試練
「お父さん…、今日って何日……?」
薄暗い病室で止まってしまったような時間を虚ろな眼差しで確認する莉子。
「今日は30日だ。今年もあと少しだな。」
静かな空間に逆らう事なく穏やかな声で話す父。
「先生には…まだ逢えないの??」
湊の話になるとすぐに涙で視界が歪んでくる。
「………、そうだな……。」
思い悩んだ表情を見せる。
「莉子……。お前、湊くんと結婚でも考えてるのか……?」
病院に運ばれた日に莉子の薬指の一際輝く指輪に、莉子の父は何となく予感はしていた。
「うん……。前から卒業したら結婚して欲しいとは言われてたんだけど、クリスマスの日、久しぶりに逢って、婚約指輪もらったの……。」
思い出すと泣けてくる。あの事故の後何かしらの喪失感に襲われて気持ちがずっと不安定になっている莉子は大事をとって、今日まで入院を伸ばしてきたが、お昼前には帰らなければならない。
湊とは同じ病院にいると聞かされていたのに逢えないなんて…、実は彼に何かあったんじゃないかと良からぬ想像までしてしまう。
目覚めてから取り乱す事の多い莉子には二人の仲の事で騒ぎになっている事は知らされていなかった。
莉子の父は当然湊は弟である涼の生まれ変わりだという記憶も完全に消し去られていたが、不思議と何も変わる事なく湊を信頼する気持ちは薄まるどころか、莉子に堂々とプロポーズをするくらいの本気を見せてくれている事に強い好感を持った。
「なぁ、莉子。彼と、籍だけでも入れたらどうだ?」
父の口から出る意外な言葉に莉子は父を凝視する。
「お父さん……本気で言ってるの??」
まだ信じられないという気持ちでもう一度確認する。
「あぁ。私は彼を信頼しているし……反対する理由もないしな。その方が…色々筋も通るだろう…。」
湊の今置かれている状況を案じて少し早いとは思ってもいるが…彼なら莉子を幸せにできるだろうと考え抜いての結論だった。
一方湊は一足先に退院して、学校に足を運んでいた。
「この受験の大切な時期に……君は一体何をやっているんだね?」
終業式の日、莉子と湊は事故で欠席したが、その日早速桃がクラスの女子達に前日目撃した事をペラペラと話した事が一気に広まり教師達の耳に入るのも時間はかからなかった。
「そもそも、この噂は本当なのか??」
緊急に召集された職員会議で湊批判の的に晒されていた。
湊はもう嘘をついても仕方がないか……と、クビを覚悟でゆっくりと話し出す。
「はい…。羽鳥さんとは…卒業したら結婚も考えてお付き合いさせていただいています。」
急にざわめき出す職員室。
教師と生徒のあるまじき関係に一気に湊への見る目が変わる。
「新井先生……!あなた、一体何をやらかしたのか…きちんと分かってるんですか?これは大変由々しき問題ですよ!!」
学年主任が感情のままに大声を上げる。
「新学期からどうするおつもりですか?生徒達には何と説明するつもりなんですか?これから受験だって時にどういう神経してるんです?!!」
どの職員も頷き同調する。
「……あの…。一言言っていいですか??」
そんな重たい空気の合間を縫って静かに手を上げるのは養護教諭の粕谷先生だった。
「羽鳥さんは…まあ18歳を越えてますし、結婚を前提にお付き合いしてるんでしょう?新井先生、彼女のご両親はあなた達の事を何と仰ってるんですか?」
穏やかな表情を向ける。
「もちろん、応援してくださってます。結婚の話はまだしておりませんが…。」
莉子の父と母の顔を思い浮かべる。
「みなさん、法に触れるわけではないですし、結局は学校側と生徒達がどう思うかですよね?」
粕谷先生は畳み掛けるように話す。
「要は、混乱にならなければいいんでしょう?学校の規則には教師と生徒の恋愛についての項目はないですし、生徒同士の恋愛も特に禁止はしていないじゃないですか。ねぇ、新井先生。」
粕谷先生が湊に向ける目は間違いなく味方だった。
「……とは言っても……。」
『そうですね』とはとても言えない空気に恐縮してしまう。
「何も見ないですぐに処分とかではなく、彼らにもう少し時間を与えてあげたらいいと思いますよ。私は今まで新井先生を見てきて、とても誠実な方ですし、きっと羽鳥さんの事も色んな気持ちと葛藤しながら真っ直ぐに想ってきたのでしょうから…。それはみなさんも彼の人柄を思えば簡単に想像できるでしょう?」
粕谷先生の意見もまぁわかると、徐々に職員室の空気の流れが変わっていく。
「始業式の日…私に時間をください。そこで生徒たちが納得してくれたら……、どうかこのまま卒業まで担任をさせていただきたいんです。」
深々と頭を下げる湊。
職員の何人かは納得いかない顔をしてはいたが、莉子の両親も認めている事ならば湊の言うように話し合いの時間を与えるか…と結論がでる。
「ありがとうございました!」
湊は学校をでて、莉子の家に向かう。
彼女と両親に逢って、まず今日の事を伝えようと師走で賑わいを見せる街を走り抜ける。
頬に当たる冷たい風も感じないほどに、彼女への熱のこもった逢いたさが湊の全身を包み込んだ。
彼女の家の前に立ち、インターホンを押す。
彼女の父が湊を静かに家に迎え入れ玄関の扉を閉めた瞬間、莉子は湊に飛びついた。
「先生……!」
ずっと溜まっていた気持ちが一気に吹き出すように涙が流れ出す。
「莉子……無事でよかった……!本当に……!」
莉子の両親が赤面しながらその場を立ち去る事も気がつかず、お互いの無事を確認して見つめ合う。
「なんだか…凄く切ない夢を見ていたの…。私の中から何かが消えてしまったような……。心細くて……先生まで消えちゃうんじゃないかって……わたし……。」
涙が頬を伝う。
「俺も同じだ……。絶対に幸せになろう……!そうならなきゃバチが当たるような気がするんだ。」
微笑む湊。
引き寄せられるように二人はキスをする。
離れていた時間を埋めるかのように求め合う。
どれだけ時間が経ったのか……
「ウォッホン!!」
ぎこちない咳払いが背後から聞こえるハッとする二人。
「とにかく中に入りなさい!」
呆れたように微笑む莉子の父はこれから訪れるだろう大きな試練も、この二人ならきっと乗り越えていけるだろう…とささやかに願うのだった。




