海斗 2
「凪咲? なんで……」
本来であれば、凪咲に合コンなんて絶対行かせたくない。不安で不安で溜まらない。そんな場面を発見したら、頭ごなしに止めはせずとも、まずひたすらに話を聞き出そうとするだろう。
だが、今はその自分がこの場に来ている。心配だから合コンなんて止めなさいなど、どの口が言えるだろうか。
「え、お兄ちゃんって」
凪咲の言葉に反応したのは九重だった。なぜだ、なぜお前が反応するんだ。女性陣か百歩譲って松重ならまだしも、なんで自分とも初対面のお前なんだ、おい。
「あ、ええと、私のお兄ちゃ……兄なの!」
「あ、そうなんだ。この人が。初めまして、九重楓です」
今、「この人が」と言ったか? 爽やかスマイルを向ける九重に海斗は明らかに死んだ目で返す。
俺のいない間に、人の妹とどこまで話したんだ、こいつは。なんで、さらっとお前が俺に自己紹介をするんだ。なんだ、何かがおかしいだろう。
「なんか、凪咲のお兄さん怖くない……?」
「う、うん……九重君の事、めっちゃ睨んでる……」
凪咲の右に座る二人の女性からひそひそとした会話が聞こえ、海斗は苦虫を噛み潰したような顔で九重から目を逸らして席に着く。こいつと凪咲がどのような話をしていたのか物凄く気にはなるが、今は我慢した方が良さそうだ。
こちらの圧を直面で受けた九重も頬を引きつらせながら、「よ、よろしく……」とだけ呟き、女性へ向き直った。
その後はそれぞれの自己紹介として趣味の話に花を咲かせ、海斗も九重の事は一旦忘れて(凪咲との会話にだけは注意を払いつつ)その場を楽しんだ。九重は海斗と松重が到着する前にこれを済ませていたらしく、彼の趣味の一つである手芸に女性陣は興味を持って盛り上がっていたらしい。それに、もう一つの趣味は海斗と同じく酒であった。飲むものもワインとウイスキーで海斗と同じだ。大学も同じな上に同期で一瞬、語り合いたいと気持ちが疼いたが、癪なので聞き流してビールを煽った。
「すまん、ちょっとトイレ」
あらかた全員の自己紹介が済み、酔いも回ってきたところで海斗は一人で席を立つ。トイレついでに外で煙草を吸いたかった。流石に合コン中に女性の前で煙を上げる訳にもいかない。凪咲はこちらの意図をわかっていたらしく冷たいものを見る目で睨まれたが無視した。
夜風に当たりながら煙草に火を付け、煙を肺一杯に吸いこむ。ああ、すっきりする。大体なんなんだ、九重は。凪咲と何度か目が合っては微笑み、他の女子と比べても会話の数が多いだろ。
心の中でぶつくさと文句を垂れながら外気と混じって消えゆく煙を眺めていたら、突然隣から肩を叩かれた。
「よっ」
九重だった。またも爽やかに、さも友達のように隣に立つ彼を横目で見やり、投げやりに問う。
「……何?」
「俺も涼みたくなってさ。妹さん、怒ってたぞー。いい加減に煙草止めてほしいって」
「いつも言われる」
「だろうな。なあ、一本くれよ」
「お前も吸うのか?」
「いや、初めて。どんなものなのかなって」
「やめとけ、凪咲に嫌われるぞ」
「なんでそこで凪咲ちゃんが出てくるんだよ」
「狙ってるんじゃないのか?」
「……あー、君が俺に冷たい理由が分かったわ。別にそんなんじゃない。一番最初にここに着いたのが俺と彼女だったから、しばらく二人で話してて気が合った。それだけだ」
「……ふーん」
それこそ、恋仲になる第一歩なんじゃないかと思うのだが……。
じっと九重を見つめ、言っても無駄かと溜め息交じりに煙草を一本渡す。
「お、さんきゅ」
「火付ける時は吸いながらやるんだ。じゃないと付かない」
教えて、九重が煙草を吸いだした所にライターを近づける。
「うえっ、げほっ! げっほ!」
盛大にむせ始めた。火が付くと同時に一気に煙を吸い込んだらしい。
「ま、最初はそうなるわな」
存外、九重の様子が可笑しくて笑いを堪えきれずに吹き出す。九重も「俺には無理だわー」と初体験に満足したのか笑いながら煙草を眺めていた。
「これ、どうしよ」
「いらないなら俺が吸うよ。くれ」
ちょうど最初に吸っていたものが短くなっていたので、傍の灰皿へ捨てて九重のものを受け取る。すると何やら安心したように意味深な発言をよこした。
「よかった。君も笑うんだな」
「当たり前だろ。何言ってるんだ」
「俺、嫌われてるのかと思ったからさ。ってのと、ご両親亡くしてるって聞いてたから」
「凪咲か」
あいつ、初対面の男に余計な事を。だが、これで合点がいった。こいつが最初、自分に向けたあの眼差しはこの話を聞いていたからか。
この言い知れない不快感が伝わったのか、九重は慌てたように取り繕う。
「あ、すまん。二人でいた時にマギの話になって、それでな。ほら、ここの店員にマギの子いるだろ。その子がおしぼり持ってきてくれた時に名札見て凪咲ちゃん固まってたから、聞いちゃったんだ」
マギの子、という言葉に思わず眉を跳ね上げる。機械を人間のように扱っているかのような……そんな違和感があった。思わず引いてしまう。
「マギの子ってなんだよ」
「ん? 何か変なこと言ったか?」
「いや、いい。それで? 同情でもしてるのか?」
「同情じゃないさ。俺もな、昔、母さんを亡くしてるんだよ。マギの暴走に巻き込まれて。知ってるか? 俺達が高校二年の時に発生した暴走マギによるデパート火災」
それは海斗も覚えがあった。ちょうど自分の両親が亡くなったすぐ後の出来事だ。原因となったマギはその場ですぐに処分されたが、ニュースでも大きく取り上げられており、自分以外にもマギに家族を殺された人達がこんなにもいると憎悪が膨れ上がった事は今でも鮮明に記憶している。
「あの時の……」
海斗は目を見開いた。もしかしたらこいつは自分達の悲しみを、痛みを、殺したいほどにマギを憎む気持ちを、分かってくれるのではないか。
そう、歩み寄ろうと思った直後、九重は一つの質問を投げてきた。
「柊はマギの事どう思ってる?」
九重の表情はどこか寂し気に陰りを見せる。マギをどう思っているか? そんなの決まっている。
「人間に仇なす暴走兵器。憎むべき人類の敵。当然だろう」
そうだ。ずっとそう思ってきた。あの日、燃える家を、焼けて変わり果てた両親を見た時から。海斗はマギを恨み、憎み、いつか自分の手で奴らを殲滅してやると心に誓って生きてきた。
それは母親を殺された九重も同じだろう。だから分かり合えるはずだ。この気持ちを共有できるはずだ。なのに……なぜ。
「なんで、そんなに俯いているんだ」
「やっぱりそう思うよなって思って。仕方ない事……なんだよな」
「どうした? 何が言いたい」
「柊。君の気持ちはよく分かる。マギを嫌うのは仕方ないとも思う。だからこんな事を言うのはとても残酷かもしれない……けど、お願いだ。マギを……怨まないでくれ」
…………は?
そう告げる九重の表情はより一層暗澹としたものになった。悔しそうに、同時に言いづらそうに両拳を握りしめている。
「何を言っているんだ? そんなの無理に決まっているだろ。お前も親を亡くしてるんだよな? なのになぜそんな事が……」
「俺にはマギの親友がいるんだ」
「マギの……親友?」
なんだそれは。奴らは未来から来た猫型ロボットとは訳が違う。いつ暴走するか分からない危険なアンドロイドだ。それを親友と呼ぶなど命知らずもいいところだ。確かにマギを家政婦として飼っている家庭も少なくないが、海斗には全く理解できない。
「ステラっていうんだ。優しくて、良い奴でさ。俺が産まれた時から傍にいたんだ」
「産まれた時から……だと?」
それはおかしい。マギが世に出たのは自分達が十歳の頃だ。それなのに産まれた時からマギが傍にいるのは有り得ない。精々、マギを作った九重浅葱の孫だとかそんなものでもなければ……九重……?
「お前、まさか九重浅葱の……」
こいつと会った時からずっと頭の片隅に引っかかっていたものがあった。それは九重という名前。どこかで聞き覚えがあった。そうだ、九重浅葱。マギの生みの親にして諸悪の根源。その予想は願わずとも当たったのか、目の前の男は静かに頷く。
「ああ、孫だ」
恨みに恨みを重ねた人間。生涯これほどまでに憎むことは後にも先にもないだろうと、そして会いたいと焦がれた人物に最も近い者が今、目の前にいる。
そこから先は無意識だった。両親を亡くしてからずっと溜め込んでいた怒りが一気に爆発した感覚だけは覚えている。気が付いたら九重が倒れていた。それを見てハッと我に返る。左拳のじんじんとした感覚に意識を向けると、まるでそれは「殴ったぞ」と主張するかのように痺れを増した。
それでも九重は切れた唇から流れる血を袖で拭いながらふらふらと立ち上がり、尚も口を開く。
「マギは……兵器でも……敵でもない……」
「……そりゃマギを作った奴の孫だもんな。日本をこんな風にしたのが自分の家族だなんて思いたくないよな」
「ステラは! マギは……俺達と同じ、感情のある命だ。パートナーシップ機能さえなければ、あんなものがなければ……皆、暴走なんてしなくて済んだのに」
「何言ってんだ? なんでそこでパートナーシップ機能が出てくる」
「マギが暴走する原因は知ってるか?」
「人間への不満や怒りによって暴走するんだろ」
「違うよ。そんなことじゃ暴走しない。その原因がパートナーシップ機能なんだ。人間からの命令で無理矢理動かされる。感情があるのにそれを無視してまで、だ」
「その感情があるのがおかしいんだ。作り物の分際で、何を人間の真似事なんざしている。道具は道具らしく大人しく言う事を聞いていればいいのに。そもそもパートナーシップ機能を付けたのだって九重浅葱なんじゃないのか」
掃除機はボタンを押せばゴミを吸う。冷蔵庫は中に食材を入れたらそれを冷やす。他の機械も文句を言うことなく自分のなすべき役割を果たす。なのにマギという物は、自分のするべき役割に不平不満を露わにして人間を殺しさえする。とんだ欠陥品だ。
「そう。そう思っている人が多すぎる。爺さんはそんな機能付けてないよ。むしろ、こうなることが分かっていて頑なに拒んでいた。それを実装するならマギの量産はしないとまで言っていたんだ。だけど国が勝手に実装してしまった。命令を聞かない機械の方が怖いって言って……」
「…………知らねえよ、そんなこと」
この話は聞くべきなのだろう。もしかしたら自分は今までマギに対する勘違いをしていたのかもしれない。そんな思いが一瞬過った。だが、そんな事を突然言われて、はいそうですかと受け入れられる程の器もなければ余裕もない。マギは敵だ。今まで通りそう思って、叔父と従兄弟のいるオリオンに入って、マギを倒して。そうしてさえいれば、いつかきっと心は満たされる。そう信じたかった。
もうこれ以上ここに居たくない。九重の顔も見たくない。合コンの最中だが、もう帰ってしまおう。海斗は手に持ったままだった消えかけの煙草を灰皿にねじ込み、店へと戻っていった。