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逆張り

婚約破棄は始まらない

作者:

 応接室のように見えるとある部屋。調度品はきらびやかでこそないが一目見れば最高級の品であることがわかる。

 部屋の真ん中に置かれたローテーブルを挟んで3人の男女がソファに腰掛けている。

 1人は金糸の髪と紺碧の瞳を持つ美少女、ジャクリーン・テステラント侯爵令嬢。猫のようなぱっちりとしたツリ目と醸し出す雰囲気からやや近づき難さを与えるが、作法、政治、社交など様々な点で優秀であり、多くの令息令嬢が繋がりを持ちたいと願う宝玉のごとき少女だ。

 対面するのはダークブロンドの髪を短く整えた美麗な少年。ユージン・アークライト第一王子、王太子でありジャクリーンの婚約者でもあった。

 ユージンとジャクリーンは幼い頃から親によって婚約を取り決められ、ユージンの王位継承と共に結ばれることが決定している。互いの能力を信頼しており、決して険悪な関係ではない。

 しかし、部屋には緊迫した空気が張り詰めていた。ジャクリーンはその原因の一つであるもう1人の少女を見やった。


「殿下からお手紙をいただいて参りましたが……殿下、そちらのご令嬢はどなたですか?」


「彼女はミシェル・トレイナ子爵令嬢、今回ジャクリーンを呼んだ理由でもある」


「み、ミシェル・トレイナと申します」


 ユージンが目で促すと、もう1人の少女――ミシェルが頭をさげる。

 栗色の髪に焦げ茶の瞳、与える印象はジャクリーンとは真逆で、ジャクリーンが猫だとするならばミシェルはさながらウサギのような少女だった。

 やや萎縮した様子のミシェルを気遣いながら、ユージンはジャクリーンの顔を見据える。ジャクリーンは顔色一つ変えずユージンの次の言葉を待っていた。

 僅かに冷や汗をかきながら、ユージンはジャクリーンを呼んだ理由を話し始めた。


「……頼みがある。即位の後、ミシェルを側妃にしたい」


 ユージンが頭を下げると、慌ててミシェルもそれにならい頭を下げる。ジャクリーンは少しの間瞑目して、2人の頭を上げさせた。


「まずは確認させていただきます。妾ではなく側妃になさりたいのですね?」


「あぁ。しかし、ジャクリーンと父上のどちらかが『側妃は駄目だが妾ならば』と言うならばそれで構わない。ミシェルを側妃にしたいのは、妾より少しでも丁重に扱ってもらいたいからだ」


 ジャクリーンの確認にユージンは頷き、少し訂正する。通常、側妃と妾の差は子供の継承権の有無だ。正妃が跡継ぎを産めなかった場合に継承権のある子供を産むことができる側妃の方が当然ながら扱いはいい。


「ミシェルは子爵令嬢だが聡明だ。今からちゃんとした教育を行えば、即位までには側妃として充分な教養を身につけられる。考えてもらえないだろうか」


「なるほど……殿下のお気持ちはわかりました。では私からトレイナ子爵令嬢に1つ確認を」


 ジャクリーンの言葉にミシェルは改めて居住まいを正す。ジャクリーンはミシェルの瞳をしっかりと見据えて問いかけた。


「トレイナ子爵令嬢、このお話、あなたは地位が目当てではありませんね?」


 張り詰めた空気が揺れた。ジャクリーンの言葉にミシェルは大きな反応を示さなかった。しかしそれは決して無反応だったわけではなく、下級とはいえ貴族令嬢であるミシェルが感情を顕にしないように抑えた結果だった。

 そして、そんな僅かな揺らぎだけでも高位貴族である2人には充分だった。

 ミシェルはジャクリーンの目を見つめ返し言葉を紡ぐ。


「……テステラント様、愛の女神アーガシーシャ様に誓って、私は殿下をお慕い申し上げております。」


 ミシェルの言葉に2人は息を呑んだ。

 単なる言葉ではない。不実の愛を激しく嫌う愛の女神アーガシーシャへ愛を誓うということはすなわち、それを違えたときに己の命を神に捧げるという誓約にほかならない。

 神殿へとこの誓約の届け出がなされれば、誓約が破られたときに第一級背信者として破門される。それは貴族としてはおろかこの国の国民として致命的なことだった。

 しかし2人が息を呑んだ理由はそれではない。ミシェルの声に籠められた隠しきれないほどの熱と覚悟。隠せなかったことを不出来であると責めることはできまい、それほどの想いが乗せられていた。

 真正面からその想いをぶつけられたジャクリーンは再び瞑目し、そして頭を下げた。


「失礼しました、トレイナ子爵令嬢。貴女を侮っていたわ」


「あ、頭を上げてくださいテステラント様! 私程度の者に頭を下げてはなりません! それに、テステラント様のご懸念も未来の国母として当然のことです!」


「では、貴族としてではなく1人の女、ジャクリーンとして謝罪させて。今の質問は侮辱だったわ」


 ジャクリーンは頭を上げるとユージンに向かって微笑む。


「トレイナ子爵令嬢……いえ、ミシェルを側妃候補として婚約者にすることに賛成いたしますわ、殿下」


「ジャクリーン、ありがとう……!」


「ただし、側妃としての教育はちゃんと受けていただきます。殿下の即位までに要求水準に達しなかった場合は、充分な教養が身についたと判断されるまでひとまず妾として教育を受けてもらいます。それが条件です」


「は、はい! 私頑張ります!」


 喜ぶ2人を見てジャクリーンは、まだ陛下に許可をいただいたわけでもないのにと苦笑する。とはいえ、ジャクリーンの知る国王ならばこの条件で十中八九許可するとは思うのだが。


「さて、好敵手が現れてしまった以上、私も殿下への愛をもっと示すべきですね」


「……へ?」


「あら、やっぱりご存知なかったのですね。確かに私と殿下の婚約は政略結婚ではありますけど、私も私なりに殿下をお慕いしておりますのよ? そうでなければ、いくら相手が婚約者とはいえ、お酒で前後不覚になっている殿方に胸を触らせなどいたしませんわ」


 ジャクリーンはしれっと告げたが、ユージンの驚きも不思議ではないだろう。普段のジャクリーンの態度からは嫌ってはいないことはわかるものの、ユージンへの思慕など見つけられるようなものではなかった。

 ジャクリーンにしてみればユージンが初恋の相手であり、普段は貴族令嬢として取り繕っていただけなのだが。

 そしてミシェルは未だ呆けているユージンをよそに、別の部分が引っかかって声を上げる。


「む、胸をですか……?」


「えぇ、殿下は泥酔なさるといつも私の胸に顔をうずめてくるのです。貴女も覚えがあるのではなくて?」


 ユージンが無類の酒好き――この国では15歳から飲酒が許されている――であることは有名だ。悪酔いこそしないものの自制心が著しく下がるタイプであるユージンは、しかも酔っている間の記憶も飛ぶために自分の行いをまったく把握しておらず、ジャクリーンの発言に大きな衝撃を受けていた。

 しかしユージンに告げられる衝撃の事実は続く。


「え、えぇと……私の時はいつも膝枕を所望なされていました……」


 部屋に沈黙が降りる。豊満な胸にスラッとした細い脚を持つジャクリーンと、スットントンであるがむっちりとした太ももを持つミシェル。

 互いを見ていた2人の目がユージンへ向く。スケベ王子は目をそらすが顔からは先程とは比べものにならないほどの冷や汗がにじみ出ていた。


「……ミシェル、婚約者同士すこし情報交換しましょう。日頃のケアとか」


「そうですね。お母様を見る限り私にも将来はあるはず……」


 意気投合した正反対の2人が無事王妃となって見事に国王を尻に敷くのは、そう遠くない出来事である。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 本当に始まらなかった(笑) 王子の秘かな楽しみが、よりによってこんなところでバレてしまうとか……可哀そ過ぎる(笑) [一言] いい意味でニヤニヤさせてもらいました。
[良い点] 側室を持つのが当たり前の王族で全員がその常識内において最低限誠実ならこうなるべきお話ですな 取り敢えず王子は爆発しろ
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