別れの時
「………う……。」
湊は一瞬大雪になったのか……?そう思うほどの真っ白な世界に目を疑う。
でも柔らかなふわふわとした足元は、明らかに自分が生まれてから一度も踏んだことのない感触だった。
「ここは…どこだ……?」
周りを見渡せは、広大に広がる白い雲の様な景色が彼を心細くさせる。
ふと目線を落とすと湊のすぐ横にスヤスヤと気持ち良さそうに眠っている莉子がいた。
「莉子……?…莉子!」
状況が全く理解できないまま、莉子を揺すり起こす。
「…せんせ……?」
眠そうに目をこすりながら起き上がる。
瞼をこすっていた手が急に止まった。
「え……?ここ…どこ??」
目に飛び込んできた景色に驚き立ち上がる。
「莉子……。さっき…トラックにぶつかったの覚えてるか…?」
時間が経つにつれ、徐々に記憶が鮮明になって来る。
莉子の動きが止まり、顔色がみるみる悪くなる。
「……そうだ……、私たち、トラックに轢かれたんだ……。」
震える声で記憶を掘り起こす。
「ねぇ…先生……。私たち……死んじゃったの……?」
莉子は信じられない気持ちを押し殺しながら意見を求める。
「そう……かもな……。」
うっすらそうかもしれない…とは思っていたが、莉子の直接的な言葉を聞いて確信に変わっていく。
『死』と言う言葉が目の前にあっても、側には湊がいることで不思議と恐怖は薄らいだ。
「私たち…このまま一緒に居られるのかな……。」
命を落とすことよりも、湊と離れてしまう事の方が遥かに恐ろしいと思う莉子。
湊は黙ってそっと莉子の手を握る。
「俺から…離れるな…!」
強い決心を決め莉子の手を引く。
突然、目の前が歪み始め、空間に裂け目が入ったと思いきや、とてつもない光が吹き出して二人の視界を奪う。
次第に光量が減っていくのを瞼越しに感じ、恐る恐る目を開ける。
そこに居たのは大きな白い羽を生やした見覚えのある女性だった。
「粕谷先生……?」
湊は目を細めながら心当たりのある名前を呟く。
「やっと…ここまで辿り着きましたね…。」
聞き覚えのある穏やかな声で語りかける。
「もう、あなたたちは気付いているでしょう?二人は小鳥遊華鈴と、小杉涼の生まれ変わりであるってことを…。」
その目には懐かしさの色が見える。
二人は黙ってコクリと頷いた。
「あなたたちには別々の運命が予定されていたんですが…、想い合い、惹き合う力というのは運命をも超えるって事を私は目の前で見させていただきました。」
表情の動かない女性の口元がキュッと引き締まる。
「二人とも、もう亡くなっていると思っているようですが、私がここに呼び寄せただけで、まだ肉体は生きています。これから、小鳥遊華鈴と、小杉涼の意識をあなた達の中に完全に蘇らせます。莉子さんは華鈴さんと、湊さんは涼さんと…気持ちをさらけ出し合いながら、よく話し合ってください。この先どちらかの記憶を完全消し、残った方が肉体に、戻り残りの人生を歩んで行くことになります。」
莉子も湊も突然の事で頭がついていかない。
「どういう事ですか?私が華鈴さんの意識を選んで、先生が自分の意識を残すこともあり得るんですよね?」
莉子は混乱しながらも一つ一つ情報を整理していく。
「もちろんありえます。外見は選ばれた本人に変わり、辻褄の合わない過去はこちらの方で若干調整させていただきます。なので、よく言えば、華鈴さんや、涼さんにとってはまた生き返った様に人生をやり直す事も可能だという事です。」
莉子も湊も複雑な気持ちに呑まれそうのなる。
「あなたは何がしたいんですか?!別々の組み合わせで生き変えたって辛いだけでしょう?!そうやって俺たちの人生をゲームの様に弄んで、何が楽しいのですか??」
珍しく語気を荒げて訴える湊。
「あなたたち二人の人生は半分は華鈴さんと涼さんのものです。彼らが生まれ変わる決意をしなかったら、あなたたちお二人はそもそも存在すらしなかったのですから…。しかし、華鈴さんと涼さんの想いがあまりにも強すぎて、あなたたちの無意識の中に登場する様になってしまった…。それは、あの世側にいる私共としては、前世の記憶を持ったまま人間として生かすというのはあってはならない事なのです。」
伏し目がちに話す女性。
湊も莉子もなんとなくだが理解はできてきた。
が、理解するのと納得するのは全くの別物だ。
「ちょっと待ってください!華鈴さんと涼さんが二人とも自分の道を選んだとして…、俺たちはどうなるんですか?」
焦りを見せながら湊は返事を求める。
「それは…莉子さんも…湊さんも…存在自体なかった事になります……。」
「そんな……!!」
口を揃えて莉子も湊も叫ぶ。
「だからよく話し合ってほしいのです。今から華鈴さんと涼さんを呼び起こします。呼び起こしたと同時にこの空間は二つに割れ、莉子さんと華鈴さん、湊さんと涼さんに分かれます。」
「その後に…どちらを残すか答えが出た瞬間、どちらかの記憶は完全に消え、選ばれた方が肉体に戻ります。」
「お二人とも……。今から5分間時間をあげます。もう二度と逢えない可能性も出てきます。最後のお別れを後悔のない様…してください。」
そう言ってふっと静かに目の前から消える女性。
「お別れって……!たった5分で何が伝えられるっていうんだよ!!」
取り乱した湊は莉子の両肩を痛いほどに強く掴む。
「俺たちの九ヶ月は…5分なんかじゃ何も語れない……。」
悔し涙が頰を伝う。
「……先生……。私を抱きしめてください……。」
莉子はスッと湊の胸に入り込む。
「莉子…。」
今持っている全ての愛情を彼女に伝えたい…そんな想いで抱きしめる。
「私……先生と出逢ってから…辛さや、我慢や…愛される喜びに愛する幸せを……たくさん教えてもらいました……。ヤキモチもいっぱい妬いたし……。」
恥ずかしそうに微笑む。
「先生は幸せの種を私にたくさん撒いてくれた…。ようやくこれから芽が出て…、二人の人生に花を咲かせることができると思ってたのに……。」
ポロポロ流れる涙は止まらない。
「莉子……。俺を見つけてくれて…本当にありがとう……。俺もおんなじだ…。莉子……愛してる…。」
優しく髪を撫でる。
「莉子…、ギリギリまで顔を見せてくれ…。」
莉子の頬を大きな手のひらで包み込む。
莉子と湊の九ヶ月が走馬灯の様に、二人の心を駆け巡る。
「後、1分…。」
湊は腕時計をチラッとみる。
いつも授業の後半、時間を気にしながら腕時計に目をやる彼の姿がデジャヴする。
何気ない仕草が毎日毎日愛おしかった。
図書室で何も語らない静かな時間も大好きだった。
莉子の全身を愛してくれた彼の温もりは昨日のことの様に体の芯に残っている。
もう二度と逢えない事なんで想像もしていなかった。
毎日が我慢の連続で……でも卒業したら、ずっと時を共にできるんだと、いつも幸せを思い描き励みにしてきた。
それが……今日突然終わりを迎えるかもしれない……。
莉子は何も言わずに湊の唇にキスをする。
湊は応えるように莉子を受け入れる。
『あぁ…温かい…。』
どんなに冷え切った身体も、想いも、寄り添えば心地の良い温かさに変わる事を二人は知っている。
最期になるかもしれないこの時を、どんなに冷え切った空間に放り出されても、この温かさを忘れぬよう全身に刻み込んだ…。
再び目を射抜くような大量の光が二人を襲う。
気がつけば誰もいない空間に一人ポツンと立ち尽くしていた。
一気に視界が開け、生まれる前の記憶が一気に蘇る。
莉子は、濃厚な短編小説を読み終えた後のような余韻に浸りながら、頭の奥で別の女性の声がする。
「華鈴……さんですか……?」
恐る恐る声をかける莉子。
「莉子さんですね…ずっとあなたと会話したかった…。」
頭の奥から聞こえる不思議な感覚に莉子は戸惑いを隠せない。
「莉子さんに…たくさん伝えたいことがあったの…。」
穏やかに話しかける声に莉子は次第に安心した気持ちで耳を傾けた…。




