前編:加藤は応答する
ちょっとミステリーみたいなのを書いてみたくなりました。ぜひ。
遭難してしまった。今では「そうなんです、遭難です」とかいうダジャレで笑うこともできなくなった。時は日没前。早く下山しないといけないのが百も承知だが、どうにも来た道が見つからない。先に別のルートから行った友人の誰かが無事に下山してくれているといいのだが。勿論ここは圏外だが、誰かがひとりでも下山できたなら、救助を呼ぶことだってできる。俺はそれを期待して、できるだけひらけた場所から離れないようにして登って来た道を探している。幸い、俺は野宿ができる最低限くらいの装備はある。最初この登山を予定するとき、山小屋に泊まるはずなのを俺は聞き漏らしており、野宿すると勘違いして必要そうなものを全部持ってきたのだ。麓ではさんざん馬鹿にされたものだが、こうなると正解だったと思える。とりあえず、今いる場所の周囲には求めている道はないようなので、野宿の準備を始める。
とはいえ、俺は登山初心者であり普段から野宿をするような生活をしていないため、詳しいやり方は知らない。ただ、テントを立てて風をしのぎながら寝袋を使えればまあいいだろうという考えだ。それに食糧だってある。缶詰めであまり量はないが、もともと俺は少食なほうだからあまり問題はない。これから何日この生活をするかわからないし、とりあえずあまり多くは食べないことにした。少しの間缶切りが見つからなくて焦ったが、缶詰めの下に隠れていた。俺は手際よく蓋を開け、そこであることに気がつく。なんと箸を忘れていたのだ。いくら急ごしらえだったとはいえ、食器がなければ食べにくい。まあ何も食べられないよりはマシだと自分に言い聞かせ、犬のように食べた。普段なら気にするところだが、どうせ今俺の周りには誰もいないし、どうでもいい。そんなことより夜空が綺麗だ。いつも夜に空を見上げるようなことはしないから、夜空の綺麗さに驚かされる。街中だとやはりこうはいかないのだろうが、遭難して初めてのよかったことだ。周りに誰もおらず美しい自然に囲まれて、俺は少しばかり開放的な気分になってきた。どうせなら裸になって踊ってやろうかとも思ったが、上着を脱いだ時点で寒くてやめた。そう、山を侮ってはいけないのだ。厳しい自然の中では、ふざけては生き残れない。そんなことを考えながら、俺は眠りについた。
翌朝、というか多分昼。俺はスマホで時間を確認し、通知が来ていないことに安堵したが、ここが圏外であることを思い出してため息をついた。とりあえずどこかで聞いた「山で遭難したら高いところに行け」という話に従おうと思い、テントを畳む。どうせここにいてもやることがないからだ。それに、無理に下山しようとしてもっと迷ったら困る。せっかくならより助かりそうなことをしたほうがいい。疲労が回復しきっていなかったのか、荷物を持った時に少しよろめいてしまったが、まあ大丈夫だろう。とにかく、今いるところよりも高いところに移動する。また日没が近づいたら、テントを立てるとしよう。
日没前になって、そこそこ高いところまで登ってこれたように思う。救助が来ている様子はないが、高いだけでそんなに広い山というわけでもないようだし、誰かは確実に下山できているだろう。そうだといいな。とにかく、昨日と同じようにテントを広げ、缶詰めの夕食を食べ、寝袋に入って眠りについた。寝る前に少し汗臭さが気になったが、風呂に入ることはかなわないので我慢する。家に帰ったら二時間くらい入り続けたい。
そして三日目の朝、今度はちゃんと朝に起きた。朝日が昇ってくるところだったから間違いない。正しく言うと起こされた、だが。俺は今、鳴り響く電話の音で目覚めた。最初は寝ぼけていたのでああ早く取らなきゃとしか思っていなかったが、鞄にしまっていたスマホを探しながら事態のおかしさに気づいた。ここは電話が圏外のはずである。ならば、通話できるわけがない。しかし実際、スマホはアラームでも通知音でもなく確かに着信音を鳴らしている。信じがたいが、山には人ならざるものが住んでいて、人間に悪戯をするらしい。まさかそんなものが実際に存在するとは思ってないが、それでも怪しいのには変わりないし、眉に唾つけておくに越したことはないだろう。スマホを取り出してもまだ着信は切れていなかったので、俺は電話に出た。
「もしもし、加藤か?」
加藤は俺の名前だ。そしてこの声から察するに、相手は高橋だろう。しかし念のためカマをかけてみる。
「もしもし、加藤だ。その声は…もしかして田中か?」
田中は遭難して別ルートから下山を試みた友人の名である。高橋もそうだが、果たして高橋が無事に下山できたのか。
「何言ってるんだ、高橋だよ。登山の約束を取り消しになったのに数日消息不明になるとは、お前は何をやってるんだよ?」
高橋は何を言っているんだ?登山の約束が取り消しになっただと?俺は確かに三日前に皆で集まって、そして登山することになったではないか。そして途中で迷子になり、下山しようと頑張ってみた結果、最初に登ってきた道を見失って、それぞれに分かれて下山ルートを探してみようという話だったではないか。俺の心に一つの疑念が宿る。本当に俺が一緒にいたのは高橋達だったのか?いや、それこそこの電話の相手の思うつぼだろう。きっと俺を混乱させるのが目的に違いない。騙されてやるもんか。俺は確かにみんなと麓で集まって、そして荷物の多さを笑われたのだ。俺の記憶で、これだけは確かだと思える。他は曖昧な気がするが、それでも麓まで集まったのだから皆で登ったのだろう。そう考えるのが自然だ。それで間違いないはずなんだ。しかし、何故か胸に違和感が残る。何かがおかしいのではないか、何かが違うのではないか。不安は膨らむが、それが何なのかははっきりとわからない。俺はかぶりを振り、とりあえず助けを求めた。
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