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ジョバンニの選択

作者: 鳩村玲

蝉が鳴いている。

暑い日差しの中、俺はベンチに座っていた。

目の前には草に覆われた線路。どうやらここは駅のようだ。駅舎もない、俺が座っているベンチが置いてあるだけの駅。木々に囲まれ、森の中にいる。

ふと右隣を見ると、少女が座っていた。小学校高学年くらいだろうか。おさげに、黄色いワンピース。『女の子』を絵に描いたような彼女は、線路の先を見つめていた。

俺は少女に声を掛ける。


「ここがどこかわかる?」


少女は目を丸くして、俺を見た。


「わかんない」


俺は困惑しながら周りを見渡すが、木々が茂っているばかりで特にこれと言ったものは見当たらない。

そもそもなぜこんな場所にいるのだろうか。

俺はいつものように授業が終わり、高校から家に帰っていたはずだ。


「でも線路があるから、列車が来るんだよ。きっと、銀河鉄道が」


俺の思考を遮るように、少女はキラキラした瞳でそう言った。


「銀河鉄道?」

「うん。お星さまを旅する汽車」


『銀河鉄道の夜』のことだろうか。国語で習ったことがある。


「君は、どうしてここにいるの?」


自分で考えてもわからないので少女に聞いてみるが、彼女も首を横に振った。


「わかんない」

「じゃあ、ここに来る前は何をしていた?」

「うーん……学校から帰って、友達と遊んでいたかな。気が付いたらここにいたの」

「そっか」


どうやら俺たちは当たり前の日常を過ごしていたはずが、突然ここにきてしまったようだ。きっかけも何もわからない。何より直前のことが曖昧でよく思い出せない。

現在位置を確認しようとズボンのポケットからスマホを取り出すが、電源が入らない。バッテリー切れだろうか。充電はしっかりしたはずだったのに。

どうしたものかとため息を一つついた。




俺は学校が嫌いだ。たいして勉強はできないし、運動も苦手。人に話しかけることができず、入学して1か月もたてば、クラス内にはグループができていた。もちろんそのグループにはもう入れない。

さながらジョバンニだ。『銀河鉄道の夜』の。本当はカムパネルラになりたいのに。優秀で、勇敢なカムパネルラに。

家に帰れば厳格な父と、それに怯える母が待っている。家も嫌いだ。

つまらない人生だと思う。俺がつまらなくしている部分もあるが。

だから少しでも何か変わったことが起きてほしくて、今日は家に帰るときに回り道をしたんだ。

いつもは行かない細い路地を通り、いつもは渡らない大きな川に架かる橋を渡り。

その時だった。誰かが叫ぶ声が聞こえたのは。




「鳥、食べてみたい」


少女の声に現実に引き戻される。

いつの間にか日は暮れ、頭上には星が瞬いていた。夜の風が木々を揺らす。


「鳥?」

「うん。ジョバンニたちが食べた鳥」


確か『鳥捕り』が持っているがんだったか。

少女は嬉しそうに続ける。


「チョコレートよりもおいしいなんて、すてきな食べ物だよね。食べてみたい」


俺は曖昧に笑って「そっか」と返す。もっと気の利いたことを言えればいいのに。会話は苦手だ。

また風が吹き抜ける。

少女が不安そうな顔をした。


「私、お家に帰らなきゃ」


こんなに暗くなっているのだから当然だろう。俺も帰りたくはないが、家に帰らなくてはいけない。

しかし今どこにいるのかがさっぱりわからない。これでは帰りようがない。


「おや。お嬢さんは帰りたいのかい?」


突然、俺の左手側から声がした。見ると、白髪はくはつの老婆がベンチに座っていた。

いつ来たのだろうか。全く気が付かなかった。

少女も驚きつつも、こくりと頷いた。


「お兄さんも、帰りたいのかい?」

「俺は、帰りたいというか、帰らないといけないというか……」


帰らないと怒られるから帰る。それだけだ。

老婆はうんうんと首を縦に動かす。


「そうかい。若いもんはそうだろうねえ」

「おばあさんは違うの?」


少女は不思議そうに聞いた。


「私はもう、諦めたのよ。もう戻れないと決まっているの」


どういう意味だろうか。家にもう戻れない?

まさか帰る道を忘れたわけではあるまい。


「ここは……どこなんですか?」


思い切って尋ねる。この老婆なら何か知っていそうだ。


「ここは駅よ。最後の駅。ここで私たちは汽車に乗せられ、長い長い旅をするのさ」

「……」

「もう少しすれば汽車が来る。その時、わかるだろうね」


結局、駅だということしかわからない。列車が来るのを待つしかないのか。

俺はまたため息をついて、列車を待つことにした。




「だれか、助けて!」


橋の上にいてもその声は良く聞こえた。男の子の声。

橋から身を乗り出して声のした方を見ると、河原に小学生が数人いた。

おろおろしている者、慌てたように川に入ろうとしているもの、何事かを叫んでいるもの。

次いでばしゃばしゃという、川の流れとは違う音が聞こえた。よく見ると、川の中ほどから不自然に水しぶきが上がっている。

それが何を示しているか悟った途端、俺は逡巡した。

きっと誰かが助けるだろう。俺ではない、誰かほかの人が。

そう思って周りを見るが、小学生以外誰もいない。俺しかいない。

考えとは裏腹に、俺は走り出していた。

間に合え。怖い。助けないと。

ぐちゃぐちゃとした思いのまま、川に飛び込む。

流れは速く、すぐに流されそうになる。

どうにかすっかり弱々しくなった水しぶきめがけて泳ぐと、黄色い服が見えた。その子の腕をつかみ、水面に押し上げる。

その時、俺はがぶりと水を飲んだ。




明かりが見えた。それはどんどんと大きく、明るくなり、俺たちに近づいてくる。

やがて黒煙を吐く汽車が、音を立てて俺たちの前に止まった。


「銀河鉄道だ!」


少女はぴょんとベンチから立ち上がると、汽車に駆け寄った。

俺と老婆も立ち上がる。

汽車の扉があき、黒いスーツのような、制服のようなものを着た大きな男たちが下りてきて、まず老婆の手を取り汽車に乗せる。

その様子を見て、俺は思う。これが銀河鉄道だとしたら、乗るべきではない。乗ってはいけない。

男たちから離れるように後ずさりする。しかし背に何かが当たった。見ると、男が立ちふさがっていた。

彼は俺に、汽車に乗るよう手で促す。

乗りたくない。乗ってしまったら、俺は。

少女を見ると、彼女は今まさに汽車に乗ろうとしている所だった。


「駄目だ!」


思わず叫んでいた。


「乗っちゃいけない」


俺の言葉に、少女は首をかしげてこちらを見つめた。


「困りますね」


唐突に声がして、列車から車掌の格好をした男が降りてきた。


「どちらかお一人は乗っていただかないと」


俺は彼を睨むような目で見る。


「どうしてだ。どっちも元の場所に戻してくれ」

「できません。それが、決まりなのです」

「どうしてどっちか一人なんだ」

「もちろん、二人でも構いませんよ。しかしこれは選択です。お嬢さんは汽車に乗りたがっているようですし、お嬢さんを乗せて、あなたはここに残ればよいのでは?」


車掌が意地悪くそう言う。

確かにそれなら俺は助かる。でもこの子は。家に帰りたがっていた少女をこの汽車には乗せられない。


「……どっちか一人でいいんだな」


「ええ」と車掌は頷く。

帰って、いつもの日常が続くなんてうんざりだ。最後くらい、カムパネルラになってやろうじゃないか。

俺は目を瞑り、覚悟を決める。


「それなら、俺が乗る」


「それでは」と車掌が俺を促し、汽車に乗せる。少女はまだ外に立っていた。

「私も乗る」と言う少女を、


「君はここに残るんだ」


と押しとどめる。


「どうして?銀河鉄道なのに」


少女は不服そうにそう訴えた。


「君が乗るにはまだ早いんだ。鳥捕りはまだ乗っていないから、がんは食べられないよ。もう少し待てばきっと、鳥捕りに会えるから」


苦手だが、つたない嘘をつく。どうかここに残ると言ってくれ。


「わかった。じゃあ、もう少し待つ」


少女はうつむいて、渋々とった様子で言った。

俺はほっと息をつく。

車掌と男たちが汽車に乗り、少女を駅に残したまま扉が閉まる。

汽車が動き出す。駅からどんどんと離れていく。

黄色いワンピースの少女は、その姿が見えなくなるまで汽車を見送っていた。

俺は彼女が無事に家に帰れることを祈って、目を閉じた。


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