ダンジョンバトル その二
彼女は勝利を確信し、沸き上がる喜びを押さえきれずにいるようだった。
しかし、大蜘蛛がドサリ、と音を立てて床に落ちたとき、血の気が引く思いをしたことだろう。
俺は、緋炎ノ剣を握っていた。確かに、それを根本まで刺されたならば、生命力のつよい大蜘蛛といえども大ダメージを受けただろう。
また、体に付着していた糸も、短剣を使って取り除いていた。
だが、俺は噛みつかれた。即効性の強力な麻痺毒を持つその顎に。
彼女は未だ、愕然とした表情だった。
「……一人でこんな暗闇の地下を歩くのは危険だし、嫌な予感がしたので、貰っておき、常に身につけていたんだ。あらゆる毒や麻痺を治癒する、上級の解毒の護符を……まあ、この程度の装備を調えておくのは基本だな」
一瞬、彼女は真っ青になった。
綿密に組み立てたはずの必勝の戦略が、あっけなく破綻していた。
自らが如何に不利な状況に追い込まれたかを知ったことだろう。
しかし、彼女はあきらめなかった。
追撃の攻撃魔法を放とうと印を結び始めたのを見て、俺は瞬時に間合いを詰めた。
「きゃあぁっ!」
後ろに回り、羽交い締めにする。
彼女は逃れようと、必死にもがく。
なんだか、可哀想になってきた。
俺はすぐに彼女を離した。
「手荒な事をしてすまない。俺に君を攻撃する気はない。ただ、この先に進む邪魔をしないで欲しい……さっきも言ったように、俺はただ、巫女達を助けたいだけなんだ」
彼女は、混乱しているようだった。
なぜ、自分は殺されないのか、危害を加えられないのか……。
それはまるで……何かの勘違いに気付いたか、あるいは、かけられていた暗示が解けたかのような表情だ。
「できれば、どうして君たちがこんなところにいるのか教えて欲しいが……無理なんだろうな。それに俺は、先を急がなくちゃならない」
俺はそう言って、次の部屋に続く扉に進もうとした。
「あの……待って!」
少女の声に、立ち止まり、振り向いた。
「……その先には、私なんかよりずっと強力な闇天女がいます。あなたでも絶対に勝てない……」
「……どんな障害があろうが、俺は行かなきゃならないんだ」
「……分かりました。では、気をつけて……」
彼女はそう言って、思わずはっとしているようだった。
倒すべきだった敵に何を言っているんだろう……そんな表情だ。
しかし、俺は笑顔で「ありがとう」と言った。それで、彼女は苦笑いを浮かべた。
そして彼女は呟いた。
「貴方は恐らく、真の敵では無い……私の……負けです……」
その言葉を口にした瞬間、彼女の体はその場からかき消えた。
――手強かった……。
俺は、まだあどけなさすら残る少女に苦戦したことに、冷や汗をかいていた。
なぜ彼女たちが誰も入れないはずのこの地下に存在するのか。一旦帰って、仲間に報告した方がいいのか。
だが、戻ればその分巫女達を助けに行く事が遅れてしまう。また、彼女らの存在自体が「試練」の一部なのかもしれない。
あるいは、何者かの「妨害」の可能性もあるが、ならばそれは「巫女達」の救出を恐れているためだ。いずれにせよ、ここであきらめる訳にはいかない。
次の間へと続く扉を、すぐに飛び退けるよう身構えながら、最大限に警戒してゆっくりと開けた。
そこは、今までよりやや広い空間だった。
妖力による照明なのか、部屋全体が今までよりずっと明るかった。
奥には、赤黒チェック柄の法衣を身につけた女性が一人。慎重に入ってきた俺の事を、じっと見つめていた。
歳は二十代前半ぐらいだろうか。小柄ではあるが、凛とした美しさを備えており、また、近寄りがたいオーラを放っているようでもあった。
「……あなたがここにたどり着いたと言うことは、二人の少女は敗れたということですね」
「俺は別に戦ったつもりは無いが……どういうわけか、彼女らは自分から負けを認め、消え去った」
「そう……負けを認めたのならば、大きなケガとかはしていないようですね。安心しました。お礼に、忠告してあげます。今すぐ、引き返しなさい」
「いや、そうはいかない。俺は巫女達を助けなければならないんだ」
「……堂々と野心を語るのですね。その行為が、どれほど愚かで、重大な事か分かっていないのではないですか」
「愚か? 重大? 攫われた巫女達を助けようとすることが愚かだとでも?」
「……まあ、貴方には言っても無駄だと思いますので説明は省きます。問題なのは、神の名代である貴方が巫女を欲している、という事なのです」
彼女の言葉に、俺は戸惑った。
なぜ『神の名代』か巫女達を助けようとするとまずいのか。
「……意味がよく分からないが」
「なるほど、あなたは『試練』の内容を知らないのですね。ならば、そう、私を倒す事も試練の一つだと考えてください」
「いや、俺は戦うつもりはない。ここを通してくれればそれでいいんだ」
「そうですか……ならば、お通りなさい。ただし、私は全力でそれを阻止します」
彼女はそう宣言すると、目をかっと見開いた。
途端に部屋中に充満する、すさまじい妖力。
――なっ……これは、さっきまでの女の子とは全く違う! これは……この妖力量……麻利に匹敵するぞ!
俺は警戒感を最大限に高め、さっきまでの言葉とは裏腹に、臨戦態勢を取らざるをえなかった。とはいえ、できれば戦いたくない。
集中力を保持したまま、全力で向こう側の扉めがけて突進していく。それは、恐ろしい程の妖力を放つその闇天女のすぐ脇を通り過ぎる、という危険な賭だった。
だが、俺には勝算があった。たとえ攻撃されたとしても、一瞬先に予測できれば躱すことがっできるはずだ、と。
しかし、彼女が繰り出したその技は、俺のいかなる知識にもなく、想像したこともない恐ろしいものだった。
「最終幕昇巻波!」
彼女の呪文の解放と共に、俺の体は自由を失い、猛烈な勢いで空中に飛ばされ、天井に叩きつけられ、そして石畳の上に落下した。




