29. VARIATION
月曜日、川口先生から出されていた課題である自作の曲を弾いた。
「・・・よっぽどデートが楽しかったみたいだな」
「そうですね、金曜日のデートより土曜日に遊びに行ったのが楽しかったですけど」
う~ん・・・蒼司と出掛けたのはデートになるのかな?
「じゃ、これをアレンジしてみろ。ジャズにロックやバラード、アップテンポにダイナミックにスローにとバリエーションを付けるんだ」
ああ、なるほど。
先生は例に一つ、バラードにアレンジした物を弾いてくれた。
わたしはアレンジされた曲の寂しさに驚いてしまったけど、流石だな、と思う。
蒼司に作曲の為の気晴らし、と言ってしまった所為か、彼が知っている川口先生について教えられた。
幅広いジャンルの曲を手掛けて成功している人で、才能は確かで認められているのだそうだ。
山田先生のお宅で会った、大森さんからの紹介なのかもしれないけど、受けた仕事を成功させるってプロって事だよね。
チャックと言い、川口先生と言い、わたしは教えて貰える人に恵まれている。
その才能と実力には敬意を払える立派な人だ。
「先生、先生はどうして作曲を?」
わたしはその理由を聞いてみたくなった。
川口先生のピアノの腕は確かだ。
山田先生の処で聞いた『ハンマークラヴィーア』にしてもそうだし、山田先生自身も川口先生の腕を惜しむ様な事を言っていた。
ピアニストの道ではなく、作曲家の道を選んだのはなぜなのか?
譜面に音符を書き込みながら、ふと感じた疑問をぶつけてみた。
「理由は簡単だ。食ってく為だ」
はあ・・・あまりにも簡単でまとも過ぎる理由に、わたしは思わず顔を顰めてしまった。
「俺は親を大学生の時に立て続けに亡くしちまったからな。それも長患いで高額治療の末にだ。お陰でこの家以外なんにも残しちゃ貰えなかった。大学は奨学金のお陰で卒業出来たが、留学やコンクールに出場して優勝した経験のないヤツがピアニストとして食ってくのは大変だ。だから金になる仕事をしてるのさ」
それに、別にこの仕事は嫌いじゃないし、とポツリと呟くように付け加えられた。
そっか・・・そうだったのか。
川口先生のこの家は一人で住むには大き過ぎるし、かと言ってご家族の姿は見ないし、変だなぁとは思ってたけど・・・亡くなってたのか。
大学生の時に、ってパパと同じだ。
パパは大学生の時に交通事故で両親を亡くしたってママから聞いた。
パパの顔の傷もその時のものだとも。
でも、パパは保険や遺産があったから、大学も卒業出来たし、好きな道に進む事が出来たって、お金には困らなかったって聞いた。
ただ、急に一人になったから寂しそうだったと、ママが言ってたっけ。
川口先生も寂しいのかな?
この家に一人で住んでるって事は・・・ご家族との思い出を捨てられないから?
「寂しいんですか?」
わたしの考えをそのまま口に出した問いに、電子ピアノをポンポンと弄っていた川口先生が立ちあがった。
怒らせたかな?
失礼な質問だったかな?
わたしは心の中で『ごめんなさい!』と叫びながら、近寄って来る先生を見上げてるだけで、ピアノの前から動けなかった。
そして、わたしの傍で立ち止まった先生は、わたしの頭にポンと手を乗せると「オマエは?」と聞いた。
「はい?」
「オマエは寂しくないのか?まだ十五・十六で、親戚の家に居るとは言え、親から離れて慣れない国に来て、寂しくないのか?」
そんなの!
「寂しいですよ!当り前じゃないですか!!」
わたしは今まで家族と離れて暮らした事が無かった。
そりゃ、キャンプに行ったりして何日か家を離れた事はある。
でも、わたしが日本に来て間もなく二カ月になる。
先月、家族が日本に来てくれたけど、二週間しか居なかったし、帰っちゃってからだって一か月が経つ。
グランパやグランマは優しいし、伯母さんだって色々と気を遣ってくれるけど、今まで碌に顔を合わせた事のない人達だ。
馴染もうとはしてるけど、気を許せているとは言えない。
だって、世界が違う気がするから。
従兄の蒼司は、思っていたよりも感覚がわたしに近かったけど、それでもあの家を継いで、あの世界で生きて行く事を選んだ人だ。
わたしだけが、あの家で異質な気がする。
通っているあの学校でも。
裕福なお嬢様達が通う学校。
そこでは決められた未来を受け入れている人達も居る。
その人達に比べたら、自分の意思で自由に将来を決められる、わたしは恵まれているのかもしれないが、自分の力で決める未来は自分で責任を背負わなくてはならない分、怖くて不安だ。
山田先生にだって言われた『可能性はある』って・・・それって、駄目になる可能性だって秘めてるってコトだよね?
この年で将来を決めなくちゃならなくて、親から離れる事になって、寂しくて不安で怖くてしょうがないよ!
だって、LAに居た時の友達は、みんなハイスクールに行ったらガールフレンドを作る事ぐらいしか考えてなかったんだよ?
仲の良かったエリックやレニーやジェフやスティーヴなんかは、女の子とバスケと食べる物の事だけ考えてて、将来なんて『大学に入れなきゃ働けばいいさ』位にしか考えてなかった。
そんな中で、与えられた選択肢の一つを選んだのは確かにわたし自身だけど、増えた選択肢や可能性に怯えて何が悪いの?
パパやママは『わたしの好きな道を選べばいい』って言ってくれるけど、もっと傍に居て励まして欲しいし、抱き締めて慰めて欲しいよ、今までみたいに。
それがそう簡単に出来ない距離に居るって事が、わたしに孤独を感じさせて嫌だ。
思わず叫んでしまった、わたしは涙が出そうになって、慌てて顔を伏せた。
でも、先生はそれを許さず、わたしの顔を両手で包んで上げさせる。
黙ったまま近付いて来る顔に、わたしは思わず呟いた。
「セクシャル・ハラスメントですか?」
こいつ・・・この前、帰り際に抱き付いて来たけど、次のレッスンではそんな素振りは見せなかったから安心してたら、やっぱりかよ!
しかし、わたしがそう言うと、川口先生はわたしの額に頭をゴチンとぶつけて来てこう言った。
「ガキに嫌がらせをするほど飢えて無い」
そして、わたしを解放してくれた。
痛かったけど。
その後は、わたしがアレンジする傍らでおかしい処を時折、指摘するだけで、わたしに触れて来る事はなかった。
わたしは、まだ明るい帰り道の途中で考えた。
川口先生は、まだ子供のわたしに孤独を指摘されて腹を立てたから、あんな事を言ってわたしを怒らせたのか?
でも、頬を手で包まれた時、わたしは嫌じゃなかった。
もちろん、キスされそうになったのは嫌だったけど。
先生の手は、思っていたよりも暖かくて、大きくて、まるでパパみたいで・・・
わたしは先生に言われて、自分のホームシックを自覚させられ、寂しい思いを抱えて帰る事になった。