6. ADMISSION
わたしが日本に来てから、一週間後に高校の編入試験が行われた。
日本とステイツでは学年の始業時期が違うので、わたしは入学ではなく編入という形で高校に入る事になる。
もちろん、帰国子女としての特別枠で。
半年、犠牲にして入学試験を受けても構わないけど、それだと同級生との年の差が出来てしまうから、との理由で編入試験を受ける事になった。
ステイツでもそうだけど、日本では特に少しでも違うと虐めの対象になり易いと聞いたから。
やっぱ怖いよ、虐めは。
五月の末には終わったLAの授業の後、書類が揃うのを待って来日したので、試験は夏休み中に行われた。
合格出来れば、九月からわたしは女子高生だ!
わたしが通う予定の学校は、ママや伯母さんも通っていたと言う、お嬢様学校として有名な私立の女子校だ。
幼稚園から大学までの一貫教育を行っているらしいけど、中学や高校での編入も可能らしい。
最近ではわたしのような帰国子女も受け入れてくれるので、入れる様になったらしい。
「では始めて下さい」
三十程の机と椅子が整列して並んでいる教室で、わたしは一人で机に向かって試験を受けた。
科目は国語・数学・英語の三科目。
わたしがLAで通っていたのは地元の公立校だけど、日本人の両親を持つわたしは、日本語の勉強も家でさせられていた。
お陰で読み書きに不自由はないつもりだ。
事前に日本の問題集を取り寄せて勉強もしたし。
その所為か、テストはそれほど難しいとは感じなかった。
認めるのは悔しいが、従兄の教え方も悪くなかった。
教卓からじっと見守っているのは教師の一人だと思うけど、若い男の人だ。
「もう出来たの?」
開始三十分でペンを置いたわたしと視線があった試験官はそう訊ねて来る。
「はい、一応」
見直しもしたし、これ以上答案用紙とにらめっこをしていても意味が無い。
「じゃあ、早いけど次の教科を始めようか?」
おお、融通の効く試験官だ。
制限時間は一時間で、残りはまだ半分もあるのに。
早く終わる事はわたしにとっても有り難い。
ペーパーテストは予定の半分程の時間に短縮できた。
そしてその翌日には面接試験。
校長・教頭・学年主任といったオジサマ方が並ぶ中、『志望の動機』とか『好きな学科』とか『趣味』などのインタビューが続く。
緊張する中、何とか無難に答えていると、最後に校長がニコニコと微笑みながらこう付け加えた。
「伝統ある我が校に、まだ成島の血縁のお嬢様をお迎えする事が出来て光栄ですよ」
うわっ、出ましたね~成島の名前が。
わたしの苗字は岡村なんですけど。
緊張が思わず吹き飛ぶ腹立たしさだな。
両手をギュッと握りしめて、わたしは必死に耐えた。
お陰で笑顔は引き攣って元に戻るのに時間がかかりそうだ。
それが功を奏したのか?
三日後には合格通知が届いた。
わたしは無事に日本の女子高生になる事が出来るらしい。
まだ少し残る怒りと、もやもやしたものを抱えながらも、わたしは必要な物を揃える事にした。
学校が決まらない事には、と控えていた買い物に繰り出した。
わたしが日本に来て二日後に、グランマに連れられて行った買い物は、編入試験の際に着ていく洋服を買いに行かされただけだ。
持っている服じゃダメかな?と聞けば、少しカジュアル過ぎるとダメ出しを頂いてしまった。
お陰で何年振りかでスカートなんて買ってしまったが、相変わらず似合ってねぇ・・・
グランマや伯母さんは『可愛いわよ』って言ってくれたけど、ガリガリで長身のわたしに一番似合うのは、やっぱりジーンズなんだよね。
日本の学校には制服がある。
これも悩みの種だ。