1-3. 賢者様とレオン【前編】
もし、自分の家の庭に見知らぬ他人が死体を持ち込んでいたとしたらどうだろう?
その日、ティリスはまさにそういう場面に遭遇した。
持ち込まれたのは死体よりもタチの悪いもの。
動く死体、ゾンビだった。
カムラの皇帝とシグルドの美姫の見合いを控えた午後。
お気に入りの紅茶を入れて、中庭の東屋でティータイム。
それがティリスの日課なのだが、その日、芳しい紅茶の香りを無残に抉る、強烈な悪臭がティリスの庭を襲った。
何事かと確かめに行き、ティリスは危うく絶叫しそうになった。
そこにいたのはアンデッド。ゾンビだったのだ。
何をトチ狂ったか、小綺麗な抹茶色の帽子をかぶり、同色の賢者の正装を身につけた、腐った死体。
普通の女子供なら絶叫で済めば良い方で、卒倒してもおかしくない。そのくらい強烈なやつだった。
「て、てめえ、ここで何してやがる!」
心臓はどくどくと打っていたが、ティリスは精一杯の虚勢を張って、啖呵を切った。
武器はレイピアだ。しかし、腐った死体に、レイピアなどという、細身の剣での攻撃が通用するのだろうか。レイピアは突く武器だ。あまり、死体向きではない。
こういう場合はむしろなぎ払うタイプの、大剣などが有効だ。銀製ならなお良い。
ちなみに、ティリスが啖呵を切った相手はゾンビではなく、その脇に立つ青年だった。
綺麗な顔をしているが、邪悪に赤く発光する左目が、彼が死霊術師であり、今まさにゾンビを操っている、という事実を知らしめていた。
青年の短い栗色の髪が、さらさらと風に揺れている。
発光していない、鳶色の瞳がティリスを見た。
「見てわからないのか? 夜会に出る準備をしている」
「夜会に出る準備ぃ!?」
――だれの。
危うく喉まで出かかった問いを、ティリスは飲み込んだ。
ゾンビの、とか言われたら、イヤだから。
「ここはオレの庭だ! 人の庭で、勝手に死霊術なんか使うんじゃねえ!!」
「この国は、客に対する礼儀がなっていないみたいだな。死霊術は、カムラ皇帝の趣味だ」
「なんだそれ!? 最悪じゃねーか! 死霊術なんてのは、禁忌だぞ!! てめえ、安らかに眠っていたのに起こされるアンデッドの気持ち、考えたことがあんのか!」
「えっ……」
そう来るとは思わなかったらしい。青年はどことなく怯み、うかがうように脇のゾンビを見た。
「ロズ、済まない。そんな風に考えたことなかったけど……君は……」
気遣うような青年に、ゾンビは優しく笑って(たぶん)、声帯も腐っているため聞き取りにくい声で答えた。
「いいんだよ、レオン。私はあなたに会えて良かったと思っている。こんなところにまで、連れてきてくれて……とても嬉しいんだよ。しかし、あの子も優しい子だね。確かに、アンデッドの多くは、心無い主人の仕打ちに苦しめられている」
「そうか……わかった、死霊術は、むやみに使わないことにするよ。僕は、君がいてくれればいいんだ」
ちょっと待て。
どこかの恋人同士か、あんたらは。
「なに、『ちょっといい話』展開してんだよ! ちょっと感動したろ! それより、てめえ、そんなゾンビ夜会に連れ込んで、滅茶苦茶にする気か!?」
夜会自体は、別に滅茶苦茶になったっていい。ただし、怪我人が出るのはだめだ。
ぴくんと、青年の目がつり上がった。
「そんなゾンビ? 聞き捨てならないな。どうしてロズが夜会に出たら、滅茶苦茶になるんだ。偉大にして高貴なる賢者、ローゼンタール・パゼルワイマー様に対し、無礼だ。謝れ」
「……は?」
誰が賢者?
というか、その時、ティリスは冗談じゃないことに気付いた。ゾンビがその手に抱えているもの。『仲人の心得』と銘打たれた分厚い本。ちょっと待て。いや、たくさん待て。
「!」
青年の左目が赤く輝いたかと思うと、ティリスの体の自由がきかなくなった。
「な……」
ひざを、次には手を、地につかされる。
「知っているか? 死霊術というのは、肉体を操る術だ。ロズは特別だが、通常は魂をなくしたしかばねを操る。とはいえ、僕の精神力が完全に相手のそれを凌駕すれば、こんな風に、生者の肉体といえど意のままだ……」
「く……誰がてめえなんかの言いなりに……!」
青年は、ティリスに土下座させようとしているようだった。ゾンビに向かってだが。
「言いなりじゃないか」
青年は見下した笑いを唇の端に浮かべると、左目を再び赤く光らせた。