最終問題 第二話
「ミズキくん!」
ん?
耳がピクンと震えたのが自分でもわかった。
ノアくんの声だ。もう朝?
まだ眠い目を手で擦って、違和感を覚える。
「?………フニャッ!」
自分の手が目に入ったとたん、ビックリして声をあげてしまった。
一気に記憶が甦る。
そうだ。サム先生の試験で猫に変身したんだった!
顔を上げると、魔法学院の制服を着た生徒が目に入った。
赤い髪にそばかす顔。
クラスメイトで寮のルームメイトのノアくんだ。
彼とは中等部からずっと一緒で、学院で一番仲のいい友達なんだ。
身長も体格も成績も同じくらいなので、
授業でもペアを組まされることが多いんだよね。
「ナー…。(ノアくん…)」
「大丈夫だよ」
ノアくんはぼくを安心させるように、優しく微笑んだ。
でもその顔は、ぼくの頭の上に視線を向けると一変した。
「サム先生、彼を解放してあげてください」
「……………」
責めるような顔と声で言われた先生は、ぼくをそっと床に降ろした。
「ノアール・フラム。まだ君の名前は呼んでない。勝手に試験部屋に入るんじゃない」
サム先生は腕を組んで、ノアくんを睨んだ。
ノアくんの試験番号はぼくの次で、最後のひとりだ。
隣の控え室で、呼ばれるまで待機している筈だった。
「すみません。なかなか呼ばれなくて、気になったものですから、つい。
そしたら、先生が仔猫を抱いてデレデレしているので驚きました」
ノアくんはそう言って肩を竦め、足元にいるぼくを見下ろした。
「君が試験部屋から出た気配はしなかったし……すぐにわかったよ」
優しい顔と声にドキッとする。
ひとの姿なら、赤くなっているに違いない。
落ち着くまで、もうしばらくこのままでいようっと。
「そんなことより、先生。ひとりの生徒だけを特別扱いするのは問題じゃないですか?
聞こえましたよ?マンツーマンとかなんとか」
そうそう!もっと、言ってやってよ。
ぼくはしっぽを振って、ノアくんを応援した。
「合格点に足りないんだからしかたないだろ?
このままでは彼は高等部に進学できない。落第だ。
補習と追試は院長先生の恩情なんだぞ?」
先生、そんなにはっきりノアくんの前で追試とか落第とか言わなくても……。
羞恥で体がプルプル震えてしまう。
「この科目の不合格はこの子だけだ。
よって、必然的に一対一の個人授業になってしまうのさ」
なんだか得意げなサム先生の説明を聞き終えたノアくんは、クスッと笑った。
「何がおかしい」
ノアくんの不遜な態度に先生の目が鋭くなる。
ぼくはオロオロしながら、ふたりの顔をかわりばんこに見ていた。
「不合格はミズキくんだけ?
先生、忘れてませんか?まだこの僕が残ってますよ?」
ノアくんは挑戦的な瞳でサム先生を見返した。
そんなに堂々と言う台詞じゃないと思うんだけど……。
「ばかな」
今度はサム先生が鼻で笑った。
「君が不合格になるわけないだろう?ノアール・フラム」
何かを含んだような言い方だった。
ノアくんとぼくの成績は同じくらいの筈だ。
けして望んでるわけじゃないけど、
ぼくみたいに失敗して試験に落ちても別におかしくはない……と思う。
「そんなのわかりませんよ。もし不合格なら、ミズキくんとふたりで仲良く補習と追試を
受けさせてもらいます。よろしくお願いしますね。サド…じゃなかったサム先生」
「………………」
腕を組んだまま難しい顔をしている先生を眺めていたら、ふわっと体が浮いた。
え?と思った時にはノアくんの腕の中だった。
「フギャアッ!!(おろして!!)」
やだやだ!クラスメイトに抱っこされるなんて、カッコ悪い!
「ああ、暴れないで。何?僕より、先生に抱かれるほうがいいの?」
低い声と、初めて見るような冷たい瞳に射すくめられる。
ぼくの体はブルッと震え、固まった。
耳としっぽがしゅんとなる。
「そう、おとなしくして。いい子だね。
先生、確かに色は違いますけど、完璧じゃないですか。
鳴き声もしぐさもかわいい仔猫そのものです。
さっきのように、意識を失くしても元の姿に戻らない。
これなら人間にも他の猫達にも見破られないでしょう」
ノアくんが、ぼくの体を撫でながら言った。
時々、喉のあたりや耳の後ろをくすぐられる。
ぼくはギュッと目を瞑り、くすぐったさに耐えた。
「こういう場合、減点より追加点の方が多いのでは?」
「単にその気になりやすいだけだと思うが……。ふん、よろしい。ぎりぎり合格だ。
その代わり『変身魔術』についてのレポートを、明日までに30枚。
くれぐれもフラムに手伝ってもらわないように」
サム先生はしぶしぶといった感じでぼくに合格点をくれた。
やった!
レポート30枚は大変だけど、修学旅行は行けるんだよね!
ぼくは嬉しさのあまり、ノアくんの腕の中で大きくしっぽを揺らした。
「よかったね。ミズキくん」
「ニャッ!(うん!)」
おっと、危ない。もう少しでノアくんの顔を舐めちゃうとこだったよ!
「試験を始めてもいいかな?フラム」
ぼくとノアくんは同時にサム先生の方を見た。
先生は不敵な笑みを浮かべて、ぼくたちを見下ろしている。
そうだった。まだノアくんの試験は終わってない。
ノアくんが黙ってぼくを床に降ろしたので、邪魔にならないようにと、
離れたところに走って移動する。
遠くからしっぽを振ってエールを送ると、彼は小さく手を振り返してくれた。
「試験番号199、ノアール・フラム。
実技の最終問題は変身魔法、『黒猫に変身』」
サム先生の良く通る声が部屋に響いた。
すると、
先生の前に立っていたノアくんの姿がゆらゆらと揺れて……消えた。
「ミャッ?(何?)」
頬のあたりに濡れた感触がしてパッと横を見ると、
ぼくと同じくらいの大きさの黒い仔猫が隣にいた。
金色の瞳がぼくを見つめている。
ぼくの頬を舐めたこの黒猫は、間違いなくノアくんだろう。
でも……
ノアくんの瞳って、こんな色だったっけ?あれれ?思い出せない。
それから、『変身魔法』と『移動魔法』を同時に使った?
それって、高等部で習うやつじゃないの?
疑問でいっぱいのぼくを残し、ノアくんは喉を鳴らしながら先生の前まで移動した。
しっぽをピンと立て、円を描くようにして堂々と歩いてみせている。
「……ふん、いいだろう。合格。ふたりとも、もとの姿に戻ってよろしい」
腕を組んで観察していたサム先生が、つまらなさそうに言った。
とたん、ノアくんの姿がどんどん大きくなりはじめる。
な、なに?
黒い仔猫は成長しておとなの猫になり、それでも止まらず形を変え、
最後は大きな黒豹になった。
その黒豹が、いきなり目の前にいるサム先生に襲いかかった。
「フミャッ!(ああっ!)」
白い閃光が走り、眩しくて思わず目を瞑ってしまう。
しばらくして目を開けると、腕で顔をかばうようにして立っているサム先生と
その後ろに佇んでいる黒豹の姿が目に入った。
後ろでくくっていた先生の黒くて長い髪がハラリと解ける。
それから、
黒豹のその大きい姿がゆらゆら揺れて歪んで、背の高い黒髪の男の子になった。
見たことのない端整な顔立ちの男の子だ。
でも、その姿はすぐに形と色を変え、もとの赤毛のノアくんの姿になった。
「……『変身魔法』か。試験なんか、お互い時間の無駄だったな。ノアール・フラム」
サラサラの黒髪をうっとおしそうにかき上げながら、サム先生が口を開いた。
「何のことでしょう?」
ノアくんは先生を見もせず、ぼくのほうに向かってくる。
「別に。それより、今のは何の真似だ?」
ノアくんは、腰を抜かしてプルプル震えているぼくを抱き上げ肩に乗せるようにして、
先生の方を振り返った。
「警告だ。ひとのものに手を出そうとするなど、許しがたい」
その声は威厳がこもっていて、いつもの優しいノアくんのものではなかった。
そう、まるで、魔王さまみたいだ。
「よかった。修学旅行、楽しみにしてたんだ」
ノアくんはぼくを抱いたまま試験部屋から出ると、ほっとした顔で言った。
「高等部の先輩にいろいろ聞いたんだ。
ゲートまでは先生が送ってくれるけど、
人間界に入ったら生徒同士ペアで行動しなくちゃいけないんだって」
「ミャ?(そうなの?)」
「僕のパートナーになってくれるよね?」
心配そうな顔でノアくんがぼくに尋ねてくる。
「ニャッ!(もちろん!)」
OKの返事の代わりに、しっぽをフリフリさせると、
そばかすの散った顔がにこっと微笑んだ。
ぼくは彼のこの笑顔が大好きなんだ。
なんだか謎だらけのノアくんだけど……そんなこと、どうでもいいや!
ノアくんの腕の中はあったかくて、心地よくて、だんだん眠くなってくる。
もとの姿に戻ることをうっかり忘れていたぼくは、
ノアくんに抱っこされたまま、寮のふたりの部屋に帰ったのだった。
end
最終問題