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致死量のキスをした  作者: さすらいの乙女
1/12

chapter1

 獣のような目を覗かせながら、彼がわたしを見つめている。荒い吐息を吐きながら、ゆっくりと距離を詰めてくる。

 不意に、そばの机に彼の足がぶつかり、中身の入ったティーカップが盛大に割れる音が響いた。破片が散らばり、机を流れる黄色の液体が、ぽつぽつと滴りカーペットにしみを作った。

 彼がその様子に、素顔の見えない前髪をわたしに見せながら、首だけ向けていた。そして無言のままわたしの方を向き、ソファーの上で、強引に押し倒した。


「……」


 そうしてやっと見られた彼の顔は、いつもの無表情と何ら変わりない。しかしその眼の奥に宿る彼の本能が告げていた。


 乾く……。


 彼は飢えているのだ。それを悟らせまいと、顔には出さずに。けれど行動には出てしまっているから、大して変わりはないと思うのだが。

 しかしそうだと分かると、恐怖はあっという間に薄れた。

 わたしは彼の首に手を回し、ぐっと引き寄せて耳元で呟いた。


「……いいよ」


 ***


 朝食のパンを口に咥えながら、わたしはテレビに視線を向けていた。黙々と咀嚼するリズムで、ぽちぽちと音量を上げる。


『続いてのニュースです。昨日深夜、東京都内にある大学付近で、帰宅途中だと思われる学生が意識不明で倒れているのが発見されました。発見者の証言によると、被害者には首元を噛まれたような痕があり、同様の事件が数件、他にも起こっていることから、同一犯のものとして捜査を進めています。続いて———』


「またか……」


 リモコンを持ちながら、わたしはため息を吐く。最近ずっとこればかりだ。しかも通っている大学付近の映像を流されては否定のしようもない。大学でもこの事件の話題が飛び交っているというのに、家でもその話題を出されたのではたまったものではない。


 早々にチャンネルを変えて、別のニュースを見ることにする。

 しかし面倒なことに、別のチャンネルでも同様のニュースが流れることがしばしばあるのだ。時間帯を変えて、朝流れたニュースが昼にまた流れるというのも珍しいことではない。大抵、そうなるのは人々の注目を集めやすいビックニュースに限られるが、この事件も、少しずつそうなってきている。


 朝食を食べ終えると、わたしは大学に向かった。

 家から徒歩二十分、近いというのもなかなかこういう時には困る。人混みに紛れて信号を渡っていると、見覚えのある人影が手を振っているのが見えた。

 途中、点滅しだしたせっかちな信号に圧されて、小走りで渡り終える。

 わたしは手を振り返しながら人影に近づいた。


「カオル、どうしたの?」


 照れ隠しのように頭を掻いたのは、同じ経済学部に在籍する三島(みしま)(かおる)だった。


「いやー、ちゃんと無事かなって。ちょっと心配になってさ」

「朝は襲われる心配ないから大丈夫だと思うよ」

「あー、それもそっか」


 二人とも、事件のことだと言わずともわかっている。あの事件は全て、人の少なくなる深夜の時間帯で起こっているのだ。だから、人目の多い朝に襲われる心配はまずないと思っていい。けれど、カオルがわたしを心配してくれる理由についても理解できるから、あまり夜には外出しないようにしている。


「襲われたのがみんな女性だっていうじゃない。殺されることはないにしても、後ろから気づかず噛まれるとかたまったもんじゃないわよ」

「そうだね」


 わたしは苦笑した。まだニュースを見ただけの結果だが、女子学生が狙われているというのは間違っていないのだと思う。まだ知人に被害者は出ていないにしても、それが油断する理由にはならないのだ。


「それでも毎日講義はあるし課題は多いしクーラー効きづらい講義室あるし……。————もう、ありえないっての!」


 うがあ、と今にも暴れ出しそうな勢いの彼女に、わたしはまた苦笑いで対処した。こんな恐ろしい事件が頻繁に起こっているのだ、ストレスも相当溜まっていたのだろう。カオルはうーんと大きく伸びをした。


「ここでパーっと飲みにでも行きたいもんよねえ」

「わたしたち、まだ未成年だから」

「あ、そうだった。失敬失敬」


 大好きな大河ドラマの登場人物よろしく謝るカオルにわたしも乗ってあげた。「いいぞよ」


 話をしていると気は紛れるし、大学への道のりも一瞬に感じる。お互いに一限目からの講義に憂鬱な気持ちになりながらも、わたしはあくびをこらえて講義室に向かった。





 全ての講義を終えて、わたしは大学の構内を一人歩いていた。

 ちょっと難しい問題に直面して、担当の教授の研究室と図書館を行ったり来たりしているうちに、時刻はすっかり夕方を過ぎていた。教授の先生に「もう遅いから帰りなさい」と優しく注意されていなければ、もっと遅い時間になっていたかもしれない。


 棟を出て、まだ開いているだろうかと食堂に向かった。売店はまだギリギリ開いているようだったから、どこかで間食でもしようと、わたしは適当な菓子パンを一つ買った。

 ひゅるると冷たい風の吹く秋の夜。右手にレジ袋を持って歩いていると、暗闇のなか声が聞こえた。


「なあいいだろ、誰もいねえし」

「えーでもこわいよ。見つかったらヤバイじゃん」


 丸聞こえなんですが……。

 そんなことを思いつつ、声のした方向に視線をやると、カップルだろう、男女の二人が肩を抱き合って歩いていた。顔は、はっきりとは見えなかったが、男の方の服装は一目で派手だとわかった。おそらくは、どこか隠れられる場所を探しているのだろう。


「絶対大丈夫だって。前に良い場所見つけたんだよ。あそこなら誰にも見つからないから」

「えー、本当?」

「ホントホント!」


 自信満々に頷いた彼氏に、彼女の方もまんざらではない様子だった。


「じゃ、じゃあ……」


 ヤル気らしい。マジかとわたしは一瞬足を止める。気づかれる気配は全くなく、このままでは一部始終を目撃してしまう可能性があった。それ自体についての興味は全くないのだが、いちおう此処は大学という学び舎だ。そこで別のことをするのはちょっとどうなのだろうと思わなくもない。

 わたしは尾行を継続することにした。不完全燃焼させてやるとかそういう気持ちではなかったが、場所を押さえておくに越したことはないと思った。

 暗闇に乗じるために音の出る菓子パンの袋を鞄のなかにしまう。


 しかし、そんな場所、本当にあるのだろうか。誰にも見つからない場所なんて、絶好の隠れ喫煙スポットにでもなりそうなものだが。

 その予感は、当たらずとも遠からずという感じだった。彼らが向かったのは、構内にあるいくつかの喫煙所の一つだった。

 緑色の夜間照明が怪しい雰囲気を漂わせるその喫煙所は、心霊スポットにでもなりそうなほど遠目からでも不気味な感じがした。


「こ、怖くない……?」

「大丈夫だって。それに、ちょっとでもスリルあった方が良くね?」


 彼氏の強引な誘いに、彼女の方は引き気味だ。しかしそのまま連れて行かれ、入り口まで二人は向かって行った。


 ……?


 二人の足が、入り口で止まった。中を見た彼氏の方は、なぜか体の向きを変え、喫煙所を後にした。女性はわけがわからない様子で、しかし後ろをちらちらと振り返りながら、彼氏の後を追う。

 姿が見えなくなると、わたしは恐る恐る物陰から出て、喫煙所へと近づいた。深夜病棟にでも迷い込んだような感覚に襲われながら、中を覗く。

 中には一組の男女がいた。強く抱き合っているように見える二人は、どちらも顔が確認できない。まさか幽霊などではないと思うが、少し不気味だった。

 すると、女性の胸に顔を埋めた男の顔が持ち上がった。長い前髪で顔の半分くらいしか見えなかったが、整

った顔立ちだとわかる。そしてその顔は、そのまま方向を変えて、わたしの方に向いた。


「えっ」


 わたしは声を漏らした。驚きももちろんあったと思う、しかし、それ以上に恐怖が勝った。


 ……その後のことは、よく覚えていない。逃げるように無我夢中で走った記憶は朧気に残っているが、何を見たのか、男の顔が思い出せなかった。

 きっと暗かったせいだ。だから全部夢にでもしてしまおうと、都合の良いことを思った。


 けれど、その時見たもののことは、夢とはとても思えなかった。


 生々しく、ねっとりとした感触のそれ。暗くて何かとわかったのは、たぶん直感なのだろう。

 誰のものか、おそらくは男のものではない、血が、その口元に付いていたことだけは、なぜか鮮明に覚えていた。



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