ダンジョンバトル
数分後、鍵のかかっていない鉄製の重い扉を開いた時だった。
「……誰か、いる……」
本能的にその存在、気配を察知した。
松明を掲げ、先を照らす。
そこは縦、横二十メートルずつほどの広間になっていた。
俺は驚愕のあまり、一瞬身動きがとれなくなった。
そこには一人の少女が倒れていたのだ。
(なっ……どうしてこんな所に!)
この暗がりの中では、生きているか死んでいるかさえ分からない。
「だ…大丈夫かっ」
あまり近づくことなく、少しうわずった声をかける。
「う……んっ……」
彼女は少し声を出した。生きている。
ゆっくりと起き上がり、眠そうに目を擦り、そしてあたりを見渡して……。
「ひいいぃっ!」
引きつった悲鳴を上げる少女。これには俺の方が驚いた。
「た……助けてっ!」
「大丈夫、俺は何もしないよ。君、どうしたんだ、こんなところで」
優しく声をかけると、少女は幾分、落ち着いた様子に戻り、ゆっくりと立ち上がった。
彼女を良く見ると、歳は十五歳ぐらいだろうか。ヤエとそんなに変わらない。
ただ、その格好は、丈夫そうな布製の茶色い着物に、下半身は紺色の袴、そして先端に水晶の付いた杖を手にしている。
「私ですか……なんか、『試練』を与えられてここで待機してたんですけど、なかなかそれが来なくて、つい眠っちゃったみたいです……」
「試練? 何か試練を受けてたのか?」
「はい、あなたもですか? でも、成功する自信がなくて……」
「それでも、こんなところで眠れるなんて、相当神経が……いや、疲れてたんだな」
「はい、何でも、巫女を略奪しようとする、鬼の様に凶暴な人を倒さないといけないらしくて……下手をすると、私、殺されちゃうかもしれないんです……最初は気が張ってたんですけど、だんだん疲れてきて……」
「巫女を? そうか……ちなみに、君、名前は?」
「私ですか? ハルです。あなたは?」
「俺の名は、達也」
「たつ……や?」
みるみる彼女の顔が青ざめ、そして後ろに飛び退いた。
「騙されるところだった、あなたが鬼のような男、達也なのでつ…なのですねっ! そんな変身をしたって無駄でつ…すっ! 今すぐ本当の姿をあらわつぃ……あらわしなさいっ!」
あたりにかなり強い妖力が生じるのを、俺は感じた。だが、彼女の幼い口調のせいか、緊迫感が生まれることはない。
「いや、変身もなにも、これが今の本当の姿だけど……」
数秒間、時間が止まった。
「……あなたがここに来た目的は?」
「いや、その……まあ、巫女さんを探して」
「やっぱり! 私はあなたを倒さねばなりません。くらえっ! ぐらびつぃ……ぐらびとぃ……ぐらっ……ぐらびちぃ……てぃ……ぐらびちぃ……」
なにか呪文を唱えようっとしているらしいが、うまく言えないらしい。生じる魔力量からして、彼女はかなりの力を持っている術者のようだが……。
危険はないと判断し、事情を聞こうと彼女に近づいていく。
明らかに動揺し、怯え、震えながら後ずさりする少女。
「ひっ……ひいいぃ! ぐらびちぃ……あーん、もうダメ! 私の負けですぅ!」
ハルがそう叫んだ瞬間、彼女の姿はかき消えた。
(……一体なんだったんだろう、何かの罠かとも思ったが……ひょっとして、あれがさらわれた巫女? いや、ならば俺と敵対しないはず……)
ちょっと気にしながらもそのまま歩みを進め、さらに次の部屋へと続く扉を開けて、先を急いだ。
また鍵のかかっていない鉄製の扉があり、慎重にそれを開けた。
頼りない松明の明かりで、ぼんやりと辺りが明るくなる。
……不意に、ぞくんと寒気を感じた。
誰か、いる……そして俺の命を狙っている……。
「誰だっ……!」
ちょっとびびっていることを悟られないように、強めに声を上げた。
不意打ちを狙っていたのか、その者は「チッ」と舌打ちし、その後、いかにも余裕があるかのように、ゆっくりと歩いて部屋の隅から歩いてきた。
「何者だっ!」
「……義の為、うぬと戦い、打ち倒す者。汚れなき巫女達を攫おうする悪鬼よ、わが妖力の前に塵となれっ!」
その高い声に、目の前の相手も少女だと悟った。
彼女のセリフから察するに、やはり俺の事を敵視しているようだ。
「義? 俺は明炎大社の宮司代理の命を受けて、攫われた巫女達を助けに来た。悪鬼呼ばわりされる覚えはないんだけどな」
「巫女を助ける、だと?」
「ああ、その通りだ。俺はただ、巫女達を返して貰いにきただけだ」
その言葉に、しばし戸惑う彼女。
「どんな理由だろうが、ここは通さない。どうしてもと言うならば、我を倒して行きなさい!」
彼女はそう叫ぶと、戦闘態勢を取った。
身軽な忍び装束、といった出で立ち。
柿渋色の服地、頭巾を被っており、松明の明かりを持ってしても、下手をすれば見失いそうなほど闇色に近い。
さっきの少女と比べ、幾分戦闘慣れしているように思えた。
「……いや、俺は誰とも戦うつもりは無いんだが。君のような可愛らしい女の子とだったら、なおさらだ」
俺の言葉に、またしばし彼女が動きを止める。
「出任せを言うなっ! 頭巾を被っているし、この距離、暗さならば、顔までは判別できないはずだっ!」
「声で分かるさ。あと、その華奢な体格からも」
……またしばし沈黙があったが、次の瞬間、妖力が急に高まるのを感じた。
「毒蜘蛛っ!」
彼女が短くそう叫ぶと、組み合わせた両手のすぐ前方に、ピンクを基調としたおどろおどろしい色彩の、彼女の胴体ほどもある巨大な蜘蛛が召還された。
そしてその体躯からは想像も出来ない速度で俺に向かって突き進んできた。
「くっ!」
咄嗟に躱す。パルクールで鍛えた回避能力がなければやられていた。
だが、これで終わりではなかった。
「うわっ!」
蜘蛛は通りすぎた瞬間、即座に進行方向を変え、跳ね上がるように再び俺に迫ったのだ。
俺はそれすらも避けて見せた。
そして今度は、俺が少女に向かって直進していった。
……不覚にも、張り巡らされた半透明の糸に気づかなかった。
いかに回避能力に自信があっても、罠が貼られていることに気付かなければ意味がない。
俺は、蜘蛛が残していた粘着性の糸に絡め取られた。
「うわあ、なんだっ!」
思わず間抜けな悲鳴を上げてしまい、少女の瞳は喜ぶように細くなった。
俺はもがいたが、糸はそう簡単に外れる物ではない。
やがて動きが鈍くなったそこに、大蜘蛛が襲いかかってきた。
「ぐわあぁっ!」
思わず上げた悲鳴の次に、ブツッと噛みつかれる音が聞こえ、激痛を覚えた――。




