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母の顔

もともと本編で掲載していたものを別で掲載し直したものです。

本編はこちら

https://ncode.syosetu.com/n5324fy/

ある日のこと。


高校生の智樹さんが家に帰ると誰もいなかった。

いつもは母がいて、夕方のこの時間は料理の支度をしていることが多い。

どこかに買い物にでも出かけたのかと思いつつ、階段を登り二階にある自分の部屋に入る。


その時だった。


「お帰りなさい!!」


自分の部屋に母の服を着た、見知らぬ女が立っていた。


たまらず悲鳴をあげる。

腰を抜かす智樹さんを嘲笑うように、その女はうっすらと消えていった。

目の前の光景が信じられなかったが、あまりの恐怖と混乱に居ても立ってもいられず、家を飛び出そうと玄関まで走った時だった。


「あら、お帰りなさい」

「うわああああああ!?」

「っ! うるさいわね!!」


扉の前に本物の母親がいた。

たまらず、もう一度悲鳴をあげた智樹さんを母親はうるさいと叱ったそうだ。

何が何やら分からず、今しがた起きたことを母親に話す。


「寝ぼけてたんじゃない?」


母親はまともに取り合わず、持っていたスーパーの買い物袋を玄関に置いて靴を脱いでいる。

一体何だったのか、混乱の続く智樹さんだったが、いくら考えても今しがたの現象の答えは出ない。


「ちょっと、どいて」


母親は靴を脱いでリビングに入り、そのまま台所まで行く。

何となくその後を付いて行ってしまう。

反抗期からか、早く大人になって一人になりたいと普段から考えていたが、こんな時は親の存在に安心した。

最近は父親も家にいることが少なく、母親との会話もない。

一人っ子の智樹さんは母親と二人きりで家にいることが多く、食事の際に母から話しかけられてもぶっきらぼうな返事しかしていなかった。

そんな普段の自分に、我ながら現金だなと思いながらも、何となく手持ち無沙汰に台所に突っ立っていた。

いつものように、晩御飯の支度を始める母親。

今度は本物だと、そう安心したその時だった。

冷蔵庫に食材を入れていた母親が、ちょうど智樹さんに背中を向けた状態で屈んだ姿勢のまま動かない。

不審に思い声をかけるが、返事はなく、じっとしたままだったそうだ。

腰でも痛めて動けないのかと心配し、智樹さんが母親に近づいた時だった。

母が振り向いてこういった。


「お帰りなさい!!」


その顔は、先程自分の部屋にいた女の顔だった。


もう一度悲鳴をあげ、智樹さんは今度こそ家から飛び出ていった。

住宅地を抜けた大通り沿いにある本屋まで駆け込む。

とにかく人のいるところにいたかった。

本屋に入ると、立ち読みする人や店員もいて、とにかく他人がいてくれることに安心したそうだ。

バクバクする心臓を整えるため、読む気もない雑誌を手に取り、ひたすらめくる。

当然、内容は頭に入ってこない。

外はまだ明るく、自分と同じように帰宅途中の学生やら買い物袋を携えた女の人が往来しており、いつもと変わらない日常の景色だ。


「どうしよう」


もう一度、家に帰る勇気がない。

こんな時にどうすればいいか分からず、気分がどんよりと沈む。

この日ノ本で幽霊やお化け、人を食う鬼が出たのは昔の事。

今では幽霊や妖怪が出たというのは、たまにテレビやニュースで見るくらいで、まさか自分がこんな目に遭うとは想像もしていなかった。

急いで陰陽師のいる朝廷支部に行くことも考えたが、残念なことにこの街からは電車で四十分はかかる場所にある。

とりあえず、藁にも縋る思いで、この地域にある朝廷支部に電話をかけた。

だが、母親が変だった、違う女性だったというだけでは、ましてや混乱している高校生の、要領を得ない拙い話し方ではまともに取り扱ってもらえなかった。


『とりあえず警察に相談してください』


智樹さんは電話でそう言われ、またもや沈んだ気持ちになった。

ぼうっと本屋の中で雑誌をめくって眺めながら時間を潰す。

いつしか、辺りは夕焼けで染まっており、西日が窓際にいた智樹さんを眩しく照らす。

その眩しさに、ふと視線を上げて窓から外を見た時だった。

目の前の道を陰陽師の証である札帯をつけた、和服の男が歩いていた。

智樹さんは条件反射のように、本屋を飛び出てその男に声をかけたそうだ。


「あ、あの!!」


ゆっくりとこちらに振り返る陰陽師。

隣には紫の着物を着た小さい女の子も一緒だったという。


「なんだ?」

「……えっと」


雰囲気のある男だったらしい。

背が高く、得体の知れない何かを感じたという。

まるで昔語りに出てくる神主のような、今までに感じたことのない、他の人とは違う雰囲気を感じたと智樹さんは言っていた。


「実は……」


智樹さんはたどたどしくも、今し方自分の家で起きた怪奇現象について懸命に彼に話した。

その間、彼はじっと黙って智樹さんの話を聞いてくれていたらしい。

智樹さんが一通り語り終えると、その陰陽師は静かにこう言ったそうだ。


「わかった。だが、オレは“はぐれ”だ。報酬はもらうぞ?」


智樹さんはその一言を聞いてがっくりしたそうだ。

無理もない。


“はぐれ陰陽師”


実力がなく、朝廷所属の正式な陰陽師になれなかった者。

訳あって朝廷を辞職せざるを得なかった厄介者。

インチキ、詐欺、紛い者といった印象の代名詞。

最近は彼らにも組合があるので、よほど騙されたりはしないらしいが、それでも未だにそのイメージは良くない。

智樹さんも、父親が昔、魔払いを相談したはぐれ陰陽師に騙されてよく分からないものを高額で買わされたと聞いていたので、その自白に戸惑ったそうだ。


「お金……かかるんですよね」

「ああ」


やはり、自分はこれから騙されるのではないか。

そんな思いが智樹さんの頭を一瞬よぎる。

でも、家に帰ればさっきの母親に化けた何かが待っているだけ。

頼れるものは目の前の男をおいて他にない。

どうしたらいいか頭を悩ませていると、ふと彼の隣にいた女の子が目に入った。

黒髪でショートヘアの可愛らしい女の子だ。

無表情だが、可憐な雰囲気を持っており、まるで人形のようだったらしい。

子供づれで悪い人はいないだろう。

そう理由をつけて自分に言い聞かせた智樹さんは、思い切って彼に頼むことにしたという。


「わ、わかりましたお願いします!!」

「して、いくらだす?」

「こ、これでお願いします!」


早速、値段の交渉をしてきた陰陽師に智樹さんは面食らったらしい。

当然と言えば当然なのだが、高校生の自分に大人がいきなりお金の話をしてくるなんてという気持ちもあったそうだ。

智樹さんは財布を取り出すと、今週末に友達と買いに行く予定だった、新作の靴のための軍資金一万円を彼に差し出した。


「よかろう」


彼はそれを受け取り、さっと懐にしまうと隣の女の子に話しかけたそうだ。


「よかったな、ハル。今日の宿代と晩飯代が稼げたぞ」

「うん」


それを聞いてまたもや智樹さんを不安が襲ったが、もはや後の祭り。

どうやらそのはぐれは貧乏らしく、その日の生活もギリギリのようだった。

不安でげんなりした気持ちのまま、背に腹はかえられずその二人を自分の家まで案内したそうだ。


「ここです」


家の前に着いて、早速中に二人を案内しようとした時だった。


「ほう、これはこれは」


家を見た陰陽師は、感慨深げに家を見ていたそうだ。

智樹さんの家は、父親が企業の社長をしていることもあり、いわゆる富裕層だ。

家もそれなりに大きく、母親も専業主婦で働いていない。

さっきの会話からするにきっと貧乏な人なのだろうと、だから感心していたのだろうとこの時、智樹さんはそう思っていた。


「こちらです」


二人を中まで案内すると、トントンとまな板を叩く軽快な音が聞こえる。

見ると母親が台所で一人料理を作っていた。


「あちらが?」

「は、はい」


いつも通りの母親だが、智樹さんから見ると決定的におかしかったそうだ。

背中をこちらに向けたまま、動かない。

正確には包丁を動かしているのだが、三人もの人間が部屋に入ってもこちらを気にする様子がない。

カウンターキッチンというやつで、母親の正面にはリビングが広がっている。

この部屋の入り口はキッチンの少し横にあるため、横目で絶対に自分たちに気づくはずだ。

いくらなんでも、絶対にこちらに気付いて何かしらの反応をするはず。


「母さん……」


最近会話が減っていたとはいえ、自分の母親が別のものになってしまったことに泣きそうになったらしい。

もう元には戻らないのだろうか。

不安と焦燥が智樹さんの心を支配した時だった。


「失礼」


陰陽師が母親に声をかけた。

その時、ピタッと包丁を動かす手が止まる。


グググっと。


彼女は体を全く微動だにせず、首だけをこちらに向けた。


「お帰りなさい!!」


その顔はやはりあの女のものだったそうだ。

良く見れば、まな板の上には食材が乗っておらず、ただ包丁を動かしていただけのようだ。


「彼女が母親か?」

「いえ、顔が違います!」


陰陽師の確認に、智樹さんは全力で否定する。

やっぱりさっきのは夢ではなかった。

陰陽師はゆっくり何かを考えるかのように腕組みをしている。

その間も、その女はずっとお帰りなさいと壊れたように叫んでいた。

ハラハラしながら見守っていた智樹さんだが、その時、母の姿をした何かが体を動かした。


「お帰りなさい!」


そう言いながら、包丁を携えてこちらに歩いてくるではないか。

たまらず、後ずさる智樹さんの前に陰陽師が立ちはだかった。


「お帰りなさい!」


人間の動きではなかったそうだ。

お決まりのセリフを叫びながら、その女は手足の関節を無視した蜘蛛のような動きで這いずり、包丁をその男に突き刺そうとした。

思わず、智樹さんが危ないと叫びそうになった時である。

男がその女の額に人差し指をトンっと当てたそうだ。

その一連の動きは、智樹さんには見えなかったらしい。

気づけば、額に指を当てられた女は手足の関節を人間とは逆に曲げながら、包丁を振りかざした状態で静止していたそうだ。

一瞬の出来事に智樹さんは唖然としていたらしい。

そんな時、背後から声がかかった。


「なんだこれは!?」


振り向くと智樹さんの父親が驚いた顔で部屋の入り口に立っていた。

家に帰れば、得体の知れない男と包丁を振りかざした化け物がいたのだ、無理もないだろう。

智樹さんは母親がおかしくなってしまい、はぐれ陰陽師に頼ったことを説明する。

その間も、その化け物は固まったまま動かない。

智樹さんが一連のことを説明終えると、今度は陰陽師が父に声をかけたそうだ。


「失礼、この女の顔に見覚えはないか?」

「え?」


陰陽師の言葉につられて父を見ると、彼の父親は顔を真っ青にして、大量の汗をかいていたらしい。


「し、知らん」


絞り出すような声で僅かに言葉を紡ぐと、下を向いてその女を見ないようにしているのがわかった。


「左様か。まあいい」


そう陰陽師は呟くと、さっと右指を大振りに払った。

同時に女の顔が、まるで薄い皮のマスクを破るようにブレて消えたそうだ。

崩れる母親の体を抱きとめた陰陽師がそっと床に寝かした。

その顔は元の母親の顔に戻っており、ホッと智樹さんは安堵のため息を漏らした。

だが、そんな智樹さんとは正反対に、彼の父親の顔はずっと青ざめたままだったそうだ。


その後、智樹さんが母親の様子を見守っていると、父親と陰陽師は別室で何かを話していたらしい。

しばらくして母親は目を覚ましたが、家に帰った後のことは何も覚えていなかったそうだ。


「それでは」


陰陽師とその連れ子は、もう用はないと言わんばかりに去っていったそうだ。

その際、また同じことにはならないのかと智樹さんが尋ねると、彼はこう言ったという。


「ああ、大丈夫だ。だが、あまりハメを外しすぎないようにな」


その時、智樹さんは確かに見た。

チラリとその陰陽師が彼の父親へ視線を向けたこと。

その視線を受けた父親の顔が気まずそうに歪んだこと。

そして、陰陽師の懐には、さっきまで無かった分厚く膨らんだ封筒があったことを。


その後、母親の体にはなんの異常もなく、いつも通りの毎日に戻ったらしい。

ただ、彼の家庭には少しづつ変化が訪れたようだ。

最近家に帰るのが遅かった父親が、早く帰ってくるようになり、土日は智樹さんを置いて母親と二人で出かけることも多くなったそうだ。

最近、居心地の悪かった家も、母親と父親の仲が睦まじくなるにつれて、次第に良くなっていったそうだ。

両親との会話も増えていき、智樹さん自身もこの一件で親との向き合い方を変えたらしい。

といっても、そんな大層なことではない。

いつもご飯を作り、洗濯をしてくれる母親に、ちゃんと感謝の言葉を伝えるようにしたとのこと。

家族の雰囲気が良くなり、家にいる父親とも話す機会が増え、智樹さんもいろいろなことを相談するようになった。

企業の社長ということもあり、人との付き合い方などでは特に父のアドバイスは実用的で、尊敬の念を抱くほどにまでになった。

だが、あの時に陰陽師と話したことだけは、どうしても教えてくれなかったらしい。


「つまり、そういうことなんですよね」


家族仲は以前と比べようのないくらい良好だが、智樹さんはちょっと納得いっていない風にそんな言葉を漏らしていた。

彼は今でも、家に帰って母親が台所にいると、あの時を思い出して少し緊張するらしい。


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