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3話『婚約破棄(ナターシャ視点)』

 彼と出会う前の私は、誰よりも現実主義者だったと自負している。


「――俺が絶対魔王をぶっ倒す!」


 赤い髪に端正な顔立ちの少年が、絶対に不可能なことを宣言する。

 その直後、鐘の音が響き、私はすっと立ち上がった。


「応援してます、頑張ってくださいね」


 ぶっきら棒な態度で会話を打ち切り、巫女装束の紐を緩めると、するりと私の肢体が露わになる。

 私にとって慣れたその行為は、少年を赤面させるには十分だったらしい。


 未だ大人が有する情欲を理解できる年頃ではないが、他人に裸を見られることに対しての恥じらいなんてものは、私の中には一切存在しない。

 何せ私は巫女――退魔の力を宿した人間兵器だ。そんな人間兵器である私には、人がましい感情を感じる必要なんてないのだから。


 同伴していた大人に連れられる彼を見送りながら、私は日課の巫女の儀を開始する。

 こうして私のちょっとした非日常は終わり、いつもの変わり映えしない日常へと回帰する。


 これが私と彼との馴れ初めである。

 この王国には代々、巫女を王族の妃にするという習わしがあって、巫女が10歳になればその許婚である男系王族と顔合わせを行う。


 しかし所詮は形だけの婚姻関係である。私は名ばかりの妻の地位に収まるだけで、男女として彼と交わることは決してありはしない。


 巫女が、穢れ――即ち、私の身体が男を覚えることはあってはならないのだ。

 そうなれば、退魔の力はたちまち喪失してしまい、ただの人へと成り下がる。

 そんなたった一度の過ちが、そのまま王国滅亡の危機に繋がるのだから、私は国によって厳重に管理されている。


 私が外の世界を知る機会は、季節の節目節目に合わせて神殿から神殿への移動を行う際の、ほんの僅かな時間だけだ。

 馬車に揺られながら、巫女という名の兵器として厳重に運ばれている最中、窓から見える光景だけが私が知る唯一の神殿の外の世界だった。

 しかしそれは、私にとって景色以上のものにはなり得ない。

 外で無邪気に走り回ったり、はしゃいだり、笑ったり……そういったことを経験する機会は、巫女である限り私には永遠に訪れることはない。


 神殿の中だけが私の世界の全てであって、それ以外は存在しているだけにしか過ぎない……そんな考え方が身に付いた頃には、私は心身共に一人前の巫女となっていた。


 この世に魔王という悪しき存在がいる限り、私が巫女の役割から解放されることは決してないだろう。

 ――否、仮に魔王が倒されたとしても、やはり魔族は人類の脅威に変わりないのだから、私が自由を得ることは永遠に来ないと断言できる。


 それが私の逃れられない宿命だ。

 諦めにも似た感情こそあるが、神に選ばれた自らの境遇には誇りを持っているし、私の力のおかげで救われた命があることに関しては素直に嬉しく思っている。


 だから私は高望みせずに、地に足つけた現実主義者を貫くのである。こうすれば、理想と現実のギャップで苦しむことはない。

 機械のように己に与えられた役割をこなし、植物のように無心でいる人生を、死ぬまで続ければやっと私は巫女としての役割から解放される。


 私がこういう考え方に至ったのも、歳の割に達観していたということもあるかもしれないが、やはりそれは教育の賜物と言える。

 人類は巫女の力によって長らえてきた。

 生かさず殺さず……巫女に宿る退魔の力を効率よく扱う術を、人類はその長い歴史の中で育んできたのだ。

 私がこのような性格になるのは、むしろ必然と言える。


 ……それでも私の心は未熟で、時より人間兵器からただの人間に戻ってしまうことがあった。


 その時は大抵、物思いに耽っている時だ。

 特に女としての本能が、許婚という言葉に対して強い反応を示す。

 ふしだらなことをしたとはいえ、彼が私の婚約者であるということに関しては嫌じゃなかった。

 これも巫女の精神の安定を図るための策略なのだとしたら、成程、よく計算されているとしか言いようがない。


 ……だけど、全てが計算によって仕組まれたことではないのはたしかだ。


 王族に男系がいなければ、巫女は永遠に未婚なんてこともある。

 誰かと結ばれることは必ずしも幸せであるとは限らないが、私の場合、偶然年齢が同じで、偶然私と性別の違う王子様がいたから成立した婚約関係である。

 そこに大した意味はないと言われたらそれまでだ。

 だけど、私にはそれが何か特別な繋がりに思えてならなかった。


 ……彼は私のことを何とも思っていないかもしれない。

 今日のことも、次の日には綺麗さっぱり忘れている可能性だってある。

 何せ彼は、王子という立場にあるだけでなく、武術、魔術、教養……そういったものでさえも、私と同じ年齢であるにも関わらず極めて高水準に修めている。

 ……加えてあの顔立ちだ。将来は女性に関して困ることはないだろうし、何なら今、こうしている内にも、そういった縁談話がいくつも成立している可能性だってある。

 精々私は、婚約者の一人として彼の記憶に留めてもらえたら良い方なのかもしれない。


 そんな彼と私が婚約関係になれたのは、ある意味、私に巫女という枷があったから起こった奇跡だ。

 暇な時にその関係を彼と私の運命の赤い糸と見立て、私はその思考を弄んだ。

 思い返せばそれが、私が初めて夢を抱いた日――永遠の恋に落ちた日だったのかもしれない。


  ◆


 山頂に拵えらた神殿は、大自然の景観を損なわない作りとなっていて、正に秘境という言葉がピッタリと当てはまる。

 王国内には神殿はいくつかあるが、この場所は身を清めることに関しては最も優れた場所だと思っている。


 大自然が生み出した水たまりは、私の身体がちょうど半分浸る程度の水深だ。

 そこで、己の身に宿る穢れ――彼が触れた場所の浄化のために水浴びを行う。

 一通り水を浴びた後、目を閉じ、大地の声に耳を澄ますと、損なわれていた退魔の力が戻っていくのが感じられた。


 ……しかし、その回復速度は昔と比較するとずっと遅い。

 退魔の力は穢れの無い巫女の身体に宿るというが、今の私はその基準を満たしきれていないのだろう。


 ……そもそも巫女としての勤めを最後に行なったのは、今から半年も前のことだ。

 昨日の祭事――私の誕生日に国の所有物としての巫女の役割が解かれたことになっているが、実質彼がこの国に戻ってきた日から一般人としての私の生活は始まっている。

 昔よりも巫女としての役割が上手くこなせないのは、ある意味仕方がないことかもしれない。


 それに加えて、今の私は雑念が多いときた。これではとても巫女としての役割を全うできる状態ではない。

 そして、その雑念の大半が彼にまつわる事だった。


 ――言伝で彼が魔王を倒したという報を聞いたあの日のこと。

 ――帰国早々、神殿の扉をこじ開けて私を外の世界に連れ出したあの日をのこと。

 ――初めて唇を重ねたあの日のこと。


 一連のことが波のように私の心に押し寄せる。

 その中に、かつて彼が言った『愛している』という言葉が混ざった……。


 ……集中しなさい、ナターシャ!


 自らの煩悩を追い出すために頬を叩く。手と頬……そして心に痛みが走った。


 魔王討伐によって巫女の任を解かれた私は、愛する彼と唇を重ねた代償として、巫女の力の半分を喪失している。

 それに魔王を倒した彼は記憶喪失であり、とても万全とはいえない状態だ。

 あまり考えたくないことではあるが、人知れずどこかに隠れていた魔王のような強力な存在が活動を開始した……そんな可能性だってある。

 呑気に物思いに耽っている場合ではないのだ。何よりも、それが彼のためでもあるのだから。


 そう考えると、私の心の波は徐々に鎮まり、退魔の力が戻ってくるのがわかった。

 彼に乱された心は、結局彼によって落ち着きを取り戻すこととなる。


 ……全く私の世界は変わってしまったらしい。


  ◆


 巫女としての勤めを終え、私は大地へと足を進める。巫女として行ったことは、退魔の結界を張っただけだ。


 魔王が生きていた頃は、魔族が活発に動いていたこともあり、水や大地が穢されていて、それらの浄化も巫女の任の内だった。

 むしろ、人の生活基盤を整えることこそ、巫女の業務の主だと言って良いくらいだ。

 そういったことに対して巫女の力を使わなくて良い分、力が損なわれた今の私でも、結界を張るだけの余力はあった。

 少なくとも、魔族からの攻撃に関してはこれで一安心と言える。


 近くに置いてある布を手繰り寄せ、私は服の置いてある納屋へと向かう。

 体を拭きながら、無防備にそのまま扉を開けると――


「うわあ!?」

「きゃっ!?」


 驚愕の声音が互いに重なる。反射的に私は屈んで目を閉じた。

 こんな山奥まで来る人間は、私を除くと、神殿の関係者……もしくは一人だけだ。


 ゆっくりと目を開けると、赤い髪に見慣れた端正な顔立ちの彼が、申し訳なさそうに目を伏せていた。


「シュヴァルツ様……?」


  ◆


 着替えている私を見ないように、彼は私に背を向けている。

 そんな彼の背中に、かつての幼き日の彼の面影を重ねながら私は問う。


「どうしてここへ来たのですか……?」


 背中越しに彼は語る。


「少しだけ……貴女のことを思い出したんです。かつての俺は、貴女にゾッコンだった……。何故そこまで貴女を愛していたのかまでは、今の俺には残念ながらわかりません。ただ、俺がそこまで一途に愛した貴女のことを――もっと知りたい! ……そんな衝動に駆られたら、いつの間にかここにいました」


「お一人でいらっしゃったのですか? 神殿はここ以外にもあるというのに……」


 人との思い出を喪失している彼が、私のいるこの場所を自力で見つけたとは思えない。

 概ね彼の母である女王陛下が、入れ知恵したのだろうと当たりをつけながらも、一応期待して聞いてみる。


 答えはまたしても可能性が低いと考えていた方――期待していた方だった。


「ええ、勿論。何となくですが、俺には魔力の色がわかるみたいです。貴方の魔力は澄んだ青色をしていて、それはどこに居ても俺には感じ取ることができる」


 共感覚という言葉がある。音を視覚で感じることができる人間がいるように、魔力に色を感じる者もいるという。

 彼の言う澄んだ青い魔力というのは、巫女の力を指しているのだろうか。

 彼がそのような力を持っているという話は初耳であるが……そういえば。


『俺の中のお前は、いつだって輝いて見えている』


 記憶を失くす前の彼が言っていた甘ったるい言葉の一節は、なるほど、そのようなカラクリだったようだ。

 思わぬ形でマジックの種を明かされたような気がして、私の口元が綻んだ。


「ふふっ……!」


「何か、おかしなことでも?」


「なんでもありません。着替え終わったので、此方を向いても大丈夫ですよ」


「はい」


 向かい合うとやはりいつもの彼の顔であるが、表情は以前と違って精悍という言葉よりも、穏やかという言葉の方がしっくりくる。

 しかし私にとっては、やはり以前のように心惹かれる存在には変わりない。


 ……だからこそ、確認したいことがある。


「シュヴァルツ様、お聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」


「今の俺に答えられる範囲でなら構いませんよ、ナターシャ」


 そうか。ならばとびきり意地悪な質問をしてやろう。


「……今の貴方は、私のこと……愛していますか?」


 彼は驚いた表情を見せた。記憶の無い今の彼にとっては、非常に答えづらい質問である。


 それでも、一切視線を逸らさずに私の瞳を真剣に見る。

 自覚はないだろうが、打倒魔王を果たした彼の瞳に見つめられると、灼かれるように身体が熱くなる。


 思わずとくん、とくんと高鳴る心音を隠そうと、私は胸元を祈るように抑えた。

 思えば彼の意志を問うのは初めてかもしれない。

 何せ、今までの彼ならば、私以外の女は眼中になく、とろける様な愛の言葉を会う度に届けてくれていたのだから。


 彼は呼吸を整えた。どうやら覚悟を決めたらしい。私にとって、都合の悪い覚悟を――


「今の俺にとってのナターシャは、少し惹かれる部分はあるけど、それ以上の存在ではない……というのが本音です。はっきり言って、貴女の望む愛と呼べるものは、今の俺にはありません……」


 想定通り。――否、思っていたよりも下回る低評価をくだされて、内心かなりのショックを受けてしまった。

 現実主義者を自称していたつもりであるが、この身はいつの間にか夢見る乙女に染め上げられてしまったらしい。


 だからこそ、私はこの程度では屈しはしない。想い人を待ち続ける巫女は、魔王が倒されたという報を受けた時からやめたのだ。


 私には彼に愛されていたという確かな自負がある。

 私はナターシャ。彼が――シュヴァルツ様が魔王を倒してまで欲した女だ。

 彼によって齎された自由という武器を使い、彼を今一度振り向かせる。


 だとしたら、必ずまた……。


 ……。


 呼吸を整えた後、私は努めて明るく振るまった。

 上手くできているかはわからないが、表情と声色だけは及第点くらいはあると思う。


「正直に仰ってくださって、ありがとうございます!」


「……いえ。お気持ちに応えられず申し訳ありません」


 そう言い律儀に頭を下げる彼に、私はある言葉を突きつける。


「じゃあ、婚約破棄しましょう!」


「……!?」


 彼は心底驚いた表情を浮かべていた。

ここまでお読み頂きありがとうございます。

次回、ようやく本作のあらすじの内容へと突入……!?

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