1-1. 姫君の災難
「一大事だ」
主だった重臣たちを集めた議場で、王が深刻な顔で切り出した。
近年、稀に見る一大事だと。
「大帝国カムラの皇帝が、傾城の美姫との噂を聞いて、ティリスに見合いを申し入れてきた」
これには家臣一同色めき立ち、大騒ぎになった。
……これが一大事って辺り、シグルド王国って平和かも。
「静粛に! 相手はカムラの皇帝だ、そそうがあってはならん。だが、ティリスに女装ができるかとなると……」
「ティリス様は姫君ですわ! 女装も何も……」
カタリーナの抗議に、王は「そうだったな」と鷹揚な返事をした。
「問題は、ティリスに姫のふりができるのか、ということだ」
……カタリーナの抗議は却下されたらしい。
さらには、重臣達までもが頷いていたりする。
「父上、カムラの皇帝とはどんな方なのですか?」
アディスが尋ねた。
おかまではつまみ出されてしまうため、今は王子の姿だ。
――これが結構、かっこ良かったりする。
ゆったりと結わえられたプラチナ・ブロンド。
明るい翠の瞳は誘惑的で、普段のおかまぶりなど微塵も感じさせない。むしろ、どことなく憂いの見えるその瞳など、酷く乙女心をくすぐるものだった。顔立ちはもとより秀麗なのだから、これで王宮内を歩こうものなら、大げさではなく若い女性が群がるだろう。
「うん? 今年四十九になる、好色で、野心家の皇帝だ。趣味は黒魔術やら、死霊術やら……あまり好ましくはないが、カムラに睨まれては、シグルド王国の存亡に関わる。誠心誠意、歓迎せねばなるまいて」
これには、カタリーナなど卒倒しそうになった。アディスすら、しばし絶句した。
「……父上、ティリスが可愛くないのですか。それは、見初められた場合の方が、よほど一大事でしょう?」
当のティリスは、ここには出席していない。会議の類は嫌いなのだ。
「アディス、気持ちはわかるが、これは王家に生まれた者の宿命だ。可哀相だが、見初められてしまった時には、差し出すしかないのだ。それよりも、今問題なのは、ティリスがそもそも姫として振る舞えるかという――」
「なりません!」
カタリーナが叫ぶように言った。
「なりません、なりません、なりません!! そんな――!! 姫様は、まだやっと十五になられたばかりなのですよ!? そんな縁談、あんまりです!!」
「カタリーナ……」
国の有事に感情を持ち込むなと、諌めかけ、王は黙った。蛇に睨まれたカエル、という状態だ。カタリーナときたら、ものすごい目で王を睨んだ。
重臣たちも、何も言わない。
カタリーナの殺気に恐れをなしている。
参加者の手加減があったといえど、武術大会優勝者の気迫と実力は、底知れない。
「……そもそも……アディス王子がいけないのですわ……」
しんとした城の議場に、カタリーナの低いつぶやきが漏れた。
「傾城の美姫と謳われたのは、ティリス様ではなく、アディス王子です。このような見合い……そうですわ、アディス王子が責任持って、お受けになれば良いのです! 姫のふりなら得意中の得意でしょう!?」
「なにいいぃぃぃ!?」
今度は王が卒倒しそうになった。
「冗談はよせ、カタリーナ。万が一、アディスが見初められたらどうする気だ!」
「嫁げばよろしい」
アディスだと思って無茶を言う。
「実は男だったと知れたら、戦争になるわ!」
「噂の傾城の美姫を一目見たいと言い出したのは、あちらでしょう!? 見せて差し上げればよろしいのですわ。アディス王子を女性とカン違いするもしないも、向こうの勝手です。知ったことではありませんわ」
アディスは参ったなあという顔をしたものの、やがて、こめかみを押さえながら言った。
「……そうですね……わかりました、私が出ましょう。ティリスがそんな所に嫁ぐなんて、見ていられませんし。確かに、あの子に作法通りの接待など期待できませんし。なんとか……見初められないよう、努力します」
際どい。
そそうがあってはいけないわけで。
好かれてもいけないわけで。
アディスにとっても、ひどく困難な仕事だった。
しかも、失敗は許されない。
アディスの端整で憂いを帯びた横顔を見ながら、皆、何となく、いやあな予感を覚えるのだった。