chapter4
あれから数日、大学近辺はおろか、その他の場所でも事件が起きたというニュースは流れていない。周囲にも、話を聞いたという人間はいなかった。
これで、終わりなのだろうか……。
そんなことを思いつつ、彼の研究室でわたしは暖をとっていた。最近また寒くなってきて、家では毛布にくるまってミノムシになりながら移動する日々を送っている。
だからこうして、ゆっくりと足を伸ばしていられる場所というのは、意外とありがたい場所だったのだなと思いながら、わたしはホットココアを啜った。
「ここってテレビあったっけ?」
「いや無い」
ふと思ったことを訊くと、彼は即答した。「なんで?」
「俺には必要ない」
ということらしい。まあこの時代、テレビがなくても情報は得られる。ググれば何でも教えてくれる便利な現代に、時代遅れの神器はもはや不要なのだろう。いざとなれば、自前のパソコンでネットニュースなり確認すれば、ある程度の情報は得られる。実際、それで十分だ。
「じゃあ、あのニュースのことも知ってるの?」
「ニュース?」
訊くと、彼は首を傾げた。この状況でニュースといえば一つしかないが、思い当たらない彼にわたしは答えを言う。
「この近くに変質者が現れるって噂」
「ん、ああ、まあ噂程度なら」
食堂にいる時などに話し声が聞こえてくることがあるようで、彼は頷く。
「それがどうかしたのか?」
「別に。最近は聞かなくなったからね。もう解決したのかなって」
「どうだろうな」
彼はそもそも事件に興味がないらしい。わたしもそこまで深く話を掘る気はないのだが、生活していると自然に入ってくる話題というだけに無視はできないのだ。
「……送ってくれたりはしないわけ?」
「誰を?」
「わたしを」
目を見つめて言うと、彼は言葉を詰まらせる。その気はまったくないのだが、ちょっと反応を見てみたかったのだ。
しかし、彼は想像していたより優しかった。
「家どこだよ」
「え、送ってくれるの?」
訊くと彼は「今日だけだ」と即座に返してきた。時計を見て「ていうかもう六時じゃねえか」と呆れて立ち上がり、わたしの鞄を持って渡してくる。
すると突然、その体が大きく揺れた。バランスを崩して膝をついた彼は、体を硬直させる。
意図しなかった体の反応に、彼自身戸惑っているようだった。
「大丈夫?」
「……ああ。悪いが先に出ておいてくれるか、薬を飲みたい」
「ああ、うん、そうだね……」
わたしは言われるまま研究室を出た。顔色の悪い彼を残して行くのはなかなか気が引けたのだが、これを言われたことは今回が初めてではない。
しばらくして彼が出てきた。いつもは着ない唯一の上着を羽織って、冬の外気に備えた格好をしている。しかし、顔色は悪そうだった。
そんな彼に、気軽に「じゃあ行こうか」とはとても言えず、わたしは距離をとる。
「やっぱり今日はいいよ、もともとそんな気はなかったし。ごめんね、変なこと言って」
すると彼は、ぶるぶると体を震わせながら言った。
「それで、はいそうですか、って帰る男はいないだろ。いいから歩けよ。ただでさえ寒いんだから」
彼は言葉通り数メートル後ろを付いて歩いた。もう冬になろうとしている今頃は、夜が訪れるのも早い時間帯だ。
ゆっくりしすぎて時間を忘れていたわたしが一番悪いが、彼はそもそも、こんなことをする人間じゃない。本当なら、遅くなる前に「もう帰れよ」と自分から急かしてくるような人間だ。そんな彼が、今日は様子がおかしかった。
「ねえ、本当に大丈夫?」
いつの間にか、フラフラになりながら歩く彼をわたしが支えていた。最初こそ「一人で歩ける」と言っていた彼だが、無視して肩を貸していると、だんだん口数が減っていった。
「今日は泊まっていっていいから。お願いだからそうして」
強く言うと、彼は拒むことなく小さく頷いた。