魔方陣
(飛んでくる刃の数が多すぎる……躱せないっ!)
いかに身軽で、敵の攻撃を躱す能力を持つ『忍者』でも、これだけの数は避けられない。
とっさに剣や両腕の籠手、両足のすね当てで辛くもそれらの攻撃を防御する。
しかし決して十分な防具とは言えないそれらを使えば、俺自身の進行する速度が極端に遅くなり、ついに足が止まってしまう。
カリナの攻撃はますます加速するばかり。
こうなると、周囲を取り囲んだ妖魔達が、防戦一方の俺に詰め寄ってくる。
(このままじゃまずい……)
俺は籠手の隙間からわずかに顔を覗かせ、今なお攻撃を続ける三人のカリナの位置を確認した。
そして一瞬の隙を見計らって、渾身の呪文を放つ。
「延長槍炎!」
今までの妖術では拡散していた火炎を一点集中、『緋炎の剣』の短い刀身から一本の長い長い、槍のような鋭い火炎が超高速で伸びていき、そして三人の内の真ん中の少女をかすめた。
「キャァァア!」
今度は無力化できなかったようで、紙一重で躱したカリナだったが、一瞬炎につつまれた。
「あっつーい! 一撃で本物の私を見抜くなんて……嘘だろーがっ!」
(いや……普通、真ん中を狙うと思うが……)
俺は心の中で突っ込んだ。
わずか一撃で戦意を喪失した彼女は、分身を解き、一目散に逃げていた。
(……やっぱり、物理的な防御力は普通の女の子だったか……)
俺はほっとため息をつくと、迫っていた妖魔達を「火炎回流火炎龍」と「火炎障壁」で蹴散らし、また進行を再開する。
あと、百五十メートル。
が、突然目の前が真っ暗になり、俺はパニックに陥りかけた。
『……ふふっ、神の名代、達也……すっごく強くなったわね。でも、みんな正面から向かってくるとは限らなくてよ。今度も期待の巫女、杏。彼女は数術と図形術が大得意の秀才。さあ、その連続魔方陣、破れるかしら?』
頭の中に響く艶美な女性の声に、一瞬、驚愕した。
(誰だ……なぜ俺の名を知っている……一体何なんだっ!)
空耳、あるいは幻術……それらの類の強力な妖術であることは間違いない。
しかし、その声の主とこの闇の呪術の使用者は、別人のようだ。
さっきの声より若い少女の気配を、比較的近くに感じた。
……魔方陣の破り方など、今まで訓練したことはない。そのような状況に追い込まれることすら想定していなかった。
真っ暗な中、緊張のあまり歩みを止める。
神経を集中する。刹那、自身に迫る一筋の閃光を感じた。
(ちいっ!)
瞬間的にそれを躱す。その正体は不明だが、厚い戦闘服の右肩を切り裂いていた。
二度、三度、同じような攻撃が来ては、それを躱す。ある程度、攻撃の先読みができる『忍者』の能力が無ければ貫かれていただろう。
(これは……単なる矢か? とすれば、外からは俺の様子が見えているのか……)
そうと分かれば、解決方法が見えてきた。
とにかく駆け抜けて、この魔方陣の影響範囲から逃れればいいのだ。
真っ暗闇というのが気になったが、たとえ落とし穴のような罠があったとしても、自分ならば『忍者』としての能力で回避できると確信し、俺は走り出した。
ところが、その途端に急に体が重くなった。
(何だ……これも……妖術かっ!)
「魔方陣奥義 超重力共鳴!」
まだ若い少女の呪文が、真っ暗な視界に響いた。
『達也、まんまと捕まっちゃったわね。あなたは超重力に捉えられたのよ。もう逃げられないんじゃないの?』
またあの女の嘲笑が聞こえる。と同時に、自分に降りかかって来る無数の弓を把握して、今までにない恐怖を覚えた。
とっさに全力で転がり抜けて、間一髪、ハリネズミになることを防いだが、それ以上身動きがとれない。
このままでは倒される。町にたどり着く前に……八重に遭うこともできずに。
「探索操人型炎!」
俺は祈りを込めて、起死回生の妖術を解き放つ。
それは、威力は弱く、スピードも遅い部類、人型の炎弾だった。
だが、それは念じた相手に、正確に向かっていく。そして確実にたどり着く。たとえそれが見えていない相手であったとしても。
「キャァ!」
短い悲鳴が響く。と同時に体は軽くなり、そして視界が元に戻った。
見ると、ほんの数メートルの距離に、一人の少女が存在した。
カモフラージュの為か、濃い緑色の服を纏っている。
十代後半、ほっそりとした体型、顔立ち。
少しきつめの黒く、美しい瞳だが、今は怯えた子猫のようだった。
「あっ……嫌っ……」
涙目になっている彼女に対して、俺は容赦なく短剣を振り上げる。
「火炎回流火炎龍!」
途端に生まれる、∞型の炎の塊。
しかしそれは少女の脇を素通りし、その奥の地面を直撃した。
恐る恐る後ろを振り返る巫女・杏。
地面が燃えている。そして、彼女が苦心して描いていた魔方陣が消えているのを見て、杏はへたへたと座り込んでしまった。
その後も俺は、二つほど魔方陣をかき消した。
ガクガクと震えている少女。自分が殺されるかもしれない、と怯えていた。
その彼女に近づく。
「手荒な事をしてすまない。ケガはないか? ……大丈夫なら、俺は先を急がないといけないんだ」
「……あっ……私、は……大丈夫……」
その言葉に、わずかに微笑むと、はっとして俺を見つめる杏を置いて、先を急いだ。
(あと百メートル!)
もうすぐだ。もう、門が見えるほどの位置にまで迫っている。
しかしそこには、またしても一人の女性が立っていた。二十歳ぐらいだろうか。大人の色気を持つ相当の美人だ。戦場に似合わない、美しく、派手な着物を来ている。
『彼女の名前は恵……闇天女七人衆の一人。私と同等の実力の持ち主よ。さあ、あなたに勝てるかしら?』
また例の声が聞こえた。
声、そう、声だけなのだが……その妖力は心の底から恐怖がわき起こる、膚が泡立つようなおぞましさを感じさせるものだった。
「麻利、あなたが余計なこと言うから私が妖魔だとばれてしまった……しょうがない……」
前方の女性はそう声を出すと、信じられないような行動をとった。
着物の帯を解き、襟を広げ……自分の胸元をさらけ出したのだ。
(なっ……!)
一瞬の戸惑いと驚愕、そして頭に血が上るような困惑……。
――次の瞬間、俺はなぜ自分がここにいるのか、忘れてしまった。
(……俺は、何をやっているんだ……)
そこで、ぴたりと進行を止めてしまった。
(どこだ、ここ……きれいな景色だ……日があんなに傾いている。もう日暮れが近い……)
……。
…………。
……………………。




