第一話
俺は猫を助けようとした。 車に轢かれそうになった猫を救おうと飛び出した。 幼い頃にペットを目の前で失った所為か、体は勝手に動いていた。
結果、俺は車に轢かれて死んだ。 死ぬ瞬間というのは驚くほどに鮮明で、驚くほどに記憶に刻まれた。
そして気付くと、俺は異世界へと居た。
「だ、誰ですか? 一体どこから……」
目が覚めると、目の前には少女が居た。 金髪の少女、蒼い瞳はとても綺麗で、横たわった俺のことを見下ろしていた。 その金髪が俺の頬にかかり、少しくすぐったかった。
「あれ……俺は……」
ゆっくりと起き上がる。 少女は俺が動いたことに驚いたのか、体を一度ビクリと反応させ、後ろへと下がっていく。 そんな少女を見たあと、俺は周囲を見渡した。
確かに俺は死んだはず。 だが、明らかに意識があるし記憶も鮮明だ。 それに……天国というには、些かおかしな場所へと居るみたいだ。
「……牢屋?」
そう、俺がいる場所は明らかに牢屋。 鉄扉に小さな窓格子、石で出来ているであろう部屋の中はとても寒い。 そんな場所へと俺は居た。
「あ、あの……あなたは一体」
「ん……ってうお!?」
そして、その牢屋の中には一人の少女が居る。 壁から繋がっている鎖は少女の首と手を縛っており、恐らくここに囚われている張本人だ。 更に言うと、裸だ。
「……きゃあ!?」
数秒後、少女は自身の体を見て驚きの声を上げる。 何が何だか分からないが、とりあえず状況を整理すると……俺は死んで、牢屋に居て、そこには囚われの裸の少女が居たということだ。 全然意味分からん。
「ど、どうして私の服が……?」
「……いや俺に聞かれても」
顔を背けながら俺は答える。 兎にも角にも、この状況は正直マズイ。 現状が飲み込めない俺であるが、今の状況がピンチということは伝わった、物理的にも精神的にも。
「一体ここはどこなんだ? 君は誰?」
「……ここはラスヘイムの牢獄ですが、あなたは一体何者なんですか? 一体どうやってここへ入ったのですか?」
ここはどこ、と聞けば聞き慣れない単語が返ってきた。 君は誰、という質問は華麗にスルーされたようだが……確かに少女が言うことももっともである。 俺と同じように、この少女も状況が飲み込めていないようだし。
「俺は水城裕也。 どうやってここへ来たかって言われると……死んで?」
「そのような冗談を言われても……ええと、ユウヤ様は何者ですか?」
少女の表情は伺えない。 だが、困っているのは伝わってきた。 何者かと言われても、俺に返す答えがあるとしたら「普通の高校生」としか言えない。
「俺も状況が分からないんだよ。 気付いたらここにいて、君がいて……それで、閉じ込められていて」
「……突然目の前に現れたので、何らかの魔法かとは思いますが」
……魔法? 魔法ってあれ? ゲームなんかで出てくる、火とか水とか風を操ったりするアレのことか?
しかし、俺が質問をする前に少女は言う。
「ですが、好都合です。 ユウヤ様、ひとつお願いがあります」
「お願いって……」
まさか、助けてくれとか言うんじゃないだろうな。 でも、この状況でするお願いなんてやっぱりひとつしかないよな……。
だが、俺の思惑は外れる。 少女は助けてくれではなく、こう言ったのだ。
「私を殺してくれませんか。 お願いです、殺して欲しいのです……このままでは私、おかしくなってしまいそうなのです」
自らを殺してくれと、そう言ったのだ。 そして、その言葉は俺が聞いて許せるものではなかった。 だが同時に、少女の立場を知らない俺に、その言葉を否定する権利はない。 でも、その頼みを拒否するくらいの権利はある。
「断る。 死んだら全部終わりだ、それを自ら望むのは間違っている」
「……もう、嫌なんです。 私に残されたのはこの体だけ、夢も希望も私にはありません。 叩かれ、蹴られ、それでも尚生かされるこの日々は、絶望でしかありません」
少女は震える声で言った。 この扱い、この場所、それらから推察できるのは……少女の現在の立場だ。
「希望ならある。 要するにここから出られれば良いんだろ? それなら、俺が助ける」
「無茶ですよ。 ここはラスヘイム牢獄、一度足を踏み入れたら死ぬまで逃げることなど叶わない牢獄です。 警備も厳重ですし、腕の立つ傭兵も何人も居ます。 それに……」
「助けるって言ったら助ける。 何があろうと関係ない、自分から死ぬって言う奴を放っておけるか」
俺は言うと、少女の顔を見た。 今にも泣き出しそうな顔をして、その瞳には恐怖が映っている。 俺は無責任なことを言っているかもしれないが、そう言わざるを得なかった。 脱出できる保証なんてどこにもないというのに、俺は気付けばそう言っていた。
「……とりあえず服、これ」
とは言っても、裸の少女と一緒の部屋というのも気が気じゃない。 だが、そんな少女に服を渡すとき、少女の体には無数のアザが付いているのが目に入った。
奴隷。 そう言う表し方が一番適しているかもしれない。
「……ありがとうございます。 代わりに何かお渡ししたいのですが、見ての通りで」
「俺がそんな狡猾な人間に見えるのか……それなら代わりに、その首枷でも貰おうかな」
俺は冗談でそう言った。 しかし、異常な事態が起きたのは次の瞬間だった。 俺の渡したブレザーと、少女を繋いでいた首枷が同時に光る。 そして次の瞬間、俺は首に重さを感じた。 俺の首にはしっかりと首枷がはまっており、その先は垂れ下がっている。 少女を繋ぎ止めていた首枷が、俺の首へと付いていたのだ。
「は? え? な、なんだこれ」
「……まさか。 今の力、まさかトレーダーの方ですか!? 伝説でしか聞いたことがありませんが、今の力は間違いなく……実在するなんて」
「と、トレーダー? なにそれ?」
それから少女は語った。 この世界には、トレードという魔法を扱う者が居ることを。 正確に言えば『アブサーディティトレード』と呼ばれる魔法であり、その魔法を扱う者のことをトレーダーと呼ぶらしい。
そのトレーダーは伝説にも伝えられる存在で、数百年に一度の規模でしか現れないという。 そのあまりにも強力な魔法故、もしも現れた場合は即刻死刑ということも。
「俺も殺されるのか!? てか、だからこんなところに……」
ヤバイ、絶望だ。 死んだあとにまた死ぬと伝えられるとか、俺の人生どんだけ不幸まみれだよ!? しかし牢屋にいるということはそういうことなのか……。
「いえ、それはないかと……。 ここへ現れたのも、ユウヤ様の魔法なのではないですか?」
「俺の?」
「ええ、そうです。 恐らくですが、私の奴隷服とユウヤ様の位置をトレードしたのでしょう。 そしてユウヤ様の言葉を汲み取ると、別の世界から……というのがもっともしっくりきます。 とても、信じられませんが。 別世界から私のことを助けようとし、ここに現れたと考えるのが一番しっくり来ます」
……なるほど。 だからあれか、この少女は最初に自分が裸ということに驚いていたのか。 なんとなく納得できたが、そんなことすらできてしまうのか。 でも俺が助けようとしたのは猫であって、この少女ではないんだけどな。 まさかこの少女はあの猫だったのか……なんて馬鹿げた話、さすがにないか。
「一体どんな魔法なんだ? トレードって」
「その名の通りです。 私が知る限りですが……名前の通り、不条理なトレードを行使する魔法です。 今のように、ユウヤ様の衣服と私を縛っていた鎖など、基本的に所有物であればどんなものでも」
少女は熱心にその魔法のことを語る。 その様子は先程までよりも明るく、元気に見えた。 そして、楽しげに語っているようにも見えた。
「……大体分かった。 よし」
俺は言うと、ポケットに手を突っ込む。 幸いなことに自動販売機に行こうとしてたこともあり、ポケットに入っていた十三枚の十円玉は無事だ。 少女が言うことが本当であれば。
「あ、そういえば名前は?」
「私、ですか? 私はクレア・レミーラという者です」
「オーケー、それならクレア、俺のこの二十円とクレアの手枷足枷をトレードだ」
瞬間、俺が差し出した二枚の硬貨とクレアの手枷、足枷が光輝く。 そしてすぐさまそのトレードは行われた。 俺の手と足には鎖に繋がれた枷が、クレアの手には二枚の硬貨が。
「一体、何を」
「決まっているだろ、お前を助けるって話だよ。 どうやら俺にはその力があるみたいだし、お前を連れて外へ出る。 これからのことはそこから考える。 どのみちここに居たら俺まで殺されちゃうし」
「……本当に、できるのですか? このラスヘイムから脱獄など」
「やるんだよ」
俺は言って、クレアの手を掴み、立ち上がらせる。 俺が渡したブレザーで体の前だけを覆う少女は、俺の言葉を聞いて涙を流した。 その顔とその涙だけで、俺がやる気になったのは言うまでもない。
誰かが苦しんだり、酷い目に遭ったり、死にそうになったり。 そういうのを眺めているだけというのは、もう嫌だ。
「約束だ、ここからクレアを連れ出す。 だからクレアも死にたいとか言うな」
「……はいっ」
こうして、俺の少し変わった異世界での生活は始まった。 スタート地点は牢獄、ラスヘイム。 そこで出会った奴隷の少女。 一風変わったスタートではあるものの、折角与えられた二度目のチャンスだ。 俺は必ず、生き抜いて見せる。