恋人
「ヤエ、落ち着け。俺が悪かった、俺が新しい饅頭を買ってやるから、機嫌を直してくれ!」
「同じもの買ってもらったって……あの饅頭、茜様が『私たち二人で仲良く食べてね』って、わざわざ人気のお店で、並んで手に入れてくれたものなんですっ!」
涙目になりながら攻撃を繰り出すヤエ。
「いや、だって二つくれたんだから、普通に考えて一つ俺が食べたって……」
「問答無用っ!」
ヤエはまったく聞く耳を持たない。これも麻利の妖術に操られているせいか。
「わ、わかった! じゃあ、こうしよう! 俺と一緒に、その饅頭、買いに行こう!」
その言葉に、ヤエの攻撃がピタリ、と止まった。
「……本当?」
「ああ。で、仲良く一緒に並んでその饅頭を買って、仲良く一緒に食べよう!」
「……うん。約束、ですよっ!」
ようやく彼女は笑顔になり、えくぼができた。
「それじゃ、その物騒な槍、俺に渡してくれるか?」
「……はい、分かりました」
ふう、なんとか説得できたか……。
念のためヤエの心変わり、突然の攻撃を警戒しながら徐々に距離を詰め、両手で彼女からその槍を受け取った。
その次の瞬間、ヤエは俺に抱きついてきた。
一瞬、どきっとしたが、まだ彼女は子供に思える。
そっとその可愛らしい頭をなでてあげると……カシュン、と小さく奇妙な音が聞こえ、途端に彼女の体は俺から離れた。
そしてヤエの手には、赤い刀身の見慣れた剣が握られていた。
(……なっ……『緋炎ノ剣』を盗られた? ばかな、誰にでも鞘から抜けるものではないはず……)
彼女の目は再び真っ赤に充血し、その表情は怒りに満ちたものとなっていた。
「……恨み、その二」
(まだ何かあるのか……)
だが、この時点では俺ははやや事態を楽観視していた。
緋炎ノ剣は、何の練習もなく使いこなせる物ではないし、先程まで彼女が使っていた槍は俺が手にしている。
それに彼女の一つ目の恨みが、あまりにかわいらしい内容だった。恨みの二つ目と言っても、たいしたことは無いだろう。
「達也さん、あなたは私の事、女性として見てくれなかった……」
「……へっ? よく意味が分からない……」
「茜様や楓さんと話するときは、あんなにデレデレしていたのに……」
(デレデレ? いや、まさかそんな事は……)
「火炎回流火炎龍(ディープローテーション!)」
「どわああぁっ!?」
彼女が呪文を叫びながら剣を大きく振り回すと、∞型の炎が出現し、俺に向かって直進してきた。
「そんなっ! なんで君がその剣、使いこなせるんだ? しかも俺が付けた略称で妖術を発動させるなんてっ」
「だって、私、達也さんが戦う様子、ずっと見てましたから……」
「そんな……うわあぁ!」
ヤエの攻撃は、俺が納得する暇など与えてはくれなかった。
迫り来る炎を寸前で避けるが、ヤエの連続攻撃速度は俺のそれと大差無いものだった。
それでも、俺は彼女の攻撃を躱し続ける。
火炎回流火炎龍(ディープローテーション!)は、範囲は大きいが速度がそれほど速くはない。俺の反応速度ならば、簡単に躱せる。
「延長槍炎!」
今度は超高速の炎の槍。
しかし身軽な『忍者』である俺にとっては、一点集中、しかも直線的なそれは事前に避ける事ができるものだった。
「……達也、なんでその娘がお前の『緋炎ノ剣』を持ってるんだ!?』
異変に気づいた、『獄炎龍』と交戦中の明が、大声で怒鳴る。
「いや、ちょっと成り行きで……まさかヤエがこんなに使いこなせるとは思ってなかったんだよ!」
「阿呆! その剣は刀というより、魔導具なんだ。その娘の方が火炎系の能力が強そうだ、使いこなせて当然だろうが!」
「……なるほど、ヤエは火炎系の妖術使いか……それにしても、俺にこんなに恨みがあるなん……うおっ!」
今度は単体の追尾型火炎まで放ってくるヤエ。なんとか籠手で払いのけたが、彼女の攻撃は治まる気配がない。
「跳躍破裂炎兎弾!」
彼女の短剣から放出される、跳躍を繰り返す小型火炎弾。俺の直ぐ側まで迫り、爆発した。
「うわあぁ!」
直撃こそ免れたものの、その熱を伴った爆風に思わず顔をゆがめた。
(手強い……むちゃくちゃに攻撃してきているだけだが、徐々に正確さを増し、威力も上がってきている……何とかあの剣を取り上げないと……)
連続攻撃を躱しつつ、彼女の直ぐ側まで迫ったそのとき、
「五炎飛蛇召喚!」
「なっ……そんな高度な呪……どわあぁ!」
奇妙な叫び声を上げてしまった。
程なく子犬ほどの五匹の怪物が、一斉に召還された。ヤエは難易度の高いその呪文を、たった一度見ただけで再現したのだ。
(ちぃっ……俺は慣れない槍しか持っていないのに、五匹一度に、かっ!)
炎の怪物の攻撃力は高く、また動きも俊敏だ。
せっかく詰めたヤエとの距離をもう一度大きく取って、それでも追いかけてくる炎の怪物を、ヤエから奪った槍でいなすぐらいしかできない。
「ヤエッ……ヤエ、教えてくれ! そんなに怒っているなんて……謝るから、その理由を教えてくれっ!」
俺の必死の叫び。それに対し、彼女は悲しそうな表情を浮かべた。
「さっきも言いましたが、達也さん、私の事を子供としてしか見てくれませんでした……」
「……えっ?」
「私も本当は、達也さんと恋人のようになりたかった!」
その言葉と同時に、召喚された怪物達の攻撃はますます鋭くなる。
「なっ……ちょっと、待っ……恋人ったって、俺と君、まだ出会ってからほんの数日……」
しかし、その俺のセリフがまたヤエの怒りの火に油を注いだようで、ますます攻撃が激しくなる……いや、殺される、マジで。
「ボウヤ、いいこと教えてあげる。年頃の女の子が男の子を好きになるのに、時間は関係無いのよ」
麻利の、相変わらず仲間割れを楽しむような声が聞こえた。
「……分かった、ヤエ。分かったから、攻撃をやめてくれっ!」
「……分かったって、何が分かったって言うんですかっ!?」
「いや、そのっ……恋人になろうっ!」
……咄嗟に出た言葉だった。だが、効果はあったようで、ヤエは一瞬だけ動きを止めたが……また涙目になり、ムチャクチャに攻撃を仕掛けてきた。
「よくもそんな出任せを……茜様や、楓さんの方が好きなくせにっ!」
ヤエは超高速の「ソウ・ロング」で迎撃を試みるが、本気ではないのか、俺を捉えることはできない。
俺は咄嗟にダッシュした……確かにヤエは冷静さを欠いているが、だからこそ隙も大きい。
そして遂に彼女の懐に飛び込み、抱き締め、そして少し強引に、唇を重ねた。
ヤエはピクン、とたじろき、そして動きを止めた。
そっと唇を放し、彼女の表情を見てみると……顔を真っ赤にして目を見開き、硬直していた。
「いや、俺、女の子にそんな風に言われたの初めてで、嬉しかったし……ヤエのこと、本当に大事に思ってるから……」
八重は、おそらく無意識の内に、『緋炎ノ剣』を地面に取り落としていた。




