恨み
「……氷助、なぜこんなところに……」
「なぜって……茜達に、手助けされるように頼まれたからに決まってるだろう。それに、俺にとってもおまえは『必要』だからな……お前、『階級』はいくつだ?」
「階級……2だけど……」
「まあ、そんなもんだろうな……俺は5だ。階級が2の『忍者』と5の『侍』、走力にそれほど差はないようだな。あと、『氷助』は仮の名前で、俺の本名は『明』だ。お前には教えといてやるよ……うん? ……また来やがったか、さすがにしぶといな……」
一度逃げるように飛び去っていた『獄炎龍』が、体勢を整えて再びこちらに向かってくる。
「……よく見ておけ、新米名代。これが『氷雪ノ剣』の力だ……永久凍氷圧迫封殺!」
青白い剣を豪快に振り下ろす明。
大小いくつもの雪、氷、霙が大量にその刀身から放出されたかと思うと、あっという間に『獄炎龍』の周囲を取り囲み、そして一気に爆縮し……その細身の龍は『燃えたまま』氷に閉ざされ、固まり、あっけなく地面に墜落した。
「……凄い……これも『妖術』か……」
「ばかやろう、気を抜くんじゃねえ! 敵は大勢いるし……まだ『獄炎龍』は死んじゃいねえ!」
明の怒号にはっとする。
みると、氷に閉ざされたはずの赤き龍はわずかに瞳を動かし……そして少しずつ、氷の檻にヒビが入ってきているのが見える。
「『獄炎龍』は俺にまかせて、お前は先を急げっ!」
「……恩に着る!」
正直、助かった。
明が来なければ、恐らく死んでいた。
(階級5,か……相当戦いの経験を積んだんだろうな……)
この戦いを生き残ったならば、彼とゆっくりと話をしてみたいと思った。
これで、最大の障害はなくなった。あとは町に入るための門を目指すのみ。
だが、斜め前方に紫色、艶美な着物を纏った怪しげな女性を見つけた。
不敵に笑い、そして遠目からもおぞましい闇の妖気を纏っていることが感じられる。
『驚いたわ、もう一人の『神の名代』が助けに現れるなんて……これも貴方の人格、かしら……でも、次の相手は勝てるかしら。私の一番のお気に入り。才能あふれる、とっておきの逸材よ』
またあの声が聞こえる。その主は前方の、あの女に間違いなかった。
俺は「ふざけるな」、と叫ぼうとした。
しかしそれは、木戸の門がゆっくりと開き、そして現れた少女を目にした途端、言葉にならなかった。
肩まで伸びる、漆黒の髪。
小柄で華奢な体に、小さな輪郭の顔がちょこんと乗っている。
その整った顔立ちは、わずかな間しか時間を共にしていないが、この世界に慣れない俺に癒しをもたらしてくれた。
つい前日まで目にしていた、最も身近に存在していた、そして全力で助け出そうと必死に探し求めていた少女。
「ヤエッ!」
驚きと、喜びをもって、大声でその名前を叫ぶ。
しかし、彼女が笑顔の時に出る『えくぼ』を、見ることはできなかった。
「八重……俺だ、達也だっ!」
その言葉にも反応を示さない。
少女の、子猫を思わせる瞳の色は、燃えるように赤い。
服装は、まるで戦いに赴く女侍だ。
表情は厳しく、何より、その体格に不釣り合いな長い槍を持っている。
「私の最新の部下で、もっともお気に入りの魔少女・ヤエよ。さあ、すばらしい戦いを期待しているわ!」
「……きさまっ……ヤエに何をした!」
「……人はね、誰でも『負の感情』を持っているの。たとえどんなに仲良くしている男女でも、不満や、時には憎しみがあるもの。私はそれを包み隠さず、相手にぶつけるように指示を出しただけ。ただ、その恨みは何十、何百倍に増幅されていて、直接攻撃を行わないと解消しないようにはしているけれど、恨みが全くないならば、問題ないはずよ」
「恨みを増大、だと? 適当な事を言うな、ヤエが俺に恨みなんか持っているはずがない!」
「あら、そうかしら? 少なくとも彼女は、戦う気でいるみたいよ」
確かにその目は、激しい憎悪を感じさせるものだった。
思わず、籠手を上に上げて防御の態勢を取る。しかし、「緋炎ノ剣」は腰の鞘に収めた。
「ヤエ、どうしたっていうんだ。俺に一体なんの恨みがあるんだ? そんなものないだろう?」
俺は困惑しながら、槍を構えて少しずつ近づいてくる彼女に声をかけた。
「……恨み、その一」
(その一? いくつもあるのか?)
俺は冷や汗が吹き出るのを感じた。
「……達也さん、昨日、私に内緒で、茜様からもらった差し入れ、食べたでしょう?」
「うん? ああ、今日の出撃に備えて準備していた俺達にくれた饅頭みたいなやつか。あれなら、二個あったから一個食べたけど」
「もう一つは、後輩の芽留達にあげるって約束しちゃってたんです。だから、私たちには一つしかなかった……後で達也さんと私で半分こして、一緒に食べるつもりだったのに!」
ヤエはそう叫ぶやいなや、手にした長い槍を思いっきり俺に向かって叩きつけてきた。
「う、うわぁ!」
思わず飛び退く。すぐ手前を、その槍から吹き出した炎が通り過ぎていった。
(まさか……そんなことでこれだけ怒るなんて……それに俺と半分こ、だって? それじゃあ、まるで……)
怪しい女・麻利は、爆笑していた。
「あっははっ、あー、おかしい。今の彼女、全く嘘がつけない状態で、本音しか話せないから。ちなみにヤエの武器、あなたの『緋炎ノ剣』ほどじゃないけど、攻撃者の妖力を反映する特殊な力を備えているわ。彼女の高い妖力にかかれば相当な攻撃力を持っているから、せいぜい逃げ回ってね」
完全に人を愚弄した台詞だった。
仲間同士を戦いの場に誘い出し、妖術を用いて嗾け、命まで奪わせようとしている。
そして俺のように戸惑う人間を見て嘲笑しているのだ。
それにしても……ヤエにそれほどの才能があるというのか。
たかだか十四歳の……。
だが、ここで俺は、ある事実を思い出した。
(ヤエは、一年前から……つまり、十三の時から『退魔師の審査』を任されていたんだっ!)
審査を勤める者は、たいていの場合、審査を受ける者よりもレベルが上だ。
つまり彼女は『相当の才能の持ち主』と、周りから認められていたのだ。
そして容赦なく俺に攻撃してくる彼女に対して、こちらは剣を向けることなどできない。
かなり面倒な事になったと、俺は思った。




