レイナードと仲間たち
心象風景にはやはり自分の内面が描かれているのだろうか。
ふと、レイナード・キュルソンはそんなことを考えていた。
ときたま思いだしたかのように心に浮かぶのは見たこともないような風景。
砂漠……なのだろう。
見渡す限りどこまでも砂地と風に舞う砂埃で満たされた世界。綺麗な黄色の絨毯と澄みわたる青空はともすれば絶景なのだろうが、僕の心にはその二色がまるで白黒のように映る。
その白い空に唯一存在を確認できる太陽は濁った灰色で熱さばかりが鼻につく。
そんな地獄のような空間をただ裸足で歩いているような、そんなイメージ。
……これはやはり、僕の心にある疾患なのではないか?
立ち直ったと、入れ替わったと思っている僕の心は未だに捉われたままなのかもしれない。そう考えればこうしてココにいることだって、それはまたその証左なのかもしれない。
それがこうして夢のように現れているのかもしれない。
そんな風にレイナードは考えていた。
うつらうつらと。
授業中に。
☆
「キュルソン!」
苗字を呼ばれ、ふと我にかえるとそこはいつも通りの日常、いつも通りの空間が広がっていた。
レイナードはその校内でも特に「いつも通り」を感じることができる場所――自分の所属するクラスの教室にいた。
いつもと違うのは授業中にも関わらず自分に向けられている視線が複数存在することだろうか。
冬期が過ぎてやっと温かい陽が望めるようになってきた教室内にそんな温い気候とは対極的な寒々とした緊張感のある空気が流れている。
一際(というかほぼ唯一)厳しい視線でこちらをみているアーガード教師と視線があうと、そのアーガード御大は口を開いた。
「聞いていたか……キュルソン?」
「なにをですか?」という喉まででかかった言葉を飲みこんで、頭脳を活発的に動かし周囲の状況から正解を得ようと画策する。
正面の黒板にはオズ数体の機体名が描かれているだけで、そこから授業内容を判別することは難しい。隣の生徒の教科書を盗み見ようかとも思ったが、その視線の動きだけで自分の怠慢を見抜かれてしまいそうで怖い。
名前が呼ばれた時には自分の方を見ていた生徒たちも今は我関せずと前を向いている。
最終的に藁にもすがる思いで斜め前の席に座る友人ジョルナンにテレパシーを送ってみたが、なしのつぶてだった。どうやらこの程度の危機ではサイキックに目覚めるようなことはないようだ。
何より、やはりこの友人はあてにならないとレイナードは改めて確信した。
確信すると同時に観念したレイナードは呻くように声を絞り出した。
「すいません……聞いてませんでした」
尻つぼみに小さくなる声でそういうと、アーガードはピクリと眉を動かしたがそれ以上のアクションは起こさず、今までと変わらないテンポと抑揚でレイナードに言葉を投げる。
「……いま行っていたのはこの学園の経営母体でもあるフェアリーテイル社の機体についてのレクチャーだ。いまから言う機体の特性について答えろ」
「はい」
罰の内容にわずかばかり心の緊張を解き、アーガードの言葉を待つ。
「『GRiMMs』の〈ハインリッヒ〉」
「脚部関節の駆動領域を拡げたことによる跳躍力と、より安定した四足での切り替え移動が可能な単一機です。鍵は大株主のヴィルト家が所有しています」
滑らかに答えたレイナードの説明にアーガードはわずかばかり首肯する。正解もしくは納得のいく答えだったということだろう。
「『アリスシリーズ』のワンダー、〈ダーマウス〉」
「えー……硬い装甲による高い防御力と長距離狙撃に特化した右腕部の砲身『ハニーウィール』が特徴のサードシーズンの機体です」
「弱点は?」
「駆動二輪の最大の特徴であるはずの移動性能は低いです。あとは基本武装が砲身のみなので、どうしても接近戦では苦戦を強いられます」
その後にも〈ブレーメン〉〈ジャック・オブ・ハーツ〉の2体について同様にレイナードがその知識を披露した。
時折つまりながらも、レイナードがしっかりと質問に答えていく中、ついには5体目までという長丁場になった。
「『アリス』シリーズ、ミラー〈ホワイト・ナイト〉」
これには流石のレイナードも「うっ!?」と一瞬口ごもるが頭の中の棚をひっくり返し、お目当ての情報を見つけ出し、講釈する。
「戦時中に活躍した機体です。なによりの特徴は使用されているラドリウム量で、これは同時期に開発された他のアリスミラー機よりも多く、機体性能と合わさって機動力は最新の機体にもひけをとらないです」
「では――」「さらにはそのエネルギーを移動や攻撃に転じる『リバイルシステム』が優秀で、これにより、戦時中はアメリア合衆国の誇る四大天使の一角〈ウリエル〉を退けたと云われています」
終わりを告げようとしたアーガードよりの声が届かなかったのか、重なるようにレイナードは解答を続けた。
それを聞いたアーガードは微かに眉を揺らした。そしてしばらく黙考して、短く問いかけた。
「予習してきたのか?」
「ええと、まぁ、その……はい」
なんと答えるのが正解なのかがわからず、しどろもどろになったが、最終的には肯定することにした。
相も変わらず厳しい視線を飛ばすアーガードだが、これだけしっかりと出した問い全てに正しい解答ができる生徒を叱りとばすような理不尽な教師ではない。
「自主勉強に救われたな。まぁ内容は入っているようだから、今回は不問にするが今後同じようなことがないように」
「はい、すいません」
素直に頭を下げ、レイナードは着席した。
ほっと胸を撫で下ろす余裕もなく、そこでちょうどチャイムの音が鳴った。
「じゃあ、ここまでだな。次回は〈ブーツ・キャット〉に始まる『ボーン・テイル』システムの特徴について学習する。キャルソンのように予習しておくように」
教材をまとめると、アーガードはやはり固い表情そのままに教室から出ていった。
「ふぅ」
クラスの空気が和らいだのと同時にレイナードは小さく息を吐いた。
それと同時に目下役立たずの烙印を押された斜め前の席に座っていた友人――ジョルナン・オガタがレイナードへと顔を向けた。短く刈った髪の毛が特徴の野性味溢れる友人のその面構えはにやにやとしていて締りがない。
「……なんだよ」
なんとなく考えの読めるその表情に不満を隠しもせずにレイナードが口をすぼめる。
「いやいや、レイには感謝してるぜ? 授業時間を短くしてくれた上に中々に面白い出し物をみせてもらって」
「見世物じゃねーよ」
頬杖をつき視線を反らすも、それでも視界に入ってくるので段々と不機嫌になっていく。
完全にヘソを曲げさせなかったのは、次いでレイナードに背後からかかった声のおかげだ。
「ジョル、そんなに笑ったらダメだよ。レイもお疲れ様」
労いの声をかけたのはマルフリー・ドノヴァイ。フランクローズ共和国の子爵家の三男で、整備科では珍しい貴族出の坊ちゃんだ。
貴族と言えば、傲慢で鼻もちならないというのがこの学園に来るまでのレイナードの中での通説であったが、マルフリーと出会ったことによってその印象は覆る。
貴族制度が形骸化しつつあるからか、それとも三男という在る程度自由が効くからなのか、はたまたただ単にドノヴァイ家の家風、マルフリーの性格なのか。その辺りはわからないが、肉付きがよく丸っこい体型も相まって、とてもとっつきやすいおおらかな性格をしている。
しかし、そんな彼でもさきほどの出来事には少し肝を冷やしたようで、その心中を吐露する。
「でも、アーガード先生で良かったよね。サーニクス先生とかデルメル先生だったら、ちょっと危なかったかも」
「あー……サーニクス先生は兎も角、デルメル先生だとヤバかったかなぁ」
云って、レイナードが苦笑する。
何度あの人に叱咤されたことか……。思い出すだけで背筋が伸びる思いだ。
しかし、そんなレイナードが抱える気持ちに目の前の友人は共感できなかったらしく、「そうか?」と首を傾げている。
「どっちかっつったら、やっぱサーニクス先生の方が怖くね? サーシャちゃんは確かにキツいけど、美人だし」
サーシャ・デルメルは厳しい性格よりもまず容姿に目が行きやすい。性格のキツさを如実に表した双眸は多少難ありだが、それ以外はパーフェクトと呼んでも良いほどに魅力的だ。さらさらの金髪を巻き込んだマーガレットはもはや彼女の代名詞で、それがまた厳格さや知性を増長させている。スタイルも良く、彼女に憧れる女子も懸想する男子も多い。
ジョルナンのようにちゃん付けで呼ぶ生徒も少なくない。まぁ、本人のいないところでという注釈がつくが。
反してドーマル・サーニクスは強面で有名な教師だ。内容に関していえばなんら問題はないどころか校内でも指折りに教え方の上手い人なのだが、授業態度に厳しいのとその迫力ある容姿のせいで生徒からは恐れられている。
怒られている場面でも想像したのか、ジョルナンが「うげっ」という表情で舌を出す。
「どっちかに怒られるならやっぱりサーシャちゃんだな」
「アーカード先生やデルメル先生も割と表情硬いしいつも眉を吊ってるけど、サーニクス先生のあの顔は別格だよね」
ジョルナンの意見にマルフリーも相槌を打つ。
しかし、今度はレイナードがそれに対し反論する番だった。
「いや、そういうことじゃないんだけどな」
「え?」
「ん? どういうことだよ」
2人の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。
今名前を列挙した教師陣は全員が人間が出来た先生達だ。とってつけたような理不尽な理由で怒るということはまずないし、過度な暴力行為を働くようなこともない。怒られるには怒られるなりの理由があるはずなのだ。
それゆえに顔の怖さ以外で順位をつけるのは不可能だと2人は考えていたが、どうやらレイナードにはそれ以外に理由があるらしい。
その理由に思い至らず考えあぐねる2人。
それに助け舟を出したのは他ならぬレイナード――ではなかった。
「サーニクス先生の担当教科が“外装整備”で、サーシャちゃんが“システム構築”だからでしょ?」
綺麗なソプラノの声が男三人の空間に広がる。
ショートカットにした赤い髪が印象的な美少女の登場に一気に場が華やいだ。しかし気安い雰囲気が損なわれないのは、約三カ月を共にしてきた故だろうか。
アイナ・エーヴァルド。
レイナード達と同じ整備科一年の彼女は整備科でも屈指の優等生だ。魅力的な容姿も備え持つまさに才色兼備という熟語にふさわしい少女である。
そんな彼女の提示した答えにマルフリーが「ああ、それで」と相槌を打った。
「レイは得意科目と苦手科目がはっきりしてるもんね」
「いや、でもお前って駆動系得意だっけ?」
それに反論したのはジョルナンだ。
いまマルフリーが言ったようにレイナードは得意不得意がはっきりしている。彼が得意とするのは“外装整備”や“騎乗メンテナンス”、そして“機体情報”など整備士よりもよほど操縦者にとって重要な分野においてはクラスでもトップクラスだが、対してコア部分やシステムデータなどの分野においてはクラスでも下から数えた方が早いくらいに不出来である。アーカードが担当する“駆動理論”は思いっきり後者なのでレイナードにとっては苦手分野だったはずだ。
そう問うジョルナンに対しレイナードは、
「質問内容が特性・特徴だったからね。動力部とか内部構造についてだったらやばかった」
その言葉を予想していたアイナはうんうんと頷いた。
「レイってばホント、機体情報とかは強いわよね。あと、外装」
「伝達系とプログラミングは壊滅的だけどね」
「あと機二史学もね」
「機二史はそれほど悪くないさ。機体情報と被る部分が多いから。戦時中とか特にね」
「あぁ、そこだけは平均以上だよな。だから、全体でそれなりの成績がとれてるのか」
「ま、そういうこと」
肩をすくめて自虐するレイナードに追い討ちをかけるアイナ、納得するジョルナン。
そこで一区切りついたかと思ったが、マルフリーが目を輝かせて蒸し返した。
「でも、やっぱり得意分野に関しては凄いよね! 特にアリスのミラーなんて普通覚えてないよ」
フェアリーテイル社が誇るオズの二大シリーズ。
『GRiMMs』を開発していたグリム社と『アリスシリーズ』のボーマ社。
別々の会社だったこの2社が1つに統合したのは地中海戦争が終結した直後だった。
それを機にアリスシリーズは量産型の「ワンダー」シリーズのみを新しい会社へと持ちこし、特注型の「ミラー」シリーズを凍結した。
ゆえに「ミラー」は既に歴史上のこととして捉えられており、操縦や整備に重点を置いた理論系の授業ではほとんど取り扱われない。そのせいか実技成績がモノを云うこの学園において、それらをしっかりと覚えている生徒というのは少ない。
「『リバイルシステム』は私も忘れてたわ。さすが、レイね」
そういって目を輝かせるアイナ。
「へ~、オズオタのアイナが忘れてたこと知ってるってのは、確かにすげぇな」
「流石だね」
アイナに続きジョルナンとマルフリーまで称賛の声をあげる。しかし、それを良しと捉えられないのがレイナードの損な性格である。
「……ほら、そんなことより次は実習だろ? そろそろ移動しよう」
褒められ慣れていないレイナードはそれ以上の賛辞を受け取りたくないとばかりに強引に話題を変えた。
「それもそうだな」
「あぁ、愛しのメアリちゃん待っててね~」
「あはは」
あっさりと頷くジョルナンを筆頭にアイナやマルフリーもそれぞれ次の授業の準備の為に各々の席へと戻る。
そんな普段通りの光景を目にしながらレイナードは座学で凝り固まった身体を伸ばし、席を立つ。
外はまだまだ日差しは弱く、風も強く吹いている。
それでも、さきほどまで心の中にわだかまっていた心象風景はどこへやら。レイナードの心は晴れていた。