで私は満足です。……ありがとうございました」


 そう言い落ち込みながら背を向ける少女に対して……


「待て! ……まぁ、その、なんだ。今回は特別サービスだ。ありがたく受け取れ! ……あと、そう卑屈にならず自分に自信を持て! 女は笑顔が一番だからな……」


 そう言い、俺はぎこちない笑みを浮かべて握手を行うという。


  ◆


「……という感じでした。たしかに、今のシュヴァルツ様よりは素直じゃなかったかもしれませんが、お優しい方であるのは昔も変わりませんよ!」


「……色々とツッコミ所しかありませんね、昔の俺って……。てか、なんで握手するだけなのに、そんな大袈裟な考えに至るんだよ……」


 ナターシャの話に俺は頭を抱えた。

 以前、母さんにかつての自分を演じることを止められたが、その理由が今ならよくわかる。

 今の俺とはまるで別の生き物だ。というより、そいつ本当に俺なのかとすら考えてしまうほどだ。


「照れ屋さんだったんですよ。それに、本当は貴方が優しい人だって、みんなわかってますから!」


 と、ナターシャは昔の俺をフォローしてくれた。

 まぁ変わったやつだったのは間違いないだろうけど、たしかに悪いやつではなかったのはなんとなくわかる。


 ……ただ、あまりにも思考回路が違うせいか、昔の俺に対してのイメージというものが未だに掴みきれていない。

 特に、ナターシャに対しては、先の話のような回りくどいことはしなかったようだ。

 会う度にいつも歯の浮くような甘い言葉を投げかけまくっていたらしく、そのことがより一層、かつての俺が何者なのかを理解するのを困難にさせる一因となっていた。


 しかし、記憶を取り戻すためには、色々な側面で俺を理解する必要がある。

 深呼吸を数回繰り返し、俺は過去の自分と対峙することを決意した。


「さっきの、その……あーんの時の反応も……今と昔で違ってたりするのですか?」


 記憶を失う前の俺を知るという行為――特にナターシャとの出来事に関しては、最早俺の中で怖いもの見たさに近い何かへと昇華されている。

 黒歴史ノートを開けるようなゾワゾワ感は、きっとこんな感じなのだろう。


 ……いや、全く覚えがない分、もっとタチが悪いかもしれない。


 ナターシャは照れながら話し始めた。


「昔のシュヴァルツ様は、私が差し出したパイを食べた後……私の……ふふっ!」


 途中でナターシャがにやけ始めたせいで、話はそこで止まってしまった。


「食べた後……俺は貴女に何をしたのでしょうか?」


 思わず気になりその話の先を急かす。

 色々な覚悟を済ませているため、恥ずかしくて悶絶するような事態は起こらないだろう……多分。


 すると、ナターシャの顔がすっと俺の耳元まで近づいてきた。

 女性特有の優しい香りが鼻を抜け、彼女の美しい金色の髪が俺の肩に乗っかる。


 ……近い! しかも良い匂い!


 ちょっとした混乱に苛まれている俺に、恥じらいを含んだナターシャの湿っぽい声が、脳内へダイレクトに侵入した。


「パイを食べた後、そのまま私の手のひらにキスしたんですよ。……しかも私の手に付いたクリームをそのまま舐めて、『ナターシャの手は、甘くて美味いな。どんな甘美な菓子よりも、俺の最高の好物はお前だ!』って仰っていましたよ」


 言い終わると、すっと俺の耳元から離れ、ナターシャは笑った。


「ぐはっ!?」


 魂が抜けるような感覚と共に、俺はその場に倒れ込んだ。

 あ……ああああああ! 死にたい、死にたい、死にたいぃぃぃ〜〜〜!!!


 もし目の前に机があったらきっと俺は何度も頭を叩きつけていただろう。

 何してるんだ、昔の俺は!? てか、そいつ本当に俺なのか!?


「その後ですね……」


「えっ、この話未だ続きがあるの!?」


「……はい。流石にここでは言えないので、続きはまた別の機会に話しますね……」


 ここでは言えないことってなんなんだ!? 俺は一体ナターシャに何をしたんだ!?

 流石にこれ以上は俺のキャパオーバーだ。


「……ああ、大丈夫です。その辺は、頑張って自力で思い出してみようと思います……」


「その方が私としても助かります。自分でもなんであんな事を言ってしまったのか……」


「――ちょっと待って!? 俺じゃなくてナターシャが言ったの!?」


「はい……つい流れで……」


 一体どんな流れだったんだよ……。

 まぁとにかく、この話は一旦置いておこう。精神的ダメージが大き過ぎて未だ節々が痙攣しているのだから、これ以上となると身が持ちそうにない。

 ひとしきり悶絶を繰り返した後、俺はこめかみをひくつかせながら、なんとか言葉を振り絞った。


「その……色々あったんですね、俺たちって……」


「ええ。とってもたくさんのことがありました。そして、今の平和は全てシュヴァルツ様が取り戻してくれたものなのですよ……」


 ナターシャは遠い目をして空を見た。

 魔王が世界を支配していた頃は、青空も太陽もこうやってまともに観察することはできなかった。


 ……その間約1000年。人類は魔王に支配された世で、ひっそりと最低限の生命活動を続ける存在でしかなかった。

 こうやって、人々が沢山集まり、紅葉を見ながら笑い合うことなんて、ちょっと前までは誰も想像してはいなかっただろう。


 そんな穢れた世界で人類が今まで存続してこれたのは、偏に巫女の力があったからだ。

 魔族に汚された大地に十分な作物が実るだけの栄養の確保や魔族に対する防衛力……そういった沢山のものを、全てナターシャたち巫女の退魔の力に頼ってきたのだ。


 ナターシャはあくまで俺が救った世界と言ってくれるが、それは出来事のほんの一面でしかない。

 俺が魔王を倒した裏側には、俺を支えてくれた人たちがいて、巫女のみんながいて……俺が認識できない沢山の人たちの努力があったからこそ成し遂げられた偉業なのだろう。


 ……そういう知識はあるというのに、俺には何一つ誰かとの思い出は残っていない。

 せめてここまで俺を好きでいていくれているナターシャのことくらいは思い出してあげたい……否、思い出したい。


「……ずるいな、昔の俺は」


 思わず出た言葉はかつての俺への嫉妬だった。ナターシャとの思い出を独り占めにされているような、そんな独特の気持ちに苛まれてしまったから出た言葉だ。

 そんな気持ちを隠すように、俺はぼんやりとかつての俺が取り戻した、澄み渡るように綺麗な青空を眺めるのであった。

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