図書室
「斗真、図書館行くんでしょ?」
莉子は中々帰る支度をしようとしない斗真に声をかける。
「ごめん、莉子。ちょっとだけ部活の用事があるから30分位待っててもらえないかな?」
時計を見た莉子はまだ図書館の閉館までには時間があるか…そう確認して、
「わかった。じゃあ、図書室で待ってるから早く来てよね!」
そう言って先に教室を出て行く。
『あんまり学校の図書室って行ったことないんだよな…。』
莉子の学校の近くには大きな公園の隣に地域最大級とも言われる図書館がある。
読みたい本は大体そこで借りる事ができるし、わざわざ学校の小さな図書室に足を運ぶことは滅多になかった。
『まぁ、たまには見てみるか!』と久しぶりに向かう図書室の扉を開けると、しんと静まりかえり、そこには人っ子一人いない。
「ふふ、貸し切りなんて贅沢!」
つい独り言が出てしまう。
すると誰もいないはずの本棚の奥の方から、ガタンと大きな物が落ちる様な音がする。
「やだ…!…だ、誰かいますか…?」
まさかとは思うが幽霊の存在を莉子は全く信じていないわけではない。
恐る恐る音のした方へ近寄り様子を伺う。
『ここかな…?』
そう思って大きな本棚の間を縫って奥に入ろうと体の向きを変えた時、ドンっと何かにぶつかり床になぎ倒される。
「いたた…!」
思い切り床に打ち付けた肘をさすりながら、ゆっくりと起き上がる莉子。
「ごめんごめん!大丈夫か?」
顔を上げた先には、莉子の担任の湊が心配そうに立っていた。
そっと差し出された彼の手を受け入れ莉子は立ち上がる。
「先生…。なんでこんなとこに…?」
大人の男性の手をしっかり握ったのが初めてだった莉子は何故かドキドキと鳴り止まない心臓の音を、湊に気づかれないよう平静を保つことに必死になる。
「なんでも何も…俺一応国語の教師だし、図書室にいたっておかしくないでしょ?」
どことなく挙動不振な莉子を見て笑いが堪えられない湊。
「…たしかに…。」
自分の異変に対応できずに何を話したらいいかもわからなくなる。
まっすぐ莉子を見る湊の目に完全に囚われていた。
「あれ?えっと…羽鳥さん…だっけ?ごめん、まだ顔と名前が一致してなくて。」
サラサラの髪の毛をくしゃくしゃっとしながら申し訳なさそうに長身の身体を折り曲げて莉子に目線を合わせる。
「はい、羽鳥莉子です。」
『そんなに見ないで!』と言いたくなるかの様にじっと莉子を見つめる湊は、
「今日初日だってのに朝コンタクト落としちゃってさ。ずっと視界ぼやけてて…。」
そう言いながら姿勢を元に戻す。
「これでちゃんと覚たよ、羽鳥さん!」
そう言って莉子のぶつかった拍子に散乱したカバンの中身を拾い始める。
「あ、大丈夫です!自分で拾いますから!」
変なものが転がりだしていないか慌てて湊より先に荷物をかき集める。
「あれ?これ…!秋田譲治読んでるの?」
湊の表情が急に明るくなり嬉しそうな笑顔を見せる。
その表情にまた莉子は釘付けになりながら、
「はい…私も好きなんです。秋田譲治の作品。」
朝言えなかった言葉を伝えられている今が特別な時間に思えた。
「この図書室、結構彼の作品置いてあってさ、ちょっと俺興奮しちゃって。全然周りが見えてなかった。」
照れ臭そうに笑う。
「そうなんですか?私いつも近くの図書館に行っちゃうんで気がつかなかったです!何気に穴場ですね、ここ。」
うふふと笑う莉子の顔を見た湊は彼女と、以前どこかであったような気持ちに襲われる。
『まさか、ないか…それは。』
湊はこの学校に配属が決まるまでは一度もこの街に足を踏み入れたことはなかった。
きっと錯覚だと、納得する。
「莉子!!おまたせ!!」
ガラッと図書室の扉が開いて斗真が大きな声で莉子を呼ぶ。
莉子は湊の世界に完全に引き込まれていたが、斗真の一言で現実に引きずり戻された。
「斗真!遅いよ!」
莉子は湊にくるりと背を向け斗真に駆け寄る。
「あれ…?新井先生?」
不信そうな表情を浮かべ湊に視線を送る斗真。
「さあ、斗真行こ!図書館閉まっちゃう!」
湊との時間を特別に感じた莉子は、そこに誰にも足を踏み入れて欲しくなかった。
強引に腕を引っ張り図書室を出て行く。
莉子の後ろ姿を見送りながら、一人残された湊は莉子と共有した不思議な時間の余韻に呑み込まれていた…。