第二話
「怪我は大丈夫なのか?」
「……ええ、なんとか」
この牢獄から出るためにも、まずはお互いのことを知らなければなるまい。 そんな思いから、俺は先ほどからもっとも気になっていることを尋ねてみた。 すると返ってきたのは、無理矢理に笑顔を作って言う彼女の表情であった。
とてもじゃないが、平気そうな怪我には見えない。 今はブレザーを着ており、幸いにもクレアの背丈が小さいこともあり、少々エロいが体を隠せてはいる。 が、足や腕、首には痛々しい傷が残されている。 俺が今、クレアに対してできることは。
「クレア、この十円とクレアの傷を半分トレードだ」
「なっ、ユウヤ様! それはッ!」
次の瞬間、俺の体を激しい痛みが襲う。 まるで串刺しにされたかのような痛みが体全体を覆い、俺は思わずその場に跪く。 気を失うのではないかと思えるほど、激しい痛みだ。 そして、同時に俺の頭の中に映像が流れ込んできた。 薄暗い部屋で、奴隷服を身に纏い、蹴られ、叩かれ、血を滲ませる彼女の姿だ。 傍らには綺麗な服を着た男が立っており、鞭のような道具から鉄の棒のようなもので殴り、笑っていた。
俺は素直に恐怖を感じた。 そしてこれが、クレアが今まで受けてきた痛みの一部だと知った。
こんな痛みをずっと感じていたのか。 そして、これほどの痛みに慣れてしまっていたのか。 何より一番問題なのは……これでもまだ、クレアの痛みの半分ということだ。 ビビリな俺でよかったよ、いきなり全部もらっていたら気を失っていたかもしれない。
半分ですらこれだ。 俺にはまだ、クレアの痛みの半分も背負いきれるものではない。 だが、それでも一度助けると口にしたからにはどうにかしないと駄目だ。
「ッ! な、何をしているんですかッ! 見ず知らずの私のことなど!」
「滅茶苦茶痛い……こんなの絶対、大丈夫じゃないだろ……」
「と、とにかく体を動かさないでくださいっ!」
いやほんと、格好付けてみたは良いものの大分痛い。 体が震えるくらいには痛い。 それから俺が立ち直ったのは、三十分後のことであった。
依然として体は痛むものの、次第にその痛みにも慣れてきた。 俺はようやく起き上がると、心配そうに見つめていたクレアに声をかける。
「……それで、脱出方法って何か心当たりは?」
「もう無茶はしないでくださいね……本当にお願いします」
「分かった、悪かったよ。 今度からちゃんと言うから、それで良いか?」
「むう、約束ですからね。 ええと……脱出方法でしたっけ? トレードは基本的に、所有者と所有物がいなければ使えません。 ですので、この扉が開くときがチャンスだと思います」
なるほど、確かにそれは道理である。 交換というからには、交換できる人物がいなければ話にならない。 だとすれば当然、この牢屋に人が来る瞬間こそが最大のチャンスとなるわけだ。
「決まっているのか? この牢屋に人が来る時間は」
「朝の六時、お昼の十二時、それからは三時間ごとに夜中の十二時までです」
……クレアはそう言ったとき、とても怯えた表情をしていた。 なんとか笑顔を作ろうとしているようだが、とてもじゃないが笑顔とは呼べない顔であった。 きっと、その時間に行われているのはクレアに対する拷問に他ならない。 そしてその度、クレアは体に傷を負う。 俺はクレアが負った傷の記憶としてその断片を見ただけだが、とても一人の少女が耐え切れるそれではなかった。 今こうして、クレアが平気でいることが不思議なくらいに。
――――――――それは違う。 そうじゃない、違うだろ俺。 クレアは平気なんかではない、平気じゃないから俺に言ったのではないか。 殺してくれと、言ったのではないか。
牢屋に入れられているということは、クレアは何かしらの罪を犯したのだろう。 もしかしたら物を盗んだのかもしれない、人を騙したのかもしれない、誰かを殺したのかもしれない。 けれど、俺にとってそんなのは些細なことでしかない。 俺は正義の味方でなければ、ヒーローでもないのだ。 ただただ誰かの役に立ちたいと愚かな夢を見る高校生だ。
だから、俺がこの少女を助けたいと思うのも、自然なこと。 大犯罪者だったとしても、一人の少女すら救えないのだったら俺が生きている意味などない。
「今は何時か分かるか? 次に来るまでの時間が知りたい」
「……ユウヤ様が来る一時間ほど前に、今日最後の巡回でした。 ですので、今は三時くらいかと思われます」
「そっか。 なら、クレアは少し寝た方が良い。 寝れそうか? 寝ながらでいいから、簡単に作戦も話しておく」
クレアの話を聞く限り、この牢獄はかなり巨大なもの。 であれば、脱出するまでに相当な体力を使うのは間違いない。 クレアはろくにご飯も食べていないだろうし、少しは体を休めたほうが良いとの判断から俺は言う。
「ユウヤ様にお任せして、私一人睡眠を取るなど、とても……」
「良いから。 どうせ朝の六時までは来ないんだろ? もしも途中で来たらすぐ起こすけど、それで良いなら寝ておいてくれ」
「……ありがとうございます。 では、お言葉に甘えて」
クレアはそう言うと、壁に背中を預けて目を瞑った。 俺はそんなクレアに対し、手短に作戦を話した後はしばらく目を瞑っているクレアを眺めていたが、どうやら寒さの所為か、まともに睡眠を取れないらしい。 まぁそうか、ちゃんと服を着ている俺ですら寒いと思うほどだし……裸にブレザーだけというクレアが寒さを感じるのは当然のことだ。
「なぁ」
「……はい、なんでしょう?」
「ワイシャツいるか? 俺、この下にまだシャツ着てるから」
「い、いえ! そんな、恐れ多いです。 私はこれで大丈夫ですので……」
気遣うとクレアはこんな風に慌ててオドオドとする。 それがなんだか面白いものの、そうは言ってもな。 明らかに体が寒さに震えているし、ぶっちゃけ今も目のやりどころに困るのは変わってないし……何より寒そうにしている中、ちゃんと服を俺が着ていると罪悪感が半端ない。 この際俺も服を脱ぐか? やめとこう、それは変態のすることだ。
「あ、あの。 もし良ければ、ひとつ頼みごとをしてもよろしいですか? ご迷惑でなければ、なのですが」
「ん? 俺にできることなら良いよ」
「はい。 あのですね、こういうことを男性にお願いするのもあれなのですが……寄り添って頂けると、私嬉しいです」
「それは俺も嬉しい……じゃない! ああ、良いよ」
危ない、本音が出ていた。 いや危ないっていうか最早アウトか。 クレアは見た目的には美人であるし、俺としては当然嬉しいんだが……今ここで言うべきことじゃないのは明らかである。 本音を隠せなかった自分が恥ずかしい。 出来れば五秒前に戻る力とか欲しかったね。
「本当ですか! それは良かったです、少々冷えますからね」
だが、クレアは俺が言った「嬉しい」を別方向へと勘違いしたようだ。 寒さから寄り添い暖を取るというのは、この状況では良い手であるのは間違いない。 その代わり、寄り添ってきたクレアの所為で俺は数時間の間、変な緊張感を持つことになるのであった。
「とても、久し振りな気がします」
横で俺に体を預けるクレアは言う。 暖かい声で、その言葉はクレアがここに囚われる前の出来事を語っているということは、すぐに分かった。
「……人の肌は、暖かいですね」
クレアは言いながら、俺の手を握る。 その手は冷えきっていて、ボロボロな手であった。 擦り傷は多く、血が滲んでいる手であった。 俺は何も言わず、力を入れずにその手を握り返す。
「……」
そして、クレアは眠りについた。 俺はその言葉や仕草を聞いて、誰も言葉を発さなくなった小さな牢屋で決意を固める。 俺は生前、多くの出来事を見て見ぬ振りをしてきた。 誰かが傷を負っても見なかったことにしたり、平気で気付かない振りもしていたと思う。 でも、心のどこかでどうにかしたいとは思い続けてきていた。
その結果、最後の最後で勇気を出して猫を助けようとして、死んだ。 最初で最後のそれで死ぬとは、自分でも随分間抜けだったと思う。 だけど、そんな俺にももう一度のチャンスは訪れた。
今度こそは全力で、自分がどうなろうと助けてみせる。 この囚われの少女を見て、俺はそう思ったんだ。 その結果がどうなったとしても良い、仮にクレアが大量殺人犯だったとしても……俺が助けたいと思っただけなんだ。
こんなのは自己満足、自己中な行動だとは分かっているさ。 クレアが最初に望んだのは自らの死で、脱出なんて望んでいなかったんだから当たり前だ。 だからこれは俺の問題で、俺がするべき課題でもある。
折角、強力な魔法も手に入れた。 折角、助けるべき人が目の前に現れた。 折角、二度目の生を授かった。 ならば今度こそ、俺が思う俺の生き方というもので生きてみよう。
まだ見ぬ世界の先、小さな牢屋から俺は想う。