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プロローグ

≪昨日午後五時ごろ、東京都葛飾区にあるマンションの一室でマギによる暴走事件が発生し、六十代の男性一人が死亡しました。現在はオリオンの出動により暴走個体は処分されています。調べによると、このマギは死亡した男性により「お前は奴隷だ。俺の言う通りにしろ」と毎日無理な命令ばかりされていたらしく、それが今回の暴走に繋がったと見て調査を進めています≫


 沈みかけた太陽によって、オフィス内が寂しげな赤で照らされている時間。


 九重楓が眩しい光を遮断しようと窓の上部からブラインドを下ろしていると、すっかり耳に馴染んだ女性アナウンサーの声が聞こえてきた。どうせ、いつものように無駄に豪勢な椅子に腰かけた社長が、頬杖をついてスマートフォンを眺めているのだろう。もはや、無意識に理解しながら振り向くと、やはり予想通りの光景が目に入った。見渡すと他の社員達も皆一様にぼけっとした表情でそれぞれのデバイスを眺めている。


 だらしない先輩上司達の姿に肩を落とすが、楓自身も何も口にせず自分のデスクへ腰を下ろす。以前こそ、皆にちゃんと仕事をするよう訴えていたのだが、こちらが異端視されるだけでまるで改善されなかった為に諦めた。それに、もう間もなく終業時間だ。チャイムが鳴ると同時に全員帰るだろう。そう現状の悩みの種を頭に巡らせ、パソコンで作り終えた資料のウインドウを閉じる。同時に時計の短針が五を刺し、リズミカルな高音が室内を包んだ。既に帰り支度を済ませている面々が待ってましたと言わんばかりに席を立つ。一名を除いて。


「今日も終わった終わったー。じゃあ後は頼んだぞ、エル」


 相も変わらず責任と言う言葉を知らない社長が一人の女性社員エルの肩を軽く二度叩く。楓はそんな社長へ鋭い眼差しを向けるが、奴はそれを見飽きたように一瞥して何も発する事なく他の社員達と共に去っていった。


 そんな自分勝手な奴らへのささやかな抵抗と言わんばかりに舌打ちをするが、それも虚しく開かれた扉が閉まる。耳に届いた無機質な音が自分を嘲笑っているようで不愉快だ。だが、その不快感は長くは続かず、代わりに凛とした声と、それに伴う居た堪れなさが訪れた。


「先輩、お疲れさまです。先輩ももうお帰えりください。後は私がやっておきますから」


 首を左へ向けると、すぐ隣の席で笑顔のエルがこちらを見据えていた。しかし、その黒く美しい眼差しは澄んでこそいるが、隠しきれない疲れが見て取れる。当然だ。彼女はこの一か月程、まともに家へ帰っていない。恐らく食事すら取っていないだろう。それでも痩せ衰える事無く、倒れる事もなく今こうして活動出来ているのはマギであるが故の呪いに変わりない。


 マギとは十四年前に量産された人工生命体だ。人々の生活が豊かになるよう、同時に心も温かくなるよう想いを込められた作られし命。


「なあ、エル」


 そのマギである彼女はすぐにディスプレイへ向き直り、凄まじい速度でキーボードを操っている。それを覗き込むように声をかけると「はい?」と怒涛の動作はそのままに笑顔も崩さず、優しい声がゆっくりと返ってきた。


 人間からしたら尋常ではない行動だが、そんな光景もすっかり見慣れてしまった為、特に気にせず言葉を繋ぐ。


「いつも言ってるけどさ、帰っていいんだぞ。あんな自分勝手な奴らの言うことなんか聞かなくても」


「いえ、命令には逆らえませんから」


 向こうも聞き飽きているだろう提案に、こちらも聞き飽きた即答。まあそうだよな、と内心嘆息しつつ、向けられた作り笑顔から視線を逸らす。


 命令。マギである彼らの代名詞とも言える言葉だが、耳にする度にどうしてもそれが頭に残る。


 身体能力、知識、それを余すことなく駆使する頭脳、そのどれを取っても人間等遠く及ばない一級品以上のスペックを持っている彼らの出現は確かに人々の生活を楽にはしてくれた。……だがそれだけだった。


 開発者が何よりも重要視していた感情ある知的生命体との絆。そして、それによる心の豊かさはまるで得られず、それどころかマギを道具としか見ない傲慢な人間が溢れてしまった。それもそのはずでマギには人間の命令に逆らう事の出来ない、パートナーシップ機能と呼ばれるものが付加されてしまっている。


 例にもれず、エルもその機能によって全社員の仕事を押し付けられていた。


 人の少ないオフィスとは言え、一人で十数人規模の仕事を押し付けられ、まともに帰る事も出来ず、それでも次の出勤までにはこなせてしまう。そこに付けこんで更に余計な仕事を増やされ、それでも休日を返上して命令を完遂できてしまう。その上、食事も睡眠も必要ないとなれば、雇う側からすればこの上なく便利な≪道具≫だろう。だけど彼らには心がある。感情がある。それを道具扱いする奴らが、それを当たり前とする世間が許せなかった。


「なんでそんなに頑張れるんだ」


 意識したわけでもなく、ただただ自然にそう漏らす。


「なんでって、そういうシステムですから。仕方のない事です」


 エルが激しくタイピングする手を止め、変わらぬ笑顔でこちらを見る。その笑顔が何故か不快で。


「なんで、笑えるんだ」


 また漏らす。あまり上手く思考が出来ていない。周りの人間達への苛立ちがエルに向いてしまっている。


――どんくさい。へらへら笑うな。だからあいつらが付けあがるんだろ。


「だって……その、ほら、人の役に立てるのは……嬉しいですから。マギ冥利に尽きると言うものです」


 本心なわけがない。


 肥大化していく不快感から頭を掻きむしり、足を揺さぶる。無意識ではあるが、意識したところで止まらない。止める気が起こるほど余裕もない。


「なんで、そんなに我慢できるんだ」


「別に我慢だなんて。好きでやってるんですから」


「嘘だ。抱えこんでるだろ」


「そんなことありませんってば」


「これだけ好き勝手命令されて、自分の時間も与えられないのにか」


「そ、その為に雇われたんですから、いいんです」


「だからって、あいつら何もやってないんだぞ。給料だってまともに払ってな――」


「黙れ!」


 互いの声色が強くなっていく中、突如、エルから聞いたこともない怒号が飛び出した。その衝撃で我に返る。


 ――やってしまった。


 心配する気持ちが裏目に出て、冷静さを欠いていた。これでは彼女を余計に追い詰めていただけだ。だが、それだけでは済まない。人間ならともかく、マギを相手にして口喧嘩など、絶対にやってはいけない事だと今や子供でも知っている。ましてや今回のように一方的な攻撃ともなれば尚更だ。


「エル、ごめん、悪かった。何も知らずに勝手な事を」


 急いで取り繕い、エルの肩へ手を掛けようとする。


 だが、それは叶わず、代わりに胸へ強い衝撃を受けた。


 次の瞬間、今度は背中へ痛みが走り、頭上からファイル類や書物が次々と落下してくる。


「が、はっ……」


 息が出来ない。懸命に息を吸おうとするが、辛うじて吸えただけの微量な空気で胸が浅く不規則に上下するだけだ。苦しさから片手を床に、もう片手で心臓を握りしめるように抑える。口内の鉄臭さと共に、床にいくつかの赤が飛ぶ。


 どうやら壁まで吹き飛ばされたらしい。痛みに逆らうように顔を上げ、小さくなったエルを視界に映す。


「エ……ル……」


「黙れ、黙れ……黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ! 人間に私の何が分かる! この苦しさが、妬ましさが! せっかく感情を押し殺してきたのに! どうしてそんなに残酷な事をするの!」


 穏やかだった瞳を吊り上げ、笑顔の絶えなかった表情は鬼気迫る形相と化し、肩は上下に大きく揺れている。


 ふと、先ほどのニュースキャスターの言葉が脳裏を過ぎった。


 マギの暴走現象。


 感情ある命と、命令に従う機械。その二つの特性を併せ持つが故に起きた競合。いわば強烈なストレスから来る故障で、その名の通り、周りの全てを無差別に攻撃、破壊していく。


 だが、暴走が周辺で起こると、スマートフォンへ避難勧告通知が来る。それが来ていないという事は、きっとエルは感情的になっているだけで暴走しているわけでは……。


 そう、僅かな希望を抱きかけたところで、スラックスのポケットから激しい振動を感じた。整いかけていた息が詰まり、震えていた肩がピタリと止まる。


≪半径五百メートル以内でマギによる暴走現象が発生しました。付近の住民は直ちに避難をしてください。半径五百メートル以内で――≫


 スマートフォンが甲高くけたたましい警告音と女性の機械音声で騒ぎ出す。


 逃げ場などないとでも言うように叩きつけられた現実を、いよいよ直視する他なくなった。後悔、悲しみ、恐怖、焦り、いくつもの感情が混ざり合う。


「はあ……はぁっ」


 体は震え、息が荒くなってくる。


 そんな絶望もお構いなしに、エルがゆらりと椅子から立ち上がる。そして、引き出しの中で隙間なく資料を詰めたオフィスデスクをあろうことか片手で持ち上げ、こちらを見据えた。


 投擲。まるで躊躇する様子もなく、それが当たり前とでも言わんばかりに、ごく自然に。


 何故だろう。やけに視界が明るくなった。宙で風を突き破るデスクも遅く見える。


 あぁ、これが死の直前か。


 ゆらり、ゆらりと優しい揺りかごに乗ったような感覚に身を任せ、目を瞑る。


 膨大な恐怖は立ち消え、不思議と穏やかな気分だ。


 母さん、もうすぐそっちに――。


「こちら依月、ターゲットを補足した! 現場にて民間人が一名負傷中! これより援護及び討伐を開始する!」


 だが、甘い感覚は鋭く繊細な炸裂音と低く力強い男の声、更に続く両脇からの轟音によって粉々となっ

た。


 無理矢理に現実へ引き戻され、目を開けた先には割れ散らばったガラス窓。そしてその破片群を踏んで、 純白のコートを纏う二人の男女。視線を左右へ泳がせると、真っ二つになったデスクが転がっていた。


 目の前に立つ力強い背中には日本人なら誰もが見慣れた、金糸で刺繍されたオリオン座が存在を主張している。


「オリオン……」


 対暴走マギ用戦闘組織オリオン。


 今回のような事件で出動する武装警察にして、この国で暴走個体と渡り合う戦闘能力を手にする唯一の存在。その彼らが今、ここにいる。


 助かった。


 揺らめいていた安らぎは消え、恐怖感が戻ってきた。それがむしろ嬉しくて、まだ死んでいないと自覚する。


「リリカ、行けるか?」


 依月だったか。そう名乗っていた彼は隣の少女に問いかけながら、手にした二刀の剣のうち一刀をエルへ向ける。


 その右手には身体能力強化用グローブ、コンビネーションユニット。人間の証であるそれは銀の体に夕日を反射し、機械的な姿を赤く染めている。対して小さく頷く少女の方はユニットを着けていない事からマギなのだろう。


 だが、それよりも気になる事がある。


 彼は今、この少女をリリカと呼んでいた。


 腰まで長い金髪を左右で結った小柄な後ろ姿に見覚えこそ無かったが、その名前は確かに記憶にある。


「エルの妹……?」


 問うわけでもなく呟く。その声は届く事もなく、二人は床を蹴り上げ、その身を大きく跳躍させた。


 依月は右手に握った剣をエルの頭上から振り下ろす。だが、彼女はそれを何も着けていない左腕で受け止め、右の拳を依月の腹へ向けて突き上げた。すぐさま反応した依月は受けられた剣を支点に宙で前転するように回避し、エルの背後へ着地。彼女もそちらへ身を翻そうとするが、直後、辺りを震わせた二発の銃声がそれを許さなかった。


 リリカだ。エルと楓の間に陣取る彼女は両手に一丁ずつ銀のハンドガンを手にしている。発せられた二つの弾丸はエルの腹部に命中したらしく、人と同じ赤い血が波打つように溢れ出している。


「ぐふう……がっ……がああああ」


 先ほどまで自分達と同じ言語を有していた知的生命体とは思えない鳴き声を放つエル。

目は大きく剥き出し、血を吐く口は獣の如く野蛮に噛みしめた歯を露出させている。


 とにかく逃げなければ。今は自分がこの場にいる事でオリオンの二人は守りながら戦わなければならない状況だ。ならば、せめてこの部屋から逃げ出せれば、彼らの助けにもなるだろう。


 人は極限状態に陥ると妙に意識が覚醒するらしい。恐怖は強い原動力となり、ただひたすら「やらなければ」という思いのみが頭を満たす。痛む胸は心か体か。ふらつきながらも立ち上がり、一気に出口まで駆け抜ける。


 それが間違いだった。


 突然動き出した楓にターゲットを移したエルが跳躍する。これは予想していた。誤算だったのは、何故戦況を混乱させる可能性を考えていなかったのか、そして何故彼女から逃げ切れるなどと思い上がってしまったのかだ。


 逃げ切れるはずがなかった。人間相手ならどうにか可能な距離だっただろう。だが、暴走したマギにとって、この程度の距離、一度飛ぶだけで詰められる。現に今、エルは手を伸ばせば届く距離で鋼鉄程もある強度の拳を握りしめていた。


「……っ!」


 咄嗟にリリカがエルへ銃口を向けるが、トリガーにかけた指が一瞬止まる。


 助かったはずの死が今一度、迫っている。


「嘘……だろ!」


 思わず目を閉じる。


 しかし、すぐに襲って来る筈の衝撃は一向に訪れなかった。その代わり感じたのは顔に数滴の生ぬるい湿り気。


 ……なんだ?


 恐る恐る瞼を開くと、そこには、ぐらりと倒れ行く依月。


 背後で笑う漆黒の瞳。


 飛沫を散らしながら宙を舞う右腕。


 噴出する血、血、血、血血血血血血血血血血血血。


 …………ふっ、と頭の中で何かが切れた。


 突き動かしていた恐怖心さえも消え、感情そのものが希薄になっていく。思考などない。ただただ自然に無意識に体が動き、全てから解放された感覚のみが全身を満たした。


<し、神経系リンク解除……生体反応……ロスト……依月! 何も見えない! 依月どこ!>


 ばしゃりと血を跳ね上げ、足元に腕が転がり落ちる。その手を包んでいたコンビネーションユニットはブレスレット型へ形を変え、少年のような高周波の声が聞こえた。


 楓は下に溜まる赤も関係なしに膝を着き、腕から自動的に外れているユニットを拾い上げる。


「なあ」


<依月! ……じゃない。君は……さっきの民間人? 何をしている、早く逃げろ!>


「その依月さん、助けたいだろ?」


 下で倒れる依月を見れば、気を失っているものの、まだ微かに呼吸がある。


<まだ生きているのか?>


「だが長くはない」


<まさか力を貸せなんて言わないよな? さっきは戦況を乱しておいて、今度は正義のヒーローのつもり

か? 民間人にそんな事出来るはずがないだろう、とにかく逃げろ!>


「俺は助けたいんだ」


 エルに続き、駆けつけてくれた恩人までも傷つけた。このままおめおめと逃げるなど出来ない。したくない。


 有無を言わさず、ユニットを自らの右腕へ取り付ける。


<頭おかしいのか! 適合者以外が他のユニットを扱う事は禁止されて――>


「ユニットはその使用者それぞれに適したマギ人格AI、適した人体強化用の細胞変化薬を搭載している。適合者以外の他人がそれを使用すると心身共に多大なる悪影響を受け、最悪、死に至る。知っているさ、そんな事」


 知った上で言っている。


 ここに戦う力があると言うのなら、もうあの時のような悲劇を繰り返したくない。せめて依月だけでも救える可能性が、蜘蛛の糸一本程でもあるのなら、それを掴みたい。


<何故それを一般人の君が……>


「今はどうでもいいだろう。早く、俺に力を!」


<くそ……! どうなっても知らないからな!>


 声が叫ぶと、ブレスレットは再びグローブの形となった。同時に内部の小型注射器から腕に鋭い痛みが

走り、猛烈な不快感が広がっていく。それは一瞬で全身を、そして脳までを包んだ。


<さあ耐えてみせろよ! 精神リンク、シンクロ開始!>


 頭に巨大な異物が無理矢理侵入し、自己を暴力的に搔き乱す感覚。揺らめく視界はみるみるうちに激しくなり、立っている事すら困難な上に耐え切れない吐き気が追い打ちをかけてくる。


「うっ、ぐう!」


<シンクロ率95% 98%>


 感覚が、思考が、混じり合っていく。


<……100%! 精神、思考回路シンクロ完了! さあ九重楓、僕の名前が分かるか!>


 二色が完全な一色となり、知りえない情報が頭に流れ込む。いや、最初から知っているかのように理解出来る。


 名前、この生意気そうな声の名前は……。


「お前の、名前、は……ライル……!」


 カチリ、と脳に無理矢理重なったはずの異物が、欠けたパズルのピースがハマるようにすんなりと馴染んだ。自分の思考と、普段は思いつきもしないような考え方が互いに手を取り合っている。視界もクリアになり、目に見えていない場所の状況までもを俯瞰しているように分かる。吐き気と眩暈も治まり、代わって全身に力がみなぎってきた。


 手には閃光が迸り、無数の0と1がひしめき合う。やがてそれは二対の形を成す。純白に煌めく聖剣と純黒の禍つ光を返す邪聖剣、エクスラグナ。


 依月の息はまだある。立ち上がり、顔を上げるとエルはリリカと交戦していた。だが、やはりリリカは姉を撃てないのか、どうも決め手に欠けている。


 だが、行ける。自らの戦い方もリリカの戦闘スタイルもライルが知っている事は自分でも分かる。


 跳躍。


 両手を強く握り、宙からエル目がけて白の剣を叩き下ろす。リリカの銃と拳を交差させていたエルは咄嗟に下がるが、切っ先やや手前から捉えた。肩から胸にかけて大きく斬り裂く。続けて背後から銃撃が二回。楓は横に低く飛び、弾道を確保、弾丸は適格にエルの両肩を撃ち抜いた。


「ぎやあああああ! あああ! ああ、あああ……!」


 敵が怯んだ。楓は足を休める事無く、ターゲットへ向き直り前かがみに腕を振り上げ、勢いに乗せる。純白を右上から、もう一歩踏み込み純黒を左上から、連続で斬撃を見舞う。更に続けて腹中央から二本を左右へ斬り払い。その後、風穴が開いているにも関わらずエルは腕を振り上げるが、それも下から上へ風と共に斬り飛ばす。


 取った。


 頭上の煌めきは敵の脳天をしかと睨んでいる。これで終わりだ。


「ごめん、エル」


 最後に後悔の念を口にして、楓は止めの一撃を振るった。


「ごめん……な、ごめん……エ……ル……」


 事切れたエルと同時に楓もその場に力尽きる。


 息が苦しい。指先一つ動かない。全てを見通せていた視界も掠れ、ほんの数センチ先すら見えない。

 

 急速に意識が薄れゆく中、複数の足音がどたどたと駆け込んできた。ほとんど見えない目に映るのは三人なのか四人なのか。ただ、その中央で腕を組む姿だけは理解できた。そいつが周りの者達へ重々しくのしかかるような低音を上げる。


「繁畑依月、負傷。辛うじて息はあるな。馬鹿も一人くたばっている。運べ。リリカ、何故撃たなかった」


 腹立たしい声。馬鹿とは俺のことか。くそが。


 こちらから罵声を浴びせたくても、声すら出ないのが文字通り口惜しい。


「……隊長、申し訳ありません」


「姉だったからか。それでも撃つのが貴様の役目だろう。戦いに情など持った結果がこのザマだ。違うか」


「……すみません」


待てよ。その子を責めるな。


「後は帰ってからだ。依月はこちらで運ぶ。リリカ、お前はそこの馬鹿を連れ帰れ」


「了解」


 待て……待てよ……この……。


 あのくそったれへ手を伸ばそうと努力しても、虚しく終わる。何も動きやしない。

 視界はいよいよ光を失い、奴の姿も薄れてゆく。


 くそが……まだ……おい、待て……


 クソ……親父……。


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