01
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この学校の体育館の一角には、大きな鏡がある。
壁に埋め込まれるようにしてつけられたその鏡は、体育館の一部となり、普段あえてその存在を気にとめる者はいない。
女子生徒が髪型や、教師に注意されない程度に施しているメイクを直したり、ダンス部や、ナルシストのバスケ部の男子が、自分のフォームを確認するのに使う以外は、ただ静かにそこにあるだけ。写す以外のことを鏡がするわけがないし、写される以外のことを誰も鏡に望んだりはしない。
今も女子生徒が三人、鏡に向かって並んで座り、おしゃべりをしながら前髪をいじったり、滲んだマスカラを指でなで落としていた。
今日は体育祭で、出番が終わった生徒は、勝ち進んでいるチームの応援や見学と言いつつ、さほど興味があるわけでもなく、こうして暇をもてあましているのだ。
同じように出番のない琴子も、入り口の開き扉の横で膝を抱え、鏡の方をぼんやりと眺めていた。
「あの子達、ほんと外見と男のことしか頭にないのかしら?」
少しだけ離れた場所で、同じように体育座りしている高梨さんが、抑揚のない喋り方でそう言ったのが聞こえた。
高梨さんはいつも成績トップで、休み時間にクラスメイトと会話している姿をあまりみたことがない。
一人でいるのが好きで、どこか近寄り難い雰囲気があり、他人とは一線を引いていて、周りとの交流を望んでいないことをみんなわかっているので、あえて誰も話しかけることもしない。そして何よりとても美しかった。
それが余計に周りを近寄り難くさせているのかもしれない。
もちろん琴子も、高梨さんととくに仲が良いわけではない。
私に言ったのだろうか‥?と、琴子は訝しんだ。
琴子はあの三人のクラスメイトを見ていたわけではないけれど、高梨さんからみたら、芸能人や彼氏のこと、どこどこの服が可愛いだの、三人で会話しているようで、実はそれぞれが勝手に喋っている一方通行の三人を、呆れて見ていたように見えたかもしれない。
弁解するわけではないけれど、面倒は嫌いだ。
同調して、あの人達に告げ口でもされたらたまらない。
高梨さんがそんなことするとは思えないけれど、ここはとりあえず否定しておこうと、高梨さんの方を見ると、黒い大きな瞳で、真っ直ぐに琴子を見ている高梨さんが視界に飛び込み、一瞬言葉に詰まってしまった。
「別にあなたが私と同じだとは思ってないわ」
そう言って、高梨さんは片方の口角を少しだけ上げて笑った。
綺麗な人は皮肉っぽい顔もよく似合うな、と、琴子は思った。
「あなたっていつも周りの顔色ばかり伺ってるわよね」
不意にそう言われ、頭にくるよりも、恥ずかしさが先にこみ上けてきて、琴子は言い返す言葉がみつからなかった。
高梨さんの言ったことはまったくその通りで、琴子は周りの人達の、自分に対する評価をいつも気にしている。
どんな時でも周りにあわせて、一人になることがないように、慎重に、慎重に、嫌われないように、その場その場をやり過ごしていた。
琴子にとっては親友だとか、なんでも言い合える関係だとか、そんな実体のないものよりも、一人じゃない自分でいることの方が重要だった。
あの人達を心の中では馬鹿にしていることも、決して気づかれてはいけない。
「別に、あの人達を見てたわけじゃないし‥」
これだけ言うのが精一杯だった。
俯いたまま、それ以上何も言えないでいる琴子に、さらに追い打ちをかけるように、高梨さんは言った。
「あなたのそういうとこ、自分では気づかれてないと思ってるかもしれないけど、案外みんな分かってると思うよ。それにしてもつまんない。私帰るわ。悪いけど先生に聞かれたら、具合悪いから早退したって言っておいてくれない?」
高梨さんはそう言うと立ち上がり、琴子の目の前を通り過ぎ、体育館の開き扉に手をかけたが、扉を開けることはせず、少しの間何かを考えているようだった。
そして琴子に言った。
「ねえ、もしかして鏡を見てたの?」
琴子は驚いて高梨さんを見た。
琴子の座っていた位置からでは、琴子が鏡に写るわけでもないのに、高梨さんがどうしてそう思ったのかが聞きたかった。
でもさっきの恥ずかしさからまだ抜け出せず、何も言えないでいると、
「私、霊感があるの」
と、さっきと同じように、片方の口角を少しだけ上げて、高梨さんが笑った。