海斗 1
柊家は裕福な家庭だった。結婚二十年目にして未だ新婚のように仲のいい両親。容姿端麗成績優秀と謳われる兄妹。人柄も良く、休日はいつも家族で出かけていて、時には近所の家族達と旅行に行く事もあり、周りからの評判も良かった。
海斗自身、家族の事は大好きであり自慢であった。特に妹の凪咲を溺愛していて彼女に対しては父以上に心配性な面もある。学校で妹は様々な男達から人気があり、その噂は兄である自分の耳にもよく届いていた。
――「柊さんいいよな」「やめとけ、レベル高すぎだって」「告白してくるわ」
そんな会話が頻繁に聞こえる中、同時に男達の視線を集める凪咲をよく思わない女子も多かった。幸い、いじめにまで発展したことはないものの、どこか女の子達の輪に入れないと寂しそうにしている妹を見ていて海斗の頭は漠然とした不安でいっぱいになっていた。しかし、ある時から急にその様子を見なくなり、代わりに突然明るくなった為、それはそれでまた心配になったが、凪咲は「なんでもなーい」とはぐらかすだけ。両親は「友達が出来たんだろう」と言っていたので、渋々ながらそれで納得することにしたのだった。
そんな可もなく不可もなく他より幾許か幸せな日々を過ごし、海斗にも初めての恋人が出来た高校二年の夏休み。その事件は起こった。
「なんだ……これは……」
習い事である剣道からいつも通り帰ってきた夜、海斗はあり得ない光景にただ立ち尽くしていた。
家が燃えている。轟々と音を立てて、真っ赤に、熱く。周囲には野次馬が殺到しており、その中から一人の女性に声を掛けられる。
「あ、海斗君! 良かった……あなたは外にいたのね」
隣の家のおばさんだった。毎朝挨拶を交わす仲で、互いの家族同士で旅行にも行った事がある。そんな彼女が涙ながらに海斗の手を固く握る。
「おばさん……これは……これは、一体……」
上手く働かない頭でただ燃える家を眺める。すると、脆くなった玄関の屋根が鈍い音を立てて崩れ落ちた。その音で我に返り、海斗は一目散に家へ駆け寄る。
「父さん! 母さん!」
「やめろ!」
だが、駆け出した海斗を見た周囲の男達数人に体を押さえつけられてしまい、家へ入ることを阻まれてしまう。
「離せ! 中に父さんと母さんが! 助けなくちゃ!」
「こんな火の中に入ったら君まで危険なんだぞ! 消防隊が来るまで待つんだ!」
「待ってられるか、そんなの! 離せよ! 離せ!」
細身の割に力には自信があったが、複数人から取り押さえられれば海斗でも抵抗が出来ない。そうしている間にも中にいる両親がどうなっているのか不安が募っていき、ただただ暴れるがどうしても彼らの腕から逃れる事は出来なかった。
いつまで叫び、もがいていただろうか。息が切れてきた頃、海斗は視界の端に違和感を覚えた。
野次馬の群れから離れた所で何者かが海斗の家を眺めている。街灯の明かりから外れた場所に立っているのでよく見えないが、それは全身が漆黒で包まれているような異様さを醸し出していた。
「誰だ……?」
海斗の視線がその人物へ釘付けになり、思わず呟く。人間なのか? マギなのか? 何故隠れるような恰好をしている?
「おい……誰なんだよ、お前! なんで俺の家を見てるんだ! おい!」
徐々に声が大きくなっていき、それが怒号と化してようやく、その人物はハッとしたようにこちらを向いた。顔は見えないが見えないが、確かに目が合った。そう確信した後、そいつは人間では有り得ない跳躍力で近所の家の屋根を飛び移っていき、瞬く間に姿を消してしまった。
しかし、その人物が飛び去る時、一瞬だけ街灯に照らされたフードを被った黒のローブ姿、それに真っ赤な右腕を海斗は見逃さなかった。あれは明らかに血だ。それもローブの内部から染み出しているような付着の仕方でもない。表面から滴り落ちるように、文字通り濡れていた。つまりは返り血。
お前か……お前なのか……!
「お前がやったのかああああ! 逃げるな! 戻ってこい!」
「君、落ち着いて!」
「離せ! さっきまでそこに黒い奴がいただろ! なんで誰も気づかないんだよ!」
「黒い奴って、何を言っているんだ!」
「犯人だ! 犯人がまだそこにいたんだ! あいつが俺の両親を!」
息切れしていた事も忘れ、燃え上がった怒りに再び叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。声は掠れ、喉も痛くなり、段々と涙も溢れ出してきた。
「父さん……母、さん……」
遂に疲れ果てた海斗の意識は薄れていき、遠くから聞こえる消防車のサイレンを最後に見知らぬ男性に捕まれながら眠りに落ちていった。
それから三年。
あの事件の後、海斗と凪咲の二人は父の弟である叔父の繁畑秀作に引き取られた。燃えた家からはマギの血痕が検出され、事件の原因はどこかの暴走マギによるものと断定された。ただし、周囲にマギの残骸はなく、手負いで逃走したらしいのだが討伐されたという話は未だに聞いたことがない。
凪咲はと言えば消防隊によって火事が沈下されて両親の遺体が病院へ運ばれていった後に帰ってきたのだが、しばらくの間は現実を飲み込めずにいた。その日はデート中だったらしく家まで送ってきてくれた当時交際寸前だったクラスメイトまでパニックになって逃げ帰ってしまい、拠り所を無くした彼女はショックから学校を一週間休んでしまった。
しかし、繁畑家に引き取られ、秀作を始めとして叔母の好子、従兄弟で昔から仲の良かった依月が本当の家族として温かく迎えてくれた事で心の傷は少しずつ癒え、大学まで通わせて貰った海斗と凪咲は幸せな日々を取り戻していた。
そんなある日、同期の男友達である松重から合コンにどうしても来てほしいと頼み込まれた。海斗自身そこまで恋人が欲しいと思っていたわけでもないが、高校時代の彼女とも卒業を期に別れていたし、特に断る理由もない。酒も飲めるしいいか、と軽いノリで了承した海斗は彼と二人で大衆居酒屋へ向かった。
この時だった。後の親友となる、忌々しき九重楓と出会ったのは。
松重からは三対三での合コンと聞いており、女性陣ともう一人の男は現地で合流との事だった。話の通り、目的の居酒屋に入ると緑がかった肩程まである長髪の男性が席に座っていた。向かいの席には既に女性陣が三人いる。つまりは自分達が最後の到着らしい。
「九重ー、遅れてすまん!」
「おう、お疲れ。悪い、先に一杯飲ませてもらってるぞ」
切れ目に整った鼻筋、細めの顎と全体的にシャープな印象を与える九重と呼ばれた男は、一人で三人の、それも初対面の女性を相手にしていたらしい。女性陣もにこやかで、既に場はそこそこ温まっているようだ。
(俺には無理だな……。気さくな奴なのか、単にチャラい奴なのか)
彼の事は何も知らないが、何となく自分とは違うタイプだなと、あまり良い第一印象を抱かなかった。不思議と「何でも要領よくこなしてしまう遊び人」に見えてしまったのだ。…………本当に何も知らない人なのだが。
そんなモヤモヤしたものを九重に感じていたが、とりあえず座ろうと席を引き寄せた時、聞こえるはずのない声が耳に届いた。
「お兄ちゃん……?」
「はっ?」
声がしたのは九重の向かいの席。顔を向けると最愛の妹、凪咲が目の前にいた。