第一話。昼下がりのお仕事。
「オバチャン。でかけて来るからこいつらのこと、頼んだ」
俺の左右から顔を出してる二人を指さして、俺はパン屋のオバチャンにいつものように仲間を預ける。
「あたしたちが、ここに住めばいいじゃないかって言ってるのに。頑固だねぇほんとに」
呆れたような、でも怒ってるわけじゃない変な顔で、オバチャンはそう なぜか少し苦しそうに言った。
「これ以上アンタたちにメイワクをかけるわけにはいかねえよ。夜まで俺達貧民街のガキをおいといてくれてるだけでも、ありがてえからな」
「子供のくせに、いっちょまえなこと言うんじゃないよ」
やっぱりちょっと苦しそうに、そう それでもオバチャンはふわっとする声で言う。
「ジーニャ、ロノメ。今日もオバチャンたちの手伝いしててくれな」
いつもの言葉を背中の二人にかける。
「ジーニャ、バンデトリヒのおてつだい、したい」
「ぼくもだよ。どうしていつも駄目だって言うの?」
何度言っても納得してくれねえのは、困ったもんだ。
二人は前に、その力のせいでさらわれそうになった。
俺よりも更にガキな二人をつれてなんていけるかって、俺じゃめんどう見切れねえ。
それに、俺みてえに腐ってほしくねえからな、二人には。
「俺の仕事はあぶねえんだ。仕事中にめんどうを見切れねえから、ここにいてほしいんだよ」
納得できてねえ顔をするのもいつものことだ。つれてったらさらわれるんじゃねえか、それが心配でしかたねえ。だからここに二人を預けてるってのに、わかっちゃくれねえ。
この警戒心のなさ、さらわれかけたの、忘れてんのかなって不思議になる。
俺は二人をもう一回オバチャンに頼んで店を出た。
出たところで、一人の男とすれ違った。店に入ったところで、ジーニャとロノメが嬉しそうにチャールズおじさん、って言ってんのが聞こえる。相手は困ったような声で笑ってるな。
吹いて来た風に軽く体が震えた。最近、また外が冷たくなって来た。フユってのも、深まって来たらしい。
けど貧民街住まいの俺達に、キセツに合わせて服装を変えるなんてことは無理な話だから、ずっと同じ服。
オバチャンの店とかかわってからは、服が調子悪くなったのを直してもらってるから、これまでみたいに服の穴から風が入って冷たい思いをしなくなった。ほんと、どうしてオバチャンもこの店の娘も、こんな腐ったガキの俺を助けてくれたんだろうな。なんの得にもならねえのに。
腹が減りすぎてぶっ倒れた俺を、ここの娘が拾って それからこの店とはかかわりができた。オバチャンの、あんたたちぐらいの子供は甘えるのが仕事だ、なんて言う言葉が俺に逆らうことをやめさせてるんだ。
従ってるってよりは、なんて言うか……その時のオバチャンのふわっとした感じが、俺にあったかさを運んで来て、それがいやじゃなかったからだと思う。
表通りを歩き回りながら、町の様子を観察する。それで今がどういう時期なのか見るついでに、いつも使う道が使えるのか確かめる。たまに道が使えなくなってることがあるからな。
オバチャンが言ってたけど、表の連中はこうやって歩き回ることをサンポって言って、運動のためとか暇潰しのためにで、なんとなしに歩くらしい。暇な連中だなって、聞いた時は溜息が出た。
日は頭の真上からちょっとだけ夕方側に動いてる時間、まだまだ人は少ない。夕方になれば、この辺は人が大量に集まる。仕事のし時ってわけだ。
「……俺、なんにもねえよな。ほんとに」
ふっと吐き出した息が、少し白い。俺達三人カゾクの中で、俺だけがなにもない。こうして街中をうろうろしてると、たまにやって来るもやもやだ。
ジーニャは精霊さんとやらと話ができるらしくて、そいつらの力を借りて魔法ってのが使える。そのおかげで、むちゃくちゃ暑いナツでも今みたいな冷たいフユでも、俺達は生き延びて来られた。なくちゃならない一人。
おまけに獣にも懐かれるらしくて、あったかそうな奴をよく抱えてニコニコしてる。けど、俺が触ろうとすると、その獣はいきなり警戒心を向き出しにして来やがるんだ。なんだってんだ、この違いは。
ロノメは獣の力とか言う物を使える。ロノメが言うには、普通には見えない獣が力を貸してくれてるらしいけど、俺にはなに言ってんだかまったくわからなかった。
ただ、その力を使ってる時は、力を貸してる獣の耳が頭から生えて来るから、使ってるのかそうじゃねえのかは一発でわかる。
それから怖がりなおかげなのか、逃げ道を探すことについてはたぶん誰よりもすげー。こいつもいなきゃならない一人。
で、俺 バンデトリヒにはそう言う力みてえなものがなんにもねえ。ただ誰かを怒らせながら、生きるための物を掠め取る、腐ったガキ以外になにもねえんだ。
こんな俺でも、二人を守ることができてるのは、本当に不思議なことだと思う。
「よう坊主。あいかわらず暇みてえだな」
夕方になる前のもう一仕事、俺が唯一できることで金って奴を稼ぐために利用してるオッサンだ。人の事を暇だとか言うけど、オッサンも同じように見える。
「オッサン。そろそろ時間だったか?」
人を怒らせなきゃ生きられねえ、腐った貧民街からいつの日か抜け出すために、俺はオッサンから少しばかしの分け前をもらってるんだ。
「ぼちぼちな。そうやって街中歩き回ってんのは、市街賭け試合のためのならしだと思ってればいいのかい?」
「なんとでも」
「かわいげのねえ奴だなぁ、ほんとお前は」
やれやれって感じで、軽い息交じりで言うオッサンに、俺は一つ強い視線を投げつける。
「客、集めてくれよな。じゃねえと分け前が減っちまう」
「やれやれ。でもま、たしかにその通りだ。俺としても客が少ねえのは困るからな」
その後で、今日も頼むぜ と肩を二度右手でポンポンやって来た。わかったよ、俺は強めに返す。
肩を叩かれたことがいやだったんじゃない。オッサンの言ってることがいやなんだ。
「じゃ、また後でなオッサン」
おう、と気前よさそうに言うと、俺とすれ違うように歩いて行った。
八百長賭け試合とか言うらしい。オッサンが言うには、まともに賭け試合を開くよりも難しいらしい。
なんでもうまく嘘をつきながら客を盛り上げなくっちゃいけねえから、なんだそうだ。
「嘘つき試合で稼いだ金でも、オッサンは嬉しいんだよな。わかんねえ、その辺」
音が出てた。嘘をつくのは怒られるって、俺は知ってる。怒らせることは最低なことだ、お互いいやな気持になるからな。
オッサンは平気な顔でバレなきゃ問題ねえ、そう言ってた。それはたしかにそうだ。嘘だとわからなきゃ、怒られることはねえ。
けど俺は、バレねえかバレねえかって、いつも心配でしかたがねえんだ。
それでもなんとか、これまでバレずにいるのは、オッサンがうまいことやってるからなんだろうなと思う。
***
オッサンの大声が遠くに聞こえる。そろそろ行かねえといけねえな。
「おせぇぞ坊主」
貧民街と表通りの境目にある広場。そこに歩いて入った俺は、オッサンに頭を小突かれた。
「いっつー」
声といっしょに左手で軽く頭を押さえる。オッサンけっこう力こめて叩いて来やがっからなぁ。
「皆さんお待ちかねだ」
俺の到着で広場がざわっと、ちょっとうるさくなった。どうやら、客が待ってたのはほんとらしい。
さっきの大声は客を集めてたんじゃなくて、俺を呼んでたみたいだ。
「この坊主、こう見えてかなりのやり手だ。さあ、どっちに賭ける?」
客に呼びかけるオッサン。どっち、ってことは相手がいるわけなんだけど、こいつがまた横に俺を二人 縦には俺を一人と半分並べたぐらいでかい。それも見るからに硬そうだ。
俺の頭の位置は、大人の男の腹と胸の間ぐらいで、大人の女の胸ぐらい。でもこいつと頭の位置を比べると、俺はギリギリ腹の上の骨に当たるかどうかってとこか。
「さっきも説明した通り、勝負は一発。どちらかが一撃攻撃を当てることで勝ち負けが決まる。よく考えて入れてくれ?」
煽るオッサンに動かされたか、客は二つの缶に次々と金を放り込んでいく。赤と黒のうち、黒い方 でかい奴の側にばっかりジャラジャラと入って行く。
この見た目の違いじゃ当然だろう、普通に殴り合ったら俺も勝てるとは思えねえしな。
オッサンは、ふむふむとなにかを数えたり書いたりしながら、金が入って行く様子を眺めてる。オッサンには、いったいなにが見えてるんだろうな?
「さて、全員入れたな。じゃ、勝負を始めよう。二人とも、客に自分たちが見えるように向かい合ってくれ」
オッサンの言う通り、俺とでっかい奴は立つ位置を変えて客に見えるように向き合う。
「よし。じゃ、試合。開s」
ビュワっと、風が吹いた。ぐわっと、でっかい奴の声がした。ドスっと、でっかい奴が尻餅ついた。
静かになる広場。
「……なにが、おきたんだ?」
俺の声。俺の声が、オッサンの、客たちの、音を取り戻させたみたいだ。ザワザワガヤガヤし始めた。
「いやー、すまないなぁ。腹ごなしに走ってたら、ちょっと勢いが付きすぎちまったみたいだ」
声だ。聞き覚えのねえ、なんだか軽っちい男の声。でも、オバチャンのパンのにおいがする。
「お前、もしかして。俺が店出る時にいた奴か?」
俺に気が付いたのか、そいつは黒い鎧をカチャリ鳴らして、
「そうだ。なるほど、お前がバンデトリヒってわけだな」
確認するように答えた。俺はそうだって頷き返す。
「なるほど。アンタがチャールズおじさんってわけだな」
客たちから、なんでかクスクスって笑いが漏れてる。
「あのなぁ。俺まだ二十三歳だぜ。なのにあの二人にもおじさん扱いだ。そんな老け顔か俺?」
困ったような情けない顔だ。
「老け顔ってのがどんなのか、よくはわかんねえけど。アンタの顔、そこのオッサンよりはいいと思うぜ」
オッサンを指さしながら言う俺に、チャールズとか言う鎧の奴はほっと息一つだ。なにを安心したんだこいつ?
「で、子守騎士様。こんな溝鼠の巣窟になにか御用で?」
よっぽど腹が立ったのか、チャールズを睨むような感じで言うオッサン。
「言っただろ? 腹ごなしだよ腹ごなし」
オッサンの睨みは、まったく意味がねえみたいだ。なにもんだ、こいつは?
「つまり、だ。その勝負、俺との賭け試合に変更しちゃくれないか? 試合形式はどっちかが参るまで心行くまで、なんかでどうだろう?」
調子を崩されたオッサンは、悔しそうにぐぅって声出してから、わかった ってだけ答えた。
「一つだけ条件がある」
「なんだ?」
鎧を脱ぎながら言ったチャールズに、「その腰にブラ下げてる奴は抜かない」とオッサンは、腰の剣を指さした。
当然だろ、頷いてからそう答えたチャールズ。
「子供は国の宝だからな。おいそれと宝を傷付けるわけにもいかないさ。柄に手を賭けた時点で俺の負けでいいぜ」
そう続けた。
鎧を脱ぎ終えると缶の横に置いてから、
「っ、さみぃっ」
なんて軽く震えた。かっこわり。
「これから殴り合おうとする奴の言葉とは思えないな、チャールズおじさん」
「お前。わざとおじさんって呼んでるだろっ」
やけになったような声でそう言ったので、俺はニッコリと頷いた。
「こ、この。かわいくねぇなお前」
「そうなんですぜ子守騎士様。ほんっと、かわいげがねえんですよ」
よ、と同時に俺の頭をパシンと、ぶっ叩きやがったオッサン。
「ってぇなぁ……!」
「おし。しかたねえけど、形式変更。子守騎士様こと、チャールズ・ドルーチャ殿と、この坊主 バンデトリヒの拳による殴り合い。黒い缶がチャールズ側に賭けたことにして」
ゴクリ、俺の喉が鳴った。
ーーおかしいな。普段の賭け試合じゃ、ここまで緊張が来ることなんて、なかったのに……?
「改めて。試合、開始だ!」
オッサンが、ブンっと音がするぐらいの勢いで、右腕を振り上げた。
おし。いくぞ!