ニョッキリ
これは主婦の小百合さんが体験した話である。
彼女は小さいころ、家の近くにある森で近所の子供たちと遊んでいた。
鬼ごっこやかくれんぼといった子供たちに定番の遊び。
木々が覆い繁るその環境は遊ぶにはもってこいの場所で、子供達には人気のスポットになっていた。
だがある日、その森に不思議な男が現れた。
「ニョッキリ!」
不思議そうに男を見る子供の前で、男は確かにそういった。
すると、どうだろう。
土がこんもり浮き上がり、その中から次々に当時人気のあったおもちゃが出てくるではないか。
「すげー!!」
男はそのおもちゃを惜しみなく、子供達に分け与えた。
子供たちは大はしゃぎで、瞬く間におじさんは人気者になっていったという。
小百合さんはというと、土のついたおもちゃが嫌だったのもあり、あまりハマらなかったそうだ。
男の子たちの間では不動の人気を得て、遂にはニョッキリおじさんとうあだ名で親しまれたが、ある日を境にパッタリと姿を見せなくなったという。
みんなは残念がって、連日そのおじさんを探しにいったがもう会うことはなかったそうだ。
今にして思えば、不思議なことである。
土の中から自然とおもちゃが出てくるなどあり得ない。
大人になってふと思い返した小百合さんは、きっと手品師か何かだったのだろうと自分を納得させたという。
それから二十年後。
小百合さんは当時から近所に住んでいて幼馴染だった男の子と結婚していた。
子宝にも恵まれ、活発で元気な男の子が一人の三人家族だ。
夫と彼女は子供ができた今でも、自分達の生まれ育った同じ地域に住んでいた。
息子の大樹くんは七歳になり、よく近所の公園で学校の友人達と鬼ごっこなどをして遊んでいたそうだ。
いつも夕暮れにはお腹をすかして帰ってくる。
雨の日以外は連日遊びに行くほど、活発なお子さんなのだそうだ。
遊んでいる友達も、近所の見知った親達の子供だったので特に咎めることはせず、安心して送り出していた。
ある時、息子が妹ができたと楽しそうに夕食の時間に話した。
どうやら最近、その公園に着物をきた女の子がやって来るようになったそうだ。
どうやらその子を妹のように可愛がっているようだ。
一人っ子だから、兄弟に憧れを持っていたのかもしれない。
大樹くんによると、その女の子はみんなが帰る時間になっても、いつも最後まで公園に残っているらしい。
どうやら少し遅い時間にその子の親は迎えに来ているようだ。
雨が降ると会えないと、残念そうに言う息子に小百合さんは感じるものがあった。
────息子が初恋をした!
そう思った小百合さんは、その女の子を今度家に招くよう息子に言ったという。
彼女も大輝くんと同じ年齢の頃から仲の良かった幼馴染と結ばれていたのだ。
自身の初恋は実ったので、息子の初恋もどうしても応援したくなったらしい。
それと、もう一つ理由があった。
最近、近所で子供に声をかける不審な男の目撃情報があった。
外は早い時間から暗くなりだす季節に入りかけていた。
なるべく、家の中で遊ばせる口実を作りたいという思惑もあったのだ。
その翌日、息子はいつも遊ぶ友達数人とその女の子を家に連れてきた。
紫の着物を着て、花のかんざしを髪に付けている、とても可愛らしい女の子だったそうだ。
これは息子が惚れるのも無理はないと、そう思ったらしい。
うっすら赤みのかかったふっくらとしたほっぺに、雪のような白い肌。
まるで人形のように無口で無表情、それでいて可憐な不思議な女の子だった。
歳は息子より少し下の五、六歳に見える。
騒がしい息子と友人達の間でちょこんと座りながら、珍しそうにはしゃぐ彼らを眺めていたそうだ。
どうやらみんな少なからずこの女の子のことを意識しているようで、自分にはこれができる、得意なんだと遠回しにアピールして、その女の子の気を引こうとしているのが見てとれた。
そんな男子達を眺めながら小百合さんは一人、ニヤニヤと笑いを堪えていたようだ。
いつしかその光景を見るのが楽しみになっていったという。
しばらく、女の子も含めたみんながこの家に遊びに来る日々が続いた。
でも小百合さんには一つだけ懸念していたことがあったそうだ。
どうやらその女の子は決まって外が暗くなってから帰っていく。
あまり暗くなってからでは、子供には危ないからと引き止めようとしたこともある。
小百合さんとしては親御さんにこの家まで迎えに来て貰えばいいと思ってのことだったが、その女の子は頑なに帰ると言って聞かなかったらしい。
数日後。
登校前の息子と朝食をとっている時、不思議な話題を口にした。
学校帰りにある小さな森に、おじさんが現れるらしい。
どうやらその男は様々な手品を見せてくれるらしく、あっという間に子供達の人気者になったそうだ。
今日、いつも遊ぶみんなでそのおじさんを見にいくという。
息子は嬉しそうに言っていたが、小百合さんは得体の知れない男に子供たちが近づくのをよくは思わなかった。
だが、小百合さんの旦那は特に深く考えてない様子で行ってこいと気軽に許可を与えたという。
許可をもらい嬉しそうにはしゃぐ大樹くんが言うには、すでに近所の子供の間でも有名らしく、ここ二日程は毎日その場所にいるらしい。
森といっても整備された森林公園のような所で、大人たちも大勢いる場所。
「遅くならなければ大丈夫だろ」
楽観的な夫の言葉に引っ掛かるものを感じながらも、渋々小百合さんは旦那の意見に同意した。
そしてその日の夜、大樹くんは家に帰ってこなかった。
いつもの夕食の時間に帰ってこない息子を不安に思い、一緒に遊んでいた子供の親に電話をかける。
だが、他の家の子供達は皆ちゃんと帰ってきているらしい。
大樹くんが帰ってこないことを告げると、相手方は自分の子供に事情を聞いてくれた。
どうやら大樹くんは、いつも遅い時間まで一人の女の子に気遣って他のみんながその森から帰る中、一緒に残ったそうだ。
その話を聞いた小百合さんは、いてもたってもいられず、すぐさま夜の森に向かった。
不安と焦燥、様々な思いが駆け巡り頭の中が混乱する中、一つの嫌なことを思い出してしまう。
幼少の頃出会ったニョッキリおじさん。
彼がいなくなる時、近所の子供が一人行方不明になったという噂を聞いたことがあった。
まだ子供の小百合さんは詳しくは知らされなかったが、親たちがひそひそと話していたのを思い出す。
「まさか!」
嫌な予感が胸を締め付ける。
小百合さんは息子の無事を祈りながら、脇腹が痛むほど全力で走った。
ようやく辿り着いた森の入り口は真っ暗な闇が奥に広がるだけで、昼とは全く違う不気味な風態を見せている。
「大樹!!」
大きな声で息子の名前を叫びながら、森の中へと入っていく。
だがいくら呼んでも一向に返事はない。
背筋にいやな冷たさを感じる。
焦る気持ちが、小百合さんの心を蝕んでいく。
しばらくすると、木々の奥の方でかすかに光る明かりが見えた。
「大樹いるの!?」
そこに向かって、小百合さんは道なき木々の間を進んでいく。
その明かりの間近に迫った時だった。
「きゃあああ!?」
彼女はそれを見て悲鳴を上げた。
明かりの正体は、ゆらゆらと空を漂う鬼火の群れ。
一面を赤く染める、妖しく恐ろしい光景だった。
鬼火の群れの中には、高い木の枝から二つの大きな繭が垂れ下がっていた。
その繭をよく見ると、大樹くんの顔が見える。
目を閉じていて、生きているのかもわからない。
「大樹!!」
急いで声をかけるが反応はない。
大樹くんの隣にある繭は、あの女の子のようだ。
大樹くんと同じように顔だけを出して、体は白い糸でぐるぐるに巻かれている。
その子はパチリと目を開くと、変わらず無表情に小百合さんを見つめた。
どうやら大樹くんと違い意識はあるようだ。
「今助けるわ!」
小百合さんが鬼火の中に突っ込み、子供達を助けようとした時だった。
背後から懐かしい声が聞こえた。
「ニョッキリ!」
「え?」
振り返ると、そこにいたのは幼い頃に見たことのある、あのおじさんの顔。
「ニョッキリ!」
そう言うと、彼の体に変化が起きる。
着ている古びたちゃんちゃんこのような羽織が背中から盛り上がり、突き破って何かが出てきた。
「ニョッキリ!」
言葉に合わせたかのように、どんどん衣類を突き破り出てくる。
槍のように鋭いソレには、うっすらとした毛が生えていた。
土気色をした、おどろおどろしい蜘蛛の足。
小百合さんの目の前で、男が巨大な蜘蛛の化け物に変化した。
足の高さだけでも二メートルはあろうかという巨大な蜘蛛の化け物だった。
────シュルルルルルル
蜘蛛の頭部にある男の顔からは、まるで警戒音のような音を口から出していた。
気味の悪いその顔が、小百合さんをじっと見据えた。
「あ、あああ、あああ」
あまりの恐怖に足がすくんで動けない。
そんな獲物にゆっくりと、大きな足を動かして蜘蛛の化け物は近づいてくる。
その時だった。
「むみょー」
繭に吊るされた女の子が声を発した。
その言葉の意味まではわからなかったが、蜘蛛の注意が女の子に向いてしまう。
わしゃわしゃと、図体にそぐわぬ素早い動きで女の子に近づいていく。
「あ、あああ、だ、だめ」
喰わてしまう。
小百合さんはそう思った。
大蜘蛛は頭部をその子近づけると、顔を左右にコロコロと傾けながら観察している。
「むみょー、ぐるぐる!」
女の子は自分を観察する蜘蛛を気にすることなく、また何かを言う。
それに答えるように小百合さんの背後から、低い男の声が聞こえた。
「ハル、全く。公園で遊んでいたのではないのか?」
「え?」
腰に日本刀を帯剣した、背の高い男だったという。
座り込む小百合さんの横を悠然と歩いて、大蜘蛛に向かって行ったそうだ。
「ぐるぐる!」
この場に似合わない、子供のはしゃぐ声。
ぶらぶらと体を揺らしながら、糸でぐるぐる巻きにされて身動きの取れない女の子は、なぜかその状態を楽しんでいるようだった。
────シュルルルルルルル!!
近付く男に、大蜘蛛は一際大きい警戒音を鳴らす。
「ハル」
「?」
「少し目を閉じていなさい」
「わかった」
「ああ、そこの君もだ」
「え?」
小百合さんが疑問を口にした瞬間だった。
ボオオオオという音と共に何かが上からやってきた。
小百合さんが空を見上げるのと同時に、大蜘蛛についた男の目もつられて空を見上げる。
夜空の中から、真っ白に光る何かが音を立てて降ってくるではないか。
────シュルルル
大蜘蛛が小さく鳴いた瞬間、大蜘蛛の体が爆散し炎上した。
降ってきた白い光の直撃を受けたのだ。
眩い光と轟音が響き、小百合さんはたまらず目を閉じたという。
「ケホッ! ゲホッ!!」
目が眩み、立ち込める土煙にむせこんでいると、あの女の子のはしゃぐような声が聞こえてくる。
「むみょー! もういっかい!」
「こらこら、遊びではない。全く、危ないところだったのだぞ?」
煙の向こうでは、ぐるぐる巻きの女の子のほっぺを伸ばしながら男が叱っている。
彼の傍には繭に包まれた大樹くんが寝かされていた。
「むにょーん」
未だ繭の中から顔だけを出している女の子は、ほっぺを伸ばされ注意を受けながらも、全く気にした素振りはなかったという。
「やれやれ。この子を守ろうとしたのか?」
「あひょんでた」
「そうか、まあ運が良かったな。いや、ハルのおかげか」
「にゅふー」
「こら、そなたはまず自分の身を案じなさい」
グニグニと柔らかそうなほっぺをひとしきり弄んだ男は、二人の繭を簡単に取り払った。
「そこの女性、大丈夫か?」
「え、は、はあ」
未だ目の前の出来事を整理できていない。
あっけに取られる彼女の前に、その男は大樹くんを担いでやって来た。
「この子は知り合いか?」
「え、あ──大樹!!?」
息子の顔を見て、彼女はすぐに我に返った。
我が子を抱きしめて泣く母親を、女の子は黙って見ていたらしい。
「ハル?」
「……」
「おいで」
男はそう言ってその女の子を抱っこすると、背中を優しくさすった。
その子は甘えるように、彼の胸に顔を埋めた。
しばらくすると、サイレンが聞こえ始め警察官と陰陽師がやってきた。
男が事情を説明すると、そのまま車に乗せられどこかに行ったという。
小百合さんと大樹くんも事情聴取と検査のため、まずは病院に行く事になった。
その際中、目を覚ました大樹くんに、バイバイと女の子は手を振って別れを告げたようだ。
寝起きの大樹くんは全く現状を理解できておらず、ずっと混乱していたらしい。
あの森で別れて以降、ハルと呼ばれていた女の子を近所で見かけることはなく、大樹くんはとても寂しがっていたそうだ。
数日後には過去にこの地で起きた子供の神隠しが妖怪の仕業だったと発表され、世間をしばらく賑わせた。
「最初は、もう関わり合いになりたくないと思ったんです」
あの妖怪に関わったのは、大樹くんが遅くまで女の子に付き合ったせいだと、そう思ったらしい。
だが、小百合さんはすぐにその考えを改める事になる。
テレビで報道されたその妖怪の詳細では、ちょうど大樹のような年頃の男子の肉が好物で、日ノ本中を転々としていたため退治が難しい妖怪だったらしい。
もう三十年以上前からその存在が確認されており、ポツポツと子供が犠牲になっていたそうだ。
だが、女児が被害に遭ったことはないという。
「でも今はこう思うんです。あの子と出会えたから、私は大樹を失わずに済んだのかもしれません」
小百合さんが子供の頃にいなくなった子も、ちょうど大樹くんと同じ年の頃の男の子だったという。
もしあの女の子と出会わなかったことを思うとゾッとすると、彼女は話していた。