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24. VOICE



さすがはグランパのライブラリィ。


防音室の書棚には、ベートーヴェンの『ハンマークラヴィーア』の楽譜もあった。


家に帰ってから、早速練習を始めようとすると、気付いた事があった。


当然ながら、楽譜に書き込みがしてある。


今まで、この部屋でピアノを弾く時は、自分で暗譜している曲しか弾いた事がなかったから、この部屋にある楽譜を見るのは初めてだった。


もちろん、グランパには事前に了解は貰ってるけど。


わたしは楽譜にざっと目を通した。


そして弾いてみる。


頭の中で、様々なピアニストの音色が流れては消えていく。


もちろん、最近聞いた川口先生の音も。


楽譜を見詰めながら、わたしはピアノを弾いた。






次の日、わたしはクラスメイトで合唱部員の中野依子に声を掛けた。


「伴奏用の楽譜って借りられるのかな?」


さすがにグランパのライブラリィの中に『翼をください』の楽譜は見つからなかったので、合唱部で借りられるかどうか聞いてみた。


「まあ、朱里様。もう練習を始めて頂けるのですか?」


依子はそう言って感激していたが、文化祭まであと一ヶ月半しかないのに、そんなに悠長でいいのかな?


「それと、コーラスと合わせる日についても相談したいし」


そう言うと、次の休み時間には合唱部の部長が楽譜を持ってやって来た。


お陰でわたしは昼休みに合唱部の練習場である第二音楽室で練習する事も出来た。


川口先生の家に行く前に少しでも復習う事が出来て良かった。






二度目の練習日となる今日は、二曲の楽譜を持って来ていた。


ああ、来週までに曲も作っておかなくちゃいけないんだよな。


課題は多いけど、楽しさがあるのは否定出来ない。


今日は言われた通り、ドアベルを押さずに扉を開けて「こんにちわ」と声を掛けた。


が、反応がない。


ああ、防音室のドアが閉まっているから気付かないのか?


「お邪魔します」


と、一応のお断りを入れてから家に上がった。


この靴を脱いで家に入ると言う習慣にも慣れて来た。


スリッパを履いて昨日入った練習用の防音室の扉を叩く。


「失礼します、岡村です」


防音室だから聞こえてないかも、と思いつつドアを開ける。


すると、ピアノの前に座る先生に顔を近づけている女性の姿が見えた。


えっと・・・お邪魔かな?


「・・・外で待ってますか?それとも今日はこれで失礼した方が・・・」


いいでしょうか?と続けようとしたのだが。


「気にするな。お前はもう帰れ」


川口先生は平然とそう答えるし、相手の女性も気にした様子を見せずに「あら、つれない」とだけ呟いて先生から離れた。


そして、上着とバックを持つと「じゃあね」と先生に軽い挨拶をして、わたしの横を通り過ぎた。


わたしと同じ位の日本人の女性としては背の高い人で、年は二十代前半?栗色の髪は肩まででバッサリ切り揃えられてて、前髪が長くて顔がよく見えないけど、あまり化粧っ気のない人だったが、スタイルが良かった。


うひゃあ、胸に谷間が出来てる・・・羨ましい。


思わず、じっと見詰めてしまった。


「あら、あなた・・・私の事、知らないの?」


擦れ違いざまにそう言われて、わたしは驚いた。


「そいつは帰国子女だからな。知らなくて当然だろ?」


川口先生の言葉にわたしはカチンと来たが、この女の人はそんなに有名な人なのか?


「そう?それは残念で新鮮だわ。私は日笠愛生ひかさあきって言うの。これでも歌手なのよ」


へええ~!歌手!


名乗った時に長い前髪を掻き上げてチラリと顔を見せてくれたけど、やっぱり知らない顔だった。


でも、ぱっちりと大きな目をした可愛い系の美人だ。


「失礼しました、川口先生に教えて頂いている岡村と申します」


日本のポップスについては、あんまり詳しくないからなぁ・・・これだけ自信があるって事はかなり有名なんだろうなぁ。


そう言えば、川口先生は『流行歌の作曲』をしてるって山田先生も言ってたっけ。


「ふうん・・・何を教えて貰ってるの?」


その表情には純粋な疑問しか感じられなかったので、素直に「ピアノと作曲です」と答えた。


「あら、ステキ。樹を超える大先生になったら私にも曲を書いてちょうだいよ」


ニコっと笑った笑顔は、それまで以上に可愛らしい感じがした。


「ありがとうございます。頑張ります」


つい、つられて笑顔でそう応じてしまったけど、やっぱりこのままだとわたしが目指すのはポップスになるのかな?と疑問も感じた。


「イヤ!なに、この子!可愛い!樹!この子私に頂戴!連れて帰る!」


考え込んでいると、いきなりそう叫ばれて抱きつかれた。


な、なぜ?


ギュッゥゥと押しつけられる大きな胸と、すぐ傍にある唇が頬に着きそうだ。


うわっ、柔らかくていい香りがするけど、キスは勘弁して欲しいなぁ。


「愛生、止めとけ。そいつはそんな形をしてても女だぞ。一応」


一応って何だよ!


わたしは立派に女の子だい!


「ええ~!女の子でもいいから欲しい!」


先生の説得(?)にも応じず、愛生さんという歌手の人はわたしを離してくれない。


え?もしや、この人も・・・ゲイですか?


それともバイ?


「そいつはこれから練習があるんだ。さっさと帰れ!」


「ええ~ケチ!」


川口先生の機嫌が悪そうに低くなった声に、愛生さんは渋々と言った感じでわたしを解放してくれた。


「下の名前は?岡村・・・ナニちゃん?」


名残惜しそうに肩に手を置いたまま、愛生さんは聞いて来た。


「し、朱里です」


つい、そう答えてしまった。


「そう、朱里ちゃん。いい名前だわ。また今度、一緒にお食事でもしましょうね?」


そう言って、頬にキスと名刺を置いて行った。


ああ、結局キスされてしまった・・・






「お前の名前って朱里あかりじゃなかったか?」


愛生さんが帰った後、わたしは先生からそう指摘を受けてしまった。


まさか、妖しい人にはシュリと呼ばせてますとは正直に言えず。


「はあ、が、学校でそう呼ばれているものでつい・・・」


と、誤魔化した。


やっぱり芸能人ってヘンな人が多いんだ。


綺麗な人だったけど。


「楽譜は手に入ったのか?」


ピアノの前から動かない川口先生にそう聞かれたので、わたしは「はい」と答えて楽譜を取り出して見せた。


「年季が入ってるな」


「新しく買うには時間がなかったもので」


昨日の今日だぞ。


それに楽譜は高いんだい!


文句があるなら自分で用意しとけ!


とはさすがに言えない。


「随分古いメソッドだな。これを見て弾いたのか?」


だって、グランパのだもん!


古いのは仕方ないよ。


「はあ、まあ、一応は」


参考にはさせて貰いましたが、その通りに復習ったつもりはありませんよ。


「まあいい、まずは発声だな」


え?


わたしはポーンとCの音を出されて戸惑った。


発声?


「声を出せ」


またポーン、と催促する様なCの音が響く。


仕方なく「あ~」と声を出すが、なぜ、わたしが?


短音の後はコード、音階、と発声練習が続いた。


「伴奏するなら自分でも歌ってみるべきだろ?」


そう言って先生はわたしに『翼をください』を歌わせた・・・それもソプラノとアルトの両方のパートを。


つ、疲れた・・・まだピアノに触ってもいないのに。


それから、やっとピアノの前に座らせて貰って、弾く事が出来た。


川口先生は、弾き終わるまで黙って聞いている人だった。


『翼をください』にしても『ハンマークラヴィーア』にしても、わたしが最後まで弾き終わるのをじっと見ているだけだった。


そして、一言「これで完璧なのか?」と聞いて来る。


「・・・違います」


だって、まだそんなに復習えてない!


言われたのは昨日で、『翼をください』は今日楽譜を貰ったばかりなんだよ!


でも、それは言い訳にしかならないので、言い返せない。


「明後日までにもう少し何とかして来い」


「はい」


頑張りまっす!






電源を落としていた携帯を開けば、もう七時を過ぎていた。


慌てて家に電話を掛ける。


「ごめんなさい、練習が長引いて・・・え?迎え?いいよ・・・って蒼が?」


電話に出た伯母さんが、蒼が迎えに来てくれると言っていた。


どうして蒼がいるんだろ?


「駅まで送っていくか?」


おお、先生までそんな事を言い出した。


まあ、既に暗くなって来てるからかな?


「大丈夫です。家の者が迎えに来てくれるそうですから」


「そっか、お前は成島のお嬢様だったな」


ムムッ、わたしは『成島』じゃないぞ!


「確かに、今世話になっている母の実家は『成島』ですけど、わたしはお嬢様なんかじゃありません!」


正々堂々と胸を張って庶民生まれの庶民育ちだと言えるぞ!


「そうか『お坊ちゃん』だったな」


コノヤロー!


「わたしは『女』です!」


コイツは、初めて会った時から『少年』だとか、さっきも『一応女』とか言いやがって。


終いには『坊ちゃん』だと?


「『成島のお坊ちゃん』はこれから迎えに来てくれる従兄の方ですよ」


蒼司こそ『お坊ちゃん』と呼ぶに相応しい存在だ。


有名な私立大学に通って、成島の跡継ぎとしてまだ学生なのに時々仕事もしてるって聞いた。


お金持ちでハンサム、頭が良くて、あの身体つきはスポーツも出来そうだ。


凄いよねぇ。


「わたしは両親からの仕送りでカツカツのしがない留学生みたいなものですから」


そうだ。


確かに多少は恵まれてるとは思うけど(山田先生を紹介して貰ったり、あの学校に入れたりした事なんかは)、でも、わたしの育ちは庶民なんだから!


「そうなのか?」


「そうです!」


鼻息荒く答えた。


「ふうん」


なんだ?その気のない返事は?


その時『ピンポ~ン』とドアベルが鳴った。


「は~い!」


蒼司がもう着いたのか?


思わず勝手に返事を返して、玄関に出ようとしたら、後ろから抱きつかれた。


ゲゲッ!


川口先生もゲイ?


今までそんな素振りは見せなかったのにな。


でも、頻りとわたしのことを男扱いしたがってた様だし・・・もしや、チャックと同類なのか?


「お邪魔・・・します。・・・朱里、迎えに来たよ」


玄関の戸をガラガラと開けた蒼司は、廊下で後ろから先生に抱きつかれているわたしを見て、一瞬だけ固まったが、間もなく立ち直ってニッコリと笑った。


うん、大した事じゃないから気にしないでスルーして欲しいな。


「では、迎えが来たので・・・先生、ありがとうございました」


首に回されていた腕に手を掛ければ、するりと解け、呆気なく解放されたので、挨拶をすれば「ああ」とだけ返されて、先生の家を出た。


からかわれただけかな?






帰り道、蒼司は車の中で暫く黙っていたけど、言い辛そうに重い口を開いた。


「その・・・朱里はあの男と付き合ってるの?」


やはり、そう思わせてしまったか・・・無理もないかな?


「違うよ」


変に誤解されても困る。


あの学校の校則では男女交際は禁じられてるしね。


「そっか・・・」


でも、蒼司がわたしの言葉を信じてくれたかどうかは判らない。


付き合うって、ステディな関係か?って事でしょ?


全然違うよ。


だって、抱き付かれた時にちっともドキドキしなかったし。


そりゃ驚きはしたけど。


恋って言うのは、好きになった相手にドキドキときめく事だって、ママが言ってたしね。


恋・・・かぁ。


日本に来る前は、わたしも日本で出会いがあって、恋が出来るかと期待してたんだけど・・・


なんだか難しそう。


ま、やる事はたくさんあるし、当分、恋なんてしてる暇はないかな?


でも、そう言えば、愛生さんに抱き付かれた時も、先生に抱き付かれた時も、そんなに嫌じゃなかった。


いつもなら、鳥肌が立って激しく抵抗するくらい嫌な事だったのに。


何でだろうなぁ?







補足:ライヴラリィ=ここでは個人の所蔵書の事を指す

   メソッド=ここでは演奏手法の事

   C=ドの音

   コード=和音の事


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