第七話
重々しい音が鳴り響き、エレベーターは停止する。 地図通りでいけば、到着しているのはラスヘイム牢獄の裏側近くにある倉庫だ。 ここまで来れば外に出られる可能性は非常に高くなるはず。 もっとも、ベオルスを倒したことによって俺たちの動きが悟られていることも考えられるけど……クレアの魔法と俺の魔法があれば乗り切れると信じたい。
「クレア、ここから出たらどこへ向かえばいい?」
「そうですね……ラスヘイム王国付近は危険だと思いますので、一旦は南西方向にあるユズラル水都を目指すのが最善かと思います。 何分、私の中での情勢は三年前に止まってしまっておりますので……今どのような状況下にあるかは分かりませんが、あそこは様々な国から様々な方がいるはずです」
「亡命先ってわけだな。 それじゃあひとまずはそこを目指すとして……問題はどうやって行くかだな。 距離は? 遠いのか?」
俺が言うと、クレアは少しだけ思考するように右手を口へと当てる。 そして数秒後、口を開いた。
「徒歩で一週間ほどですね。 何か乗り物でもあれば良いのですが、この辺りで調達するのは危険かと」
「なんとか頑張るしかないな……」
一体何キロあるのだろうか。 徒歩で一週間となれば、それなりの準備も必要になってくるだろう。 食料、衣服も必要になるし……無一文の俺とクレアには結構厳しい旅になるかもしれない。 最悪、トレード魔法でなんとかするしかないか。
「あ、あの。 ユウヤ様、もしもご迷惑でしたら……」
「言うなよ、そういうこと。 俺は別にクレアに恩を売りたいわけじゃないし、見返りを求めてるわけでもない。 この世界に来て最初に出会ったお前の手助けをしようと勝手に決めただけだ」
「……はい」
だから別に、クレアが気にするべきことではない。 全ては俺が勝手にやっていることであって、俺の自己中的行動なのだから当然だ。 逆にそれで罪悪感を感じられてしまったら俺が困ってしまう。 そんなことを考えつつ、辺りの様子を窺う。
「やっぱり大丈夫そうだな。 いけそうか?」
「もちろんです。 ラスヘイム牢獄の周辺は森林になっていますので、一気に駆け抜けさえできれば無事に抜けられるはずです。 普段ならば絶対に逃げられないほどの人数が配備されているはずですが……今であれば、手薄でしょう」
「了解。 それじゃあ行くか」
そして、俺とクレアは警戒をしつつも出入り口まで一気に駆け抜ける。 しかしその警戒心も結局は杞憂であり、既にラスヘイム牢獄には人の気配がなかった。 ヘイトストーカーをベオルスが解放したおかげでここまで来れたと言っても過言ではあるまい。
俺とクレアは扉の前で立ち止まる。 裏口ということもあり、扉は一般的なサイズのものであった。 俺にとっては未知の世界、クレアにとっては三年ぶりの世界だ。 少しだけワクワクしてしまったのは、内緒にしておこう。
「開けたら一気に走るか」
「分かりました」
「いちにのさんで。 いち、にの……」
タイミングを合わせ、扉を開ける。 俺とクレアは開いた瞬間に外に出て、走り出そうとした。
――――――――だが、それは叶わない。
「止まれ! そこまでだ、クレア王女及び協力者の男。 どのように脱獄したかは知らんが、儂の統治エリアでの横暴は許さんぞ」
白髪の女が立っていた。 鋭い目付き、腰に携えているのは細身の刀、言葉遣いのわりに、若い女性のように見えた。 そして、その横には数十人にも及ぶ人間が銃を構えている。 完全に……囲まれていた。
「ハリムさん……?」
横で、クレアが驚いたように言う。 その白髪の女のことを知っているのか、両手で口元を覆い、信じられないような眼で見ていた。
「随分と懐かしい顔だな、クレア王女。 このような形での再会は好ましくなかったよ」
「どうして、ハリムさんがそこに居るのですか……? あなたは――――――――」
「黙れ。 過去は過去、今は今だ、クレア王女。 世界は変わったのだよ、そして儂もまた変わった」
刀を抜き、俺とクレアにその切っ先をハリムは向ける。 突き刺さるような感覚は、俺が初めて感じるものであった。 ここに立っていることに恐怖を覚えるような、そんな感覚だ。 そしてきっと、これは殺気と呼ばれるものの類。 恐ろしいほどに研ぎ澄まされたそれが、俺とクレアに突き刺さる。
「貴様らはそこで構えておけ、牢獄からの脱獄は即処刑との決まり、儂が引導を渡してやろう」
「そんな! ハリムさん、なぜ!?」
「ゆくぞ」
距離は近くない。 だが、周囲を完全に囲まれている。 ここから抜け出す方法はただひとつ、ハリムを倒して包囲網を抜け出すしかない。
……残された十円は八枚、それに加えてベオルスとトレードしたブラッディフレアだ。 これで上手く切り抜けられることを願うしかあるまい。
「遅い」
「う、おっ!?」
「きゃ!」
おいおい、おいおいマジかよッ!? さっきまでお前あそこに居たじゃねえか!? こんな一瞬で詰めるなんて、どんな脚力してんだよ!?
十メートル以上は間違いなくあった。 だが、それほどの距離を一秒に満たない速度でハリムは詰めてきた。 俺は咄嗟にクレアを突き飛ばし、同時に俺も横へと倒れる。 そしてそれが精一杯であった。
「避けるか。 お主、中々良い反射神経をしているな。 だが、それではクレア王女を助けられまい」
ハリムは倒れた俺を横目で見たあと、刀をクレアの身体へ向けて振り下ろす。 クレアは未だに倒れており、当然避けるのは不可能だ。 だったら……!
「トレード! その刀をよこせッ!」
「む?」
瞬間、俺の手には刀が握られる。 そしてハリムの手には十円玉、無論それではクレアを斬ることは叶わず、宙を斬る羽目となる。
「ッ!!」
そのまま、俺はハリムに向けて刀を振るう。 ハリムにとっては完全に不意を突かれた一撃だ、そして未だに何が起きたのか把握出来ておらず、隙だらけの背中越しの攻撃だ! これなら確実に……。
「……ふむ、脱獄できた理由はそれか。 お主、やはり普通と違うな」
「なッ……後ろに眼でも付いてるのかよ!」
ハリムはなんなくその刀を止めた。 それも、人差し指と親指の二本でだ。 最早、人外と言っても良いレベルかもしれない。 こりゃ参ったな……クレアとの間に入られたのがマズかった、俺だけなら脱出は出来ると思うが、それだと意味がない。
……さて、どうしたもんか。
「気配だよ、気配。 獲物を殺すときは殺気を抑えろ、でなければ悟られる」
自分も殺気を出しまくっていた癖によく言うよ! つうか本格的にヤバイぞ、これ。 このままいけば俺もクレアもこの場で処刑だ。
「格闘でも儂は良いが、万が一ということもあり得る。 ここはひとつ、最善手を取らせてもらうぞ」
「きゃあ!?」
刀を下へと流され、俺に大きな隙が生じる。 その一瞬の隙を突き、クレアはハリムによって取り押さえられた。
「離せッ!」
「離せと言われ離す馬鹿はいないだろうよ。 男よ、お主のその魔法……トレード魔法だな。 儂も初めて見るが、確かにとんでもない力だ。 だが、まだ扱い切れてはいないな」
そりゃそうだ、俺もこの力を使い始めて一日も立っていない、扱い切れないのは分かっているさ。 しかしだからと言って、それを嘆いてはいられない。 何か策を考えなければ、このままでは俺もクレアも殺される。
「先ほど、儂の刀を奪った際、お主は儂に攻撃をした。 が、あそこで取るべき選択はクレア王女の救出だろうが。 その鉄物を後ろにでも投げ、儂とトレードをすれば良い。 そうすればお主は武器を奪った状態でクレア皇女を守れる立ち位置にもなってただろう。 状況判断力がまだまだ鈍い」
「そうかよ、だったらそうさせてもらう」
俺の最優先事項は、クレアの救出。 まずはそれを念頭に置け、俺の身の心配など二の次だ。
「この十円とクレアの立ち位置をトレードだ」
次の瞬間、クレアは俺の傍らへと移動する。 ハリムの足元には十円が転がり落ち、ハリムはそれを見て眼を少しだけ見開いた。
「……なんだ? お主のその力……まさか普通のトレードとは違うのか?」
「どういう意味だよ、それ。 生憎俺も良く分かってないんでね、この力は」
「……くくく、面白い。 それに興味が出てきた。 だが悪いな、クレア皇女に……そういえば、お主の名を聞いていなかったな」
「俺か? 俺は水城裕也、通りすがりの高校生だよ」
「コウコウセイ? まぁ良い、ユウヤか。 儂はハリム、このラスヘイムに置ける龍兵団隊長だ」
俺の言葉に、ハリムはそう返す。 クレアは呆然としており、未だにハリムが敵として立っていることが信じられないような顔付きだ。 言葉を失っている、と言っても良い。
「それでどうするよハリムさん。 俺のトレードは回数制限なんてないぜ」
ハッタリだ。 だが、この場で万が一にでもハリムたちを引かせられる方法があるとすれば、俺が強いと思わせる他ない。 せめて強気に、傲慢に、俺は言う。
「問題などあるまい。 言っただろう? 儂は龍兵団の隊長だと」
直後、夜が訪れた。 俺の視界は黒く覆われ、それが何か巨大な生物の影だと認識するのに数秒の時間を要した。
顔を上げる。 そこに居たのは紛れもない――――――――ドラゴンだ。
「グォォオ……」
聞いたこともないような恐ろしい唸り声を上げ、ドラゴンは俺たちの頭上を飛んでいる。 こいつはヤバイ、直感がそう告げるも、こいつをどうにかするなんて……。
「くく、さてどうする? 儂のドラゴンはオリハルコンすら貫けぬ皮膚とダイアすら噛み砕く牙、更に鋼鉄をも溶かすブレスを使うぞ? お主に勝ち目などあるか?」
考えろ、考えろ。 この世界でのドラゴンとかいうのが、一体どれほどヤバイものかは分からないが……悠に数十メートルはあるだろう巨体に、恐ろしいほど鋭利な牙を持っているドラゴンだ。 当然、ドラゴンと言えばブレスというものになるはずで……いやいやそうじゃねえ、そんな分析、必要ない。 今必要なのは、この場をどう凌ぐかだ。
癪だが、ハリムの言う最善手を考えるんだ。 この状況でドラゴンの攻撃を回避し、脱出できるまでの最善手を。 何かないか、ハリムのことを出し抜ける一手だ。
俺にできるのはトレードのみ。 ある程度なら肉弾戦もクレアのおかげでできるが、ハリム相手では確実に分が悪い。 つまり、戦うのは得策ではない。
言葉を思い返せ。 何かヒントはなかったか? ハリムの言葉から、この状況を脱せるヒントを探せ。 俺は頭をフル回転させ考える。 何のためにここへ来た、何のために俺は戦っている、何のためにクレアを助けるんだ。 ハリムを倒すのではない、クレアを守るための戦いだ。 なら、それを可能とする逆転の手は……。
――――――――あった。
「失敗だったな、ハリム」
「……ほお、何が失敗だったか聞いておこう。 それともその言葉は、お主自らの行いに対してか?」
「いいや、お前の失敗だよ。 俺の前でお前の物を見せた、それが失敗だ! トレード、この十円とお前のドラゴンを交換しろッ!!」
ハリムは確かに言っていた。 ドラゴンが上空に来たとき「儂のドラゴン」と。 ならばそれは、ハリムの所有物だということだ。 俺のトレードは所有物であればどんなものでも関係ない。 それが例え、生き物であろうと。
十円はハリムの手元に行く。 そして、俺とクレアは気付いた瞬間、ドラゴンの背中へと乗っていた。
「こ、これは……」
クレアは思わず声を上げる。 ようやく、我に返った様子にも見える。 ドラゴンは唸り声を上げつつも、俺たちに向けられる敵意は存在していない。
慌てて俺たちへ向け、ハリムの手下たちから銃が放たれる。 だが、その全てはドラゴンの巨大な身体によって遮られた。 その銃弾の雨は何一つ傷付けることなく、ドラゴンの身体によって弾かれる。
「……」
だが、そんな中俺は見た。 ハリムは驚くことなく、悔しがることなく、笑っていた。 表情こそ距離があって読み取れない……が、口元は確かに笑っていたんだ。
「――――――、――――」
そして、俺にその言葉を告げた。 聞こえはしなかった、その内容に確証があるわけでもなかった、けれど、それは俺に「頼んだぞ」と言っているように見えた。
「……行けッ!!」
俺はドラゴンへと命ずる。 すると、ドラゴンは一層大きな唸り声をあげ、その翼を大きくはためかす。 瞬く間に遥か上空へと飛び立ち、景色は一瞬で広大なものへと変わった。
「すごい……すごい、すごいです。 私、ドラゴンへ乗ったのは初めてです!」
クレアはようやくいつもの調子に戻る。 このとてつもなく壮観な景色が、そうさせてくれたのかもしれない。
「いや俺もだよ。 むしろ初めて見たからね、俺は。 それよりもこんな生き物が普通に居ることの方が恐ろしい」
「わぁああ……」
とてつもなく疲れたが、壮大かつ絶景とも言える景色を見渡しながら心底楽しそうにするクレアの姿は新鮮であった。 思えば、クレアがこうして一切の淀みなく笑ったのは、俺と出会ってから初めてだったかもしれない。
……それもそうか。 クレアにとっては三年ぶりの外の世界なのだから、嬉しくないわけがない。
いつの間にか俺とクレアがかぶっていた帽子は飛ばされていった。 クレアは風に金糸のような髪を靡かせながら、きょろきょろと辺りを見回している。 子供っぽく、歳相応にもそれは見えた。
「これで一週間歩かずに済みそうだな」
「はいっ! 全部、全部全部ユウヤ様のおかげです! 本当に、本当にありがとうございます」
クレアは笑って俺へと顔を向ける。 そしてそのまま、涙を流していた。 自分ではどうやら気付いていない様子で、俺もわざわざ何かを言うことはしない。
ずっと、縛られていたクレアだ。 今くらいは赴くままに、自由にしても罰なんて当たらないだろう。
……いや、違う。 罰が当たるか当たらないかじゃあない。 俺がその罰から守ってやらなければならないんだ。
ともあれ。
俺とクレアの旅は、始まった。