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H・PP~中年おやじの暴走~

作者: 恵 輝

「ママ。ごめんね」

 正木一マサキ ハジメは、仲間たちと写る自分の写真に火を着けた。静かに、燃える写真を眼鏡越しで見つめ、仲間の一人一人の顔が灰となっていった。


 正木は、高校を出てから印刷会社の事務職を務め、五十六歳の現在まで、欠勤もなく真面目に働いていたが、社内では特別目立つ存在ではなかった。会社と自宅の公団住宅を往復する毎日だったが、妻の里子とも仲が良く、細々ながらも生活に不満はなかった。

 趣味はジョギングで、出勤前には毎日、十キロの道のりを走り、歳の割には体力にも多少の自信があった。

 長い間、公団住宅で暮らす正木は、娘の理香が嫁いでからは、退職金で小さな一軒家を買って、引退生活を里子と二人で楽しむつもりだ。休日にはホームセンターで木材を眺めるのが楽しみだった。

「パパ。おかえり。今日もお仕事お疲れ様」

 里子は、古く錆びた玄関のドアーを開け、夫のハジメを出迎えるのが日課だった。

「ママ。ただいま。今日のご飯は、な―に?」

「パパの好きな、マヨ炒めよ」

「それは、嬉しいよママ。早速お風呂に入って二人で食べようね」

 二人は、同じ公団住宅の近所からも仲の良い夫婦と言われ、嫁に出た理香も時々顔を出していた。

「やっぱり、実家は落ち着く~」

 理香は、窓から広がる家々の屋根を見ながら背伸びをしている。

「理香。嫁ぎ先はそんなに疲れるのか?」

 正木は、嫁いでも、休日なのに、顔を出す理香を心配していた。

「まあ、やっぱり同居は疲れるよ」

「そっか。そうだな。まあ、いつでも実家に帰って来てゆっくりしな」

 正木は、結婚して直ぐ姑と同居生活をしている理香を気遣っていた。

 いつもの会社でのランチタイム。正木は食堂の隅に座り、静かに里子の作る弁当を食べていた。若い社員達が賑やかにテーブルを囲む姿に縁遠さを感じていた。

「若い子は、元気も良いし、楽しそうだな」

 そう思いながら、里子の作る玉子焼きに箸をつけた。

「正木課長」

 新入社員で、同じ経理課の小野奈緒子が正木の前に立った。

「あ。小野さんどうした?」

「ねえ、ねえ。正木課長。課長って何か趣味ないんですか?」

「え?俺はジョギングくらいかな。こう見えても体力には少し自信あるんだ」

「へ~。じゃあ今度の休み、皆で九十九里の海行きません?」

「え?俺も?」

「ええ。正木課長さえ良ければ、ウチの会社の皆でサーフィンでもしようかって言ってたところなんです」

「え?いいよ。サーフィンなんて、俺はしたことないし。遠慮しておくよ」

「そうですか~。総務課の藤城さんがキャンピングカー持っていて、皆で泊まろうかって言ってたんです」

「え?藤城君キャンピングカーなんて持っているの?」

「ええ。藤城さんはサーフィンやるようになってから買ったんですよ」

「へえ~」

「ねえ。正木課長。奥さんも連れて皆で行きましょうよ」

「ん~。サーフィンはともかく・・海はいってみたいし、じゃあ今夜、家内に話してみるよ」

「良いお返事待ってますよ。正木課長」

 正木は、娘と同じ世代の子に、サーフィンに行かないかと誘われ、ちょっぴり若返った気分だった。キャンピングカーにしても、引退ライフの憧れだった正木は、若者たちの誘いに興味がわいていた。

 会社帰りの電車の中、隣に座る女の子二人の会話に、正木は聞き耳をたてていた。

「ねえ、あんたの彼氏サーファーなんでしょ~」

「まあね」

「マジ。私もサーファーの彼氏欲しい」

『今の若い子は、皆サーフィンしているんだな』と、正木は内心、昼間小野に誘われた事を誇らしく感じていた。

『こんな、五十過ぎのオヤジだってサーフィンくらい誘われるんだぞ』正木は、いつもの帰り道の重い体とは違って、足は革靴の中で小刻みにリズムを取っていた。

「パパ。お帰り」

「ねえ。ママ。話があるんだけど」

「なにパパどうしたの?今日は何だか嬉しそうね」

 正木は、里子をダイニングに座らせ、昼間、小野に誘われたサーフィンの話をした。

「ママ。今度の休み一緒に来てよ」

「え―?私も?」

「うん。サーフィンもそうだけど、久しぶりに海に行こうよ」

「私は、若い子達とサーフィンなんて出来ないわよ。もう水着も着れないし。恥ずかしいわ」

 正木は、残念そうにしていたが、初めて若い子にプライベートの誘いを受け、少し興奮気味だった。

「パパ。もし良かったら、皆と行って来ればいいじゃない」

「でも、ママ・・・・」

「たまには、若い子達とワイワイ騒いでみるのも悪くないわよ。パパにはジョギングくらいしかないんだから」

「でも・・」

「行ってきなよパパ。私は、たまには実家へ帰ってゆっくりしてくるから」

「いいの?」

「いいのよ。パパは真面目なんだから。サーフィンでもして若い子達から吸収する事もあるんじゃないの」

 里子は、結婚してからずっと真面目に働き、家族の為に嗜好品も削り、自宅と会社の往復の正木に何の心配もなかった。

 正木は次の土曜日、小野達と泊りがけで、九十九里の海へ行く事になった。前日の夜は、ボストンバッグに若い頃に買った海水パンツと下着と歯ブラシを詰めた。明日着て行く一張羅のスラックスとサマージャケットをハンガーに掛け、まるで会社の視察旅行の準備をしている様だった。

 当日の朝、里子に見送られ、正木は愛車の軽ワゴン車に乗って、待ち合わせの九十九里へ向かった。

「正木課長。お待たせ―」

 キャンピングカーから降りてきた、小野と藤城は正木に声を掛けた。

「あれ?今日は俺の他に君達だけ?」

「いや。白岩と前野も来るはずですよ」

「そう。白岩さんも前野君も来るんだね」

「それにしても遅いわね。携帯鳴らしてみる」

 小野が、同じ課の白岩という女に電話を掛けた。

「もしもし。白岩さん今どこ?」

 白岩と、前野は半年前から交際していた。

「どーせあいつら、前野のアパートに泊ったんだろう。寝坊でもしたんだよ」

 藤城は、サーフボードを車の後ろから取出し、滑り止めのワックスをボードに擦り付けている。

「ねえ。小野さんは、藤城君と付き合っているの?」

 正木が、二人を見て小野に二人の関係を聞いた。

「やだ~。正木課長。私たちは、サーフィン仲間よ。藤城さんに私がサーフィン教えてもらってたの」

「へえ~。そうなんだね。若い子は、人付き合いが豊富で羨ましいよ」

 正木は会社で若い子達とプライベートの話をする機会もなく、若い子達の情報は殆どなかった。

 藤城は、ワックスを塗り終えたボードを立て掛け、もう一枚のサーフボードを車から出した。

「ねえ正木さん。良かったら、これ俺のボードだけど使ってください」

「え?俺も今日サーフィンするの?」

 正木は、サーフィンするつもりで来ていたが、若者との誤差を感じ、少し怖気づいていた。

「せっかく来たんですから。やらなきゃ勿体ないですよ。今日は波も小さいし初心者でもイケますよ」

 藤城は、自分の持っている、長袖のラッシュガード渡した。

「いや・・いきなりこれ渡されても・・・俺どうすれば・・・」

「お先に」

 藤城はボードを抱え海へ入って行った。

「課長。着替えは、キャンカーの中でいいですよ」

 小野に促され、正木は藤城のキャンピングカーの車内に入った。

「うわ――。かっこいい――。まさに男の城だね」

 キャンピングカーの車内を見渡し、目を丸くして輝かせていた。正木は、さっきまでの怖気づいた気持ちは、何処かへ飛んでいた。

「おまたせ―」

 白岩と前野が外車の大きなワンボックスで現れた。

「白岩さん。もう遅いよ―」

 小野が白岩と前野に駆け寄り、恥ずかしそうにしている二人の肩を叩いた。

「ごめん。昨日お泊りだったから」

「全く。今日はね、うちの会社の正木さんも呼んだの」

「え?正木さんって、あの経理課長の?」

 白岩と前野は、正木と聞いて、なんでこの場に正木を呼んだのだと、不思議そうな顔をした。

「小野さん。用意できたよ」

 キャンピングカーから降りてきた正木の姿に、三人はクスッと笑った。

「わ―。正木さん、いかにもサーファーっぽくて素敵ですよ」

「そうかな?」

 サーファーとは縁遠い白い肌に銀縁の眼鏡で、派手な海水パンツを履く姿に若い子達は腹の中で笑っていた。

「課長。皆で入水しましょう」

 小野に連れられ、サーフボードを抱えた正木は、恐る恐る海水に足を着けた。

「ひゃあ~冷たい」

 五月の千葉の海は想像以上に冷たく、思わず声を挙げた。小野に言われる様、ボードを右脇に浮かべ、足の着く浅瀬で、まずはパドリングの練習を始めた。

「正木さん。初めてなのに、なかなかパドル上手じゃないですか」

 沖から波に乗ってきた、藤城が声を掛けた。

「そう?ありがとう」

 小野にレクチャ―され正木は、小さな波を捕まえようと、必死に両手で漕いだ。

「課長―。ボードに立って」

 小野の声で正木は、ボードに立つ。生まれたての仔牛の様な足つきではあったが、初めて波に乗った。正木は、興奮から震えが止まらなかった。

 四人は、昼過ぎまで海に入り、正木は三本の波に乗った。

「今日は、人数多いから車中泊はやめてウチの別荘行く?」

 藤城が、小野に声を掛けると小野が白岩達にも声を掛けた。

「みんな―もう上がろう。そろそろお腹も空いたし、今日は藤城さんの別荘に変更だって―」

 その声で、正木も海から上がった。この時既に正木はサーファースタイルを心の中でリスペクトしていた。

 四人は、藤城の別荘へ向かった。先頭に藤城のキャンピングカーを走らせ、後ろには前野のアメ車のワンボックスが走る。その後ろを、正木の軽ワゴン車はゆっくりと着いて行った。

「なんか、サーファーってかっこいい。今まで俺の見てきた世界にはこんなのかなったな」

 正木は、休日に仲間と集い、キャンピングカーに乗って海に繰り出す、サーファースタイルに憧れを持ってしまった。

 藤城の車が、海沿いに立つ淡いグリーン塗の白い窓枠が眩しいアメリカン住宅の前に止まった。

「え?まさか、藤城君の別荘ってここ」

 正木は、車内で思わず口をポッカリ開けて家を眺めている。

「正木さん。こっち」

 藤城に誘導された場所に車を止めて、正木は車から降りた。

「わ―。凄いね藤城君。この庭もお屋敷も。ま―立派だよ」

「いえ。親の持ち物なんで」

「へえ~。でも凄いよ」

 正木は家の外観を見渡し、目を輝かせた。正木も憧れの一軒家を買う気持ちに火が付き始めた。

「俺も、退職したらこんな家欲しいな」

 独り言を言いながら正木は藤城に言われるがまま玄関をくぐった。

 建物にはビルトインガレージが付いていて、中へ入ると、リビングには大きな暖炉が備えついていた。

「うわ―。凄いね――」

 正木は目が回るほど、あちらこちらに目をやり、釘付けになっている。

「ねえ。私達、お酒とおつまみ買ってくるね」

 白岩が前野と食材を買いにスーパーへ出た。正木はソファーに座り、大きなテレビに映るサーフィンのDVDを観ていた。

 キッチンでは、藤城が小野に小声で話をしている。

「なあ。正木さん、かなりサーフィン本気になってないか」

「ねえ~なんかそんな感じだよね。でも、正木課長、暗い人だったし。意外と来て良かったんじゃん」

「つーか。気になってたんだけど、何で正木さん誘ったの?」

「何となく・・・・」

「そっか・・・」

 DVDを観終わった正木は、ダイニングでコーヒーを飲む二人に声を掛けた。

「藤城君。来た時から気になっていたんだけど、ガレージ見せてもらってもいいかな?」

「いいですよ。どうぞ、見てってください」

「うん。ありがとう」

 正木は、ガレージに立って、腕を組みながらガレージ内にある沢山のサーフボードやウェットスーツに見入っている。

「なんか、こういうのカッコいいよね。お洒落だな~」

 独り言を言いながら、妄想を膨らませていた。

 白岩と前野が戻り、小野が作ったロコモコとグリルチキンを並べた。みんなで酒を飲みながら、今日の波の話を語り合っていた。

「正木さん。サーフィンの筋良いですよね」

 サーフィンの上手い藤城も、歳の割には呑み込みの早い正木を称賛していた。テレビには、ハワイのサーフィン映像を流し、BGMはハワイアンミュージックを流している。缶ビールが一本ずつ減る度、リビングの雰囲気も盛り上がってきた。正木も、久しぶりのお酒で気分は浮き立ち、藤城がウクレレを持ち出し弾き始めると、皆は見よう見まねでフラダンスを踊り出した。正木の目は、眼鏡越しでうるうると光っていた。

「正木課長も踊りましょうよ」

 小野に声を掛けられ、正木は照れくさそうに立ち上がった。今までの人生では、人前で酒を飲んで踊る事なんてなかった。ウクレレを持つ藤城も気分が盛り上がり、正木にハワイアンレイを首に掛けた。正木も答える様に上機嫌で皆と踊った。

 酔いつぶれて皆で眠ったその夜、正木の夢には、ハワイで大きな波に乗る自分の夢を見ていた。ワイキキのビーチでハワイアンと英語で会話し、肩を組んで親指と小指を立てたシャカのサインで写真に写る自分の姿は、今までの暗かった正木の生活とは真逆な夢だった。

 翌朝、正木は藤城に思い切って声を掛けた。

「サーフィンの道具って高いの?」

 まだ夢の興奮が冷めない正木は、藤城にサーフィンを始めたと言い出した。

「正木さん。サーフィン真剣に始めるなら、帰る前にサーフショップ行きますか?」

「うん。行ってみたい」

「それなら、俺の行きつけの店が近くなんで、今から行きましょうか」

 正木は、三人に連れられ、初めてサーフショップの店内に入った。

「藤城さん、お久しぶり~」

 出迎えたのは、真っ黒に日焼けした店長の亜美だった。店内は、ココナッツの香りが漂い、沢山のボードが並んでいた。

「ねえ。亜美ちゃん。ウチの会社の上司で正木さんっていうんだけど、これからサーフィン始めたいみたいで・・・」

 小野は、藤城の隣で立つ正木を、亜美に紹介した。

「初めまして、正木一です」

「きゃ―。はじめパパって呼んでもいいですか―」

 亜美は、普段からテンションが高く、フレンドリーな性格をしている。

「え?はじめパパ・・・」

 正木は、亜美に「はじめパパ」と呼ばれ、そのフレンドリーな感覚を昨晩見た夢とだぶらせた。

 正木は、サーフボードとウェットスーツを買い、亜美にコーディネートされ、サーフボードがプリントされたロングTシャツにデニムのハーフパンツと、ビーチサンダルを店で購入した。

「はじめパパ。せっかくだから、更衣室で着替えて行きなよ」

「うん。じゃあ」

 正木は、オジサンスタイルからサーフカジュアルに着替え、皆の前に現れた。

「はじめパパ。お洒落~。可愛い~」

 黄色い声が上がり、正木は若い女の子に持てはやされ、照れくさくなった。

「でも、パパ。メガネがちょっと違う気がする」

 亜美が、正木の銀縁眼鏡を指摘すると、サーフカジュアルに身を包んだ自分の姿を鏡で見た。

「そうだね。メガネが変だね」

 正木は、店の帰りに眼鏡店に寄って見立ててもらう事にした。眼鏡店のスタッフは娘と同じ年頃だった。

「お洒落な、おじ様ですね。素敵です」

 正木は、眼鏡店でも今まで言われた事がないような褒め言葉を言われ、すっかりその気になっていた。

「そのお洒落なファションなら、この白いフレームの眼鏡なんか素敵ですよ」

 店員に言わるまま、正木は白縁眼鏡を購入し、掛けて帰った。

 自宅に着いたハジメを出迎えた里子は、一泊二日で変貌を遂げた正木の姿に唖然としている。

「パパ・・・どうしたの?その恰好?」

「うん。俺、サーフィン始めようと思って。ボードも買ったんだよね」

「え?ボードって?」

「うん。サーフィンだよ。会社の子に、はじめパパ、良い筋しているって言われてさ」

「いい筋?はじめパパって・・・」

「俺、どうやら、サーフィンの素質あるみたいなんだ。ママ」

「え?・・・・」


 それから正木は、毎週末、九十九里に行って小野達とサーフィンをする休日を過ごした。帰り道は、お決まりの亜美の店に寄り、どんどんお洒落になっていく正木を店のお客達も持てはやした。

 家では、すっかり変わってしまった正木に里子は溜息をついていた。

「パパ。あんなになっちゃって・・・お金まで使いすぎちゃって」

 里子は、この頃から家で一人、ボンヤリするようになっていた。

 理香も、実家に顔を出しても正木の姿がない事に不思議に思っていた。

「ねえ。ママ。パパ最近どこかに出かけているの?いつもいないでしょ?」

「う~ん。なんか、お友達が出来たみたいなの」

「へ?あのパパが?」

「う~ん・・・・・」

 理香は、友達が出来たと言いつつ、正木が女でも出来たのかと内心で思っていた。

「パパね。随分変わっちゃったの」

「どんな風に?」

「う~ん・・・・若返ったって言ったら聞こえが良いけど・・・」

 里子の、『若返った』の言葉を聞いた理香は、やっぱり若い彼女でも出来たんだと思ったが、里子には気の毒だと思い口にはしなかった。

 正木は、サーフショップに出入りをするようになって、自分の乗る車が一番小さいと内心思っていた。

「皆からお洒落って言われているのに、この車はないよね」

 正木は、週末のサーフィンを休み、念願のキャンピングカーを見に店に行った。そこに国産で、まだ新しいキャンピングカーに一目惚れした。

「この車にプルメリア号って名づけたい。ハイビスカスのシートカバーつけて、レイをぶら下げて、きっと皆にウケルよね」

 正木は、軽ワゴンを下取りに出し、キャンピングカーを六十回払いのローンで購入した。

「ママ。実はね、キャンピングカー買っちゃった。次の日曜日納車だから、その日一緒に海に行かない?」

「へ?パパ。キャンピングカーってなんの事?」

「だからパパね。キャンピングカーを買ったの。あの車ならママと何処へでも旅行に行けるでしょ?」

「パパ?そのキャンピングカーでスーパーも行かないといけないの?」

「そんなの、気にしない気にしない。ママ楽しみにしててね」

「パパ・・・」

 正木は、キャンピングカーの納車の日、初めて里子を連れてサーフショップに現れた。

 若い子の多いところは恥ずかしい”という里子を、正木が事前に用意した、ムームードレスを着させ、「ロコガールだね」と、正木は嬉しそうに微笑んだ。

「ママ。可愛い。どこから見てもロコガールだよ。今までのファッションなんてもう処分しちゃおう」

「パパ。私、こんな恰好、恥ずかしい」

「何言ってんのママ。ハワイじゃ当たり前なんだから」

「そうなの・・・パパ」

 亜美の店に行くと、若い日焼けをした子達は、正木のキャンピングカーを見て声を挙げた。

「キャー可愛い。はじめパパ―」

 正木が、若者たちにすっかり調子に乗せられている様にしか里子には見えなかった。

「ねえ。はじめパパ。パパの家どんな家なの?きっとパパの家ってお洒落なんでしょうね~。遊びに行きたいな」

「う・・ん。まあ・・・」


 亜美に、家に来たいと言われた正木は、帰宅するなりパソコンを起動させた。

「ママ。家買おうよ」

「え?家は、暫くはむずかし・・」

「ねえ。ママ。パソコン見てよ」

 正木が見せたのは、ガレージ付きの輸入住宅ばかりが特集されたサイトだった。

「こんなお家・・・住めないわよパパ」

「うん。そんな事もないと思う。前々からネットで探してたんだけど」

「ええ」

「海までは一時間くらい走るけど、中古でガレージ風の建物もついた一軒家が売りに出ててね」

「それで、そのお家をどうやって買う気なの?」

「うん。うん。それはね、俺の退職金で買おうかと思うんだ。でね、早期退職して、直ぐに貰いたいと思う」

「へ?それからの生活って・・・」

「ママ。心配ない。実は、俺ね。シルバー細工を始めて、皆からも高い評価貰ってて、亜美ちゃんのお店でも是非置きたいって言われているんだ」

「シルバー?」

 正木は、亜美の店に行くたび、若い子達がシルバー細工にハマっている姿を見てから、アートクレイシルバーという粘土細工でシルバーのアクセサリーを店で教わっていた。その頃から、正木は、ガレージ付きの家を買って工房を作る計画を立てていた。

「俺。もう仕事辞めるから」

 正木は早期退職後、築20年の物置付き一軒家を住宅街に買った。平日は日曜大工で近所の迷惑をかえりみず、昼夜を問わず電動工具の音を響かせていた。

「ガタガタガタガタ――」

「パパ。ご近所の迷惑にならないかしら」

「平気。平気」

「そうかしら・・・」

 里子が、ゴミ出しに出ると、近所の奥さん達に冷たい目をされたのは引っ越して直ぐからだった。正木のキャンピングカーは、派手なハワイアンキルトをシートに掛けて、レイをぶら下げ、ボディの脇には「PLUMERIA」と大きなステッカーまで貼られていた。近所の者からは、変わり者が引っ越して来たと直ぐに噂になり、里子は肩身が狭かった。

 引っ越して、三か月が経た頃、正木は小野に電話をした。

「パパね。引っ越したから皆で遊びに来ない?」

「うん。行く。皆誘うね」

 小野は、藤城と白岩と前野を誘い、正木の家を訪れた。

「へえ~はじめパパ、会社辞めたと思ったら家買ったんだね」

「でも、超普通の家じゃね―」

 藤城は、こんな海まで遠い住宅街で、正木は一体なんの為に自分達を呼んだのか不思議でならなかった。

「いらっしゃい」

 正木は、満面の笑みで迎えた。

「さあ。みんなパパのご自慢のガレージにおいで」

 三人は、正木のお手製のガレージに入って呆気にとられた。

「どう?お洒落でしょう?」

「う・・・ん」

 正木は、今にもスキップでも踏まんばかりに、キッチンへおつまみとトロピカルジュースを取りに行った。

「おい小野。なんだよ、この手作り感満載の小屋は・・」

「うん・・・。パパ何考えているのかな」

「マジ。ヤベ―」

 前野も白岩も正木の行動には呆れかえっていた。

「パパ。仕事辞めて、何しているんだろう」

「なあ?」

 正木は、おぼんにジュースと揚げたてのポテトを持ってキッチンから出てきた。

「ねえ、はじめパパ。今お仕事どうしているの?」

「うん。シルバーのアクセサリーショップ開くのにアクセサリー作っているよ」

「え?」

「うん。亜美ちゃんのお店にも置いてもらおうと思って」

「はあ・・そうなの・・」

 小野は、亜美の店ではすっかりシルバー細工なんて飽きている事を知らない正木を気の毒に思った。三人は、フラダンスのDVDを見せられ、ハワイの雑貨で溢れた正木の趣味にリスペクトするどころか、苦笑していた。

「俺達、そろそろ帰ろうか」

 藤城が皆に声を掛け、正木は、ちょっぴり寂しそうな顔をした。

「もう帰っちゃうの。ねえ、皆。今度このガレージの二階をゲストルームにするから、完成したら皆で泊りに来てね」

 正木は嬉しそうにそう言ったあと、シルバー細工で作った『H・PP』と刻印されたペンダントプレートを渡した。

「パパ?H・PPってなに?」

「うん。はじめパパの事」

「あ・・そうなんだ。ありがとう・・」

 三人は顔を引きつらせ帰って行った。家を出る前、小野は里子の前に立ち申し訳なそうな顔を見せた。

「ママさん。なんか私悪い事しちゃった。ごめんなさい」

 何も知らない正木は、ゲストルームの製作に取り掛かり、相変わらずホームセンターで木材を買ってきては、インパクトドライバーの音を鳴らしている。

「パパ。ちょっと話があるの」

 里子が、ガレージに居る正木を呼んだ。

「何?ママ」

「パパ聞いて。私、パパが毎日家の中を作ったり、壊したりしているから少し疲れたみたい」

「へ?なんで?」

 里子は、医者から貰った精神安定剤の入った袋を見せた。

「何これママ?」

「安定剤」

「何でママが安定剤なんて飲んでいるの?」

「パパ。私、パパが日曜大工に夢中になればなるほどご近所さんから冷たい顔されているの」

「へ?どうして?」

「パパ。いい加減気づいてよ。お友達だってみんな呆れてると思うわ、きっと」

「ママ。そんな事ないよ。仲間たちは皆、はじめパパって慕ってくれてるよ」

「もういいわ。パパ」

 それから二人の会話はなかった。

 翌朝、目を覚ました正木は里子が居ない事に気づいた。リビングテーブルに手紙が一枚置いてあった。


『パパへ。確かにパパは真面目な人でした。でも、その真面目がきっとこうさせたのかもしれません。私は、パパとお金がなくても裕福じゃなくてもお家が公団住宅でも、ゆっくり二人だけで老後を過ごしたいと思っていました。でも、パパが今まで経験した事のないお友達との交流でサーフィンを始めて、私は寂しかったの。いつも日曜大工ばかりで、二人の会話は昔よりうんと減ってしまったでしょ。パパ。私はパパとは老後を過ごせなさそうだから、実家へ帰ります。どうかパパ、お元気で暮らしてください。さようなら』


 ハジメは、いてもたってもいられず、亜美の店に現れた。

「亜美ちゃん。パパ・・・ママに捨てられちゃった」

 亜美の顔を見るなり正木は、少しムッとした表情で愚痴をこぼしている。

「ママ。何も分かってないよね」

「う・・・・ん。そうかな」

「そうだよ。ママはパパの事分かっていない。きっと仲間に囲まれているパパに嫉妬したんだよ」

「パパ。気晴らしに海に入ってきなよ」

「うん。行って来る」

 正木は、久しぶりに一人で海に入った。

 その後店では、海から上がってきた藤城と小野達が、正木の事情を亜美から聞かされて大騒ぎになっていた。

「ねえ。パパ、ヤバクね―。奥さん出て行ったんだよ」

「マジ―はじめパパ馬鹿だよね。家まであんなにしちゃってさ」

「そうそう。亜美ちゃんの店にシルバー置かせてもらうって言ってたよ」

「ええ。そんなのノリで言っただけなのに」

「だから、はじめパパは、かなり勘違いしているんだよ」

「やっぱり、あの歳で仲間なんか作っちゃったからね」

「でも奥さん出てちゃって、どうする気なんだろうね。本当バカだよね」

「つーか。もう、はじめパパと付き合うのやめね。ウザくなってきた」

「そうだね。もうあのキャラには飽きたよ」

 店内から漏れる亜美達の会話は、一人寂しくサーフィンするのが嫌で、店に戻って来ていた正木に丸聴こえだった。

 正木の目には涙が溜まり、自慢のキャンピングカーは歪んで見えた。


 正木はキャンピングカーの中で今までの出来事思い返していた。里子の言っていた「呆れていると思うわ」の言葉が何度も頭の中で再生されていた。

「俺。何していたんだろう・・・」

 正木の頬には涙が光っていた。

「俺の事、皆からかっていたんだ」

 正木は、ハンドルを何度も叩きながら涙声でそう言った。

「ママ・・・・ごめん」

 亜美の店から一時間は走る帰り道がいつもより長く感じた。家に帰っても里子はいない。いつも「お帰り。パパ」と言って玄関を開ける里子の姿がない寂しさが正木を余計に悲しくさせた。

 キッチンのカウンターに置かれた里子のお気に入りの写真を手に取った。里子と二人でと撮った公団住宅のリビングでの写真をしばらく見つめている。

 正木は、ガレージに入り暫く見渡した。

「俺・・・・家までこんなにしちゃって・・・みんなは俺の事ずっとバカにしていたんだろうな」

 そして正木は大事にしていた仲間達と写っている写真をコルクボードから外し火を着けた。


「ママ。ごめん。俺、勘違いしていた。若い子達に乗せられて、その気になって、仕事まで辞めちゃって、俺、本当にバカだったな。ママ恥ずかし思いさせて、本当にごめん。全部清算して迎えに行くよ」


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