決意
「本当に申し訳ございませんでした!」
本日を以て晴れて退院、同時に隊員となった楓は、ようやく元気になった体で、早速深々と頭を下げている。
前にいるのは苦笑する依月と無表情なリリカの両名。楓がこれから所属することになる第17部隊へ連れていく為、迎えに来た彼らだが、依月が身に纏う制服の右袖だけが無気力に垂れ下がっており、心に刺さる。
「あはは……。前にも言ったけど、もう大丈夫だってば。そんなに気にするな」
頬を掻きながら依月が言う。その言葉の通り、この会話は何度目かになる。
退院する今日までの間、依月とリリカは小まめにここを訪ねて来ていたのだが、その度にこうして頭を下げているのだ(毎度持って来ていた見舞いの品々が何故か花束だったり楓の好きな本ばかりなのは気になったが)。
「でも……」
楓は頭だけでも上げつつ、視線は床へ向けられたままに口ごもる。
それでも、割り切る事は出来ない。良かれと思っての行動とは言え、自らの行いで救助に来てくれた依月の腕を失わせ、リリカの姉であり楓自身も愛を向けていた女性、エルを亡くしている。いくら謝っても足りないくらいだ。
「私のせいで……繁畑先輩も、リリカさんも……」
「あーーー、ったくもう、楓!」
「は、はい!」
突然、大声が病室中に響き、楓の俯く視線は瞬時に声の主である依月へと固定された。その表情は呆れと苛立ちが混在している。
「あのな、お前はあの時の行動に後悔してるだろうし、やらなければ良かったと思ってるのかもしれない。だけどな、もう過ぎた事なんだ。これからはオリオンとして一般人を守っていく立場のお前が、過ぎた事をいつまでも引きずっていてどうする」
「しかし……そんな簡単に割り切れません」
上げた視線がまた下を向く。楓にはオリオンに入って成し遂げたい想いがあった。だが、いきなり躓いた。想像以上に厳しい。
「割り切れなくても、やった事は背負わなければいけない。自分の行いによって、助けるべき相手が助かると、それが正義だと信じたなら覚悟をもって実行しなければならない。今回のように罪悪感に苛まれる事もあるだろう。時には恨まれる事だってあるだろう。それでも、その正義を実行した責任を背負い、自分を信じ続けなければならないんだ」
自分を信じなければならないとは、相当に厳しい言葉だ。だが、自分は今までもマギを恨む父に対し、自らの正義を信じて反発し続けてきた。これからは、この気持ちがオリオンとして、人間とマギ双方を守る剣として必要なのだ。頭では分かっている。だが、気持ちが着いていかない。その悔しさから両手で拳を作り、力を籠める。依月の言葉が続く。
「確かに君があの時やった事は、とても褒められた事ではない。だけどな、俺個人の意見からすれば、あそこで飛び出した楓の勇気は賞賛に値すると思っているんだ。この腕だって戦うと決めた時には覚悟していたさ。今更なんとも思っていない。楓、迷うな。正義と信じたならば覚悟を持って貫き通せ。それが民を守る盾となり剣となる」
「…………」
ありがたい言葉であり、同時に苦しい言葉だ。
自分にやれるのか。いや、やるしかない。そうだ、迷っている暇なんてない。幼き頃の友との約束を忘れてはいない。エルの時にも覚悟を決めた。拳に籠められる力は、より強くなり、俯いていた顔は上がっていた。緩んでいた口元はきつく結ばれ、瞳はしかと依月を射抜いている。
これからは戦いの日々だ。正直、完全に飲み下せたわけではない。迷いも失敗することへの恐怖もまだまだ大きい。また挫折するかもしれない。また不安になって悩むかもしれない。だが、ずっと追い求めてきたこの道を選んでしまった以上、立ち止まるわけにはいかない。
「先輩、すみませんでした。いや、ありがとうございます」
「分かってくれたならいいんだ。ああ、それと、話し方もそんなにかしこまらなくていい。依月って呼んでくれていいよ。さあ、もう時間だ。部隊へ顔を出しに行こうか」
「私も、さんはいらない。リリカでいい」
「ありがとう、依月さん、リリカ」
*
「疲れた……精神的に疲れた……」
短い時間ではあったが、部隊内での挨拶を終えて部隊の在り方や過ごし方について説明を聞いた楓は現在、休憩スペースの中央に設置されたソファーで仰向けに倒れ込み、ソファーから飛び出した頭をミディアムショートの暗緑髪と共に垂らしている。
視線の先にあるガラス張りを見ると、大きいはずの瞳は鳴りを潜め、重力に逆らう気すら起きない口はだらしなく開きっぱなしになっていた。
隊長である父、聡一郎による説明は簡単なものだった。バディセンスによる身体能力強化がある為、個人的に戦闘訓練さえやれど、走り込み等の基礎訓練は必要ないという事。
事件発生時以外はチームワークを重視した模擬戦闘を主に行い、部隊全体の連携を強化するという事。
部隊内では必ず五人一組の分隊が作られ、そこに所属する事。
楓の場合は依月の穴を埋める為、本来彼が所属していた分隊に入る事。
敵を倒す事を躊躇ってはいけず、例えオリオンの仲間が暴走状態となった時も速やかに排除する事。
他にも訓練に集まる時間等細々としたものを聞きいただけだ。それだけなのだが、その間に浴びせられる部隊メンバーの冷ややかな視線がとにかく痛かった。皆、隣に立つ依月の腕と楓とを交互に見比べ、時折「こいつがイツキさんを……」「いきなり飛び出してユニットを勝手に使うとか」等といった小声が常に聞こえていた。
その後は速やかに解散し、自分が所属する分隊のみ残って顔合わせをしたのだが、そこにいた小柄な青年。確か、小林満と言っていたか。彼の視線が特に痛かった。まるで殺意でも込められているのではないかと思うほどに鋭い眼差しを、ついぞ楓は直視することが出来なかった。
視線の先で自動販売機から缶を三本取り出す依月が口を開く。
「ははは、まあ、なんだ。元気出せ」
ほら、と熱い珈琲がぼけっと垂らされた頭に当てられた。
「あっつ‼」
突然のいたずらに手足をばたつかせながら起き上がる。そのまま手に収められていた缶のラベルでは、余裕を見せろと言わんばかりに黒いオヤジがダンディに煙草をくわえていた。
「ほらほら、過ぎたことを後悔しない、だろ?」
「う、はい……」
今朝の話を依月が繰り返す。何の気なしに首を反対へ回すとリリカが依月から投げ渡されていた珈琲を口に付けながら窓の外を眺めていた。
この二人はいったい、どんな苦難を乗り越えてきたのだろうか。依月も歳としては若いはずだが、様々な境地と葛藤を超えてきた事が時折、その言動から見受けられる。きっと長い間戦い、その中で多くの苦しく辛い経験をしてきたのだと思う。リリカにしても、マギとして産まれた事による人間からの批難とも戦い、彼女なりに今を生きているのだろう。
そして、これからは自分も……。
「よしっ」
勢いよく立ち上がり、リリカの隣で子気味良い音と共にプルタブを開ける。そして中身を一気に飲み干す。
「これからよろしくな、リリカ」
「こちらこそ」
東京の街を一望出来る一面のガラス張りには、覚悟を決めた楓と相変わらず無表情のリリカが映っていた。