似たもの同士
楓は市街地で困惑していた。拳を握りしめた無表情の敵が前方からにじみ寄ってきていると言うのに体が動かないのだ。いや、厳密に言えば≪前へ向かいたい意識と後ろを向いて一時撤退したい意識≫が互いに引っ張り合っている状態である。
「おい、ライル、何逃げようとしてんだよ……。応戦するぞ、離せよ」
<馬鹿か君は、戦闘経験皆無な上にバディセンスと相性最悪な奴が真正面から立ち向かって勝てるわけないだろう。そっちこそ離せよ、僕のいう事を聞け>
「これは俺の体だし、初陣なんだから、まずはやりたいようにやらせてくれたっていいだろう」
<それで死んだら元も子もないんだぞ、まずは僕の言うとおりにやれ。疑問があれば後から聞くから>
戦闘中だと言うのに、一つの体を共有する二人が絶え間なく火花を散らせる。その間にも敵の歩みは止まらない。後数歩、足を踏み込まれたら拳がこちらへ届いてしまうだろう。
<あー、くそっ! もう逃げられないじゃないか!>
今から逃げようにもそれが出来る程、敵との距離に余裕がなくなってしまった。ライルが観念したのが自分の意識のように分かり、楓は得意げに鼻を鳴らす。
「よし、じゃあ応戦だな」
<ああ、そうだな。全く腹正しいがやるしかない。敵が怯んだらすぐに距離を取るぞ>
そして楓は右手に握った黒剣を斬り下ろすつもりで振り上げ……同時にライルは左手に握った白剣を同じように振り上げた。
「え……?」<あ……>
何が起きたのか分からない。瞬間、眼前に迫った拳は降参のポーズで混乱している楓の腹部に深々と突き刺さった。
≪トレーニングレベル1、フェイルド。クリアランク、測定なし≫
楓が腹を抑えて床に膝を着いたところで、まるでダメ出しでもされるかのようなブザー音と共に女性の機械音が流れた。ここは開発中のプログラム実体化システムを使ったARトレーニングルームだ。システムがトレーニング終了を感知し、同時に立ち並んでいた仮想ビルは緑の粒子軍となって背景に溶け、辺りは何もない青の空間へと姿を戻した。
楓は痛みをどうにか堪えながら、立ち上がる。
「い、いってえ……」
<僕がレベル1を失敗するだと……? こんなことが……こんなことが……>
≪あー、楓、すまん、言い忘れてた。俺、左利きだからライルもそう設定されてるんだ≫
「依月さん……それを早く言ってください……」
依月もライルも何故そんな重要な事を忘れていたのか。
右耳に取り付けられた超小型のスマートインカムから苦笑気味の依月の声が聞こえたので、それに答えつつ、内心、悪態をつく。
「くそっ、ライル、もう一回やるぞ」
<ああ、当然だ。こんな無様なまま終われるか。今度は足を引っ張るなよ>
*
「なんで……なんで一回も勝てないんだ。前はあんなに戦えたのに……」
数時間後、もう何十戦とレベル1トレーニングを繰り返した楓は起き上がる気力もなく、トレーニングダミーにやられて倒れたまま天井を見上げていた。
<前は切羽詰まっていたからな。お互い、考える余裕もなかったからとにかく戦うしかなかったんだ>
「今は考える余裕がある分、互いに反発しあう、か。だったらトレーニングレベルマックスだ。死ぬ気で追い込むぞ、ライル」
<ほう、そりゃいい。やってるよ>
「ああ、勝つまでやるぞ」
≪ほらほら、お前ら、もうずっと休憩なしでやってるだろ。がむしゃらにやったって意味ないから一度やす――≫
「嫌です!」<嫌だ!>
≪いや、だからやるなら休憩して冷静になってから――≫
「まだやれます、疲れてなんかいません!」
<そうだよ依月、僕がこんな程度で負けて逃げるなんて許されない!>
≪……お前ら熱くなりすぎだっての。休めって言ってるだろ≫
「でも!」<でも!>
≪人の話を聞け≫
「……はい」<……はい>
依月の声色から、いつもの穏やかな雰囲気が消えた事に怖気付き、楓とライルは大人しくトレーニングルームの扉を開いた。
<大体だな。本来、ユニット使用者とバディセンスは意識がシンクロしているから互いに会話するなんてまず有り得ないんだ。本来は調和しあう二人が混じりあうから最高のスペックを引き出し、最高の状態で戦えるんだ。真逆な君とじゃ、本来の戦い方なんて出来やしない>
後ろでガラス張りの自動ドアが閉まるや否や、またライルの小言が楓の眉をピクリと跳ね上げた。
「なんだよ、いきなり。本来本来うるさいな。もうイレギュラーな事が起っちまってんだから仕方ないだろう。大事なのはここからどうするかだ」
<そのイレギュラーは誰のせいだ? そもそもお前が僕を装備なんてしなければこんなことには!>
「だからそれは悪かったって言ってるだろ!」
「ふふ、お疲れ様です、先輩」
歯を剥いてライルと言い合っていると、楓の怒り声にも動じない柔らかなが耳に届いた。声の方へ顔を向けると、アイシクルピンクのワンピースコートにコーラルピンクのパンプスを合わせた女性が柔らかな笑顔を浮かべていた。腰まであるウェーブのかかった長い金髪と香水の甘い香りが雰囲気の穏やかさを一層引き立てている。
「……凪咲?」
楓は目を見開き、彼女の名を呼ぶ。大学時代の後輩にして親友の妹、柊凪咲だ。
争いとは縁遠い心優しい彼女が、依月の隣でタオルとスポーツドリンクを差し出していた。