24. MASTER
「ここか・・・」
月曜日の放課後、わたしは教えて貰った川口先生の住所の場所へと来ていた。
今まで家と言うと、成島の豪華な洋館風の家とか、山田先生の別荘風のお宅とかしか伺った事はないが、登校途中や、買い物に行った時に、日本の家がどんなものかは、外側からだけだけど、見て知っていた。
川口先生の家は、一見、普通の家だった。
二階建ての瓦の屋根、モルタルの壁にサッシの窓がある家。
プロック塀に鉄の門扉、表札には『川口』の文字。
わたしは軋む門扉を開けて、木の格子にガラスが入っている引き戸の玄関の前で、小さなドアベルを押した。
家の中で『ピンポーンピンポーン』と鳴っているのが聞こえる。
これが一般的な家なのか?
ドスドスと重い足音が聞こえて、ガラガラと引き戸が開いた。
か、鍵が掛かって無かったの?
「次からは勝手に入っていい」
さ、最初の挨拶がそれですか?
「・・・お邪魔します」
さっさと背中を向けて家の中に入った先生を追うように、私は一言だけお断りを入れてから中に入った。
玄関から続く廊下の両側に部屋があったが、左手前に階段、右手にはリビングらしき部屋とそれに続くのはキッチン?
階段の奥に、開いた扉があって、そこにはピアノが置いてあった。
しかし、ピアノの周りには楽譜が雑然と散らばり、一言で言って汚い!
「携帯は終わるまで切っとけよ」
そう言って、川口先生はピアノの傍の椅子に座った。
わたしは携帯の電源を切ってから、思い切って言った。
「あの・・・片付けないんですか?」
さすがに防音はされているのか?窓のないその部屋はグランドピアノと電子ピアノとギターなどの楽器と大きな机が置いてあったけど、鍵盤の上以外は散らかり放題だった。
「これはこれで秩序がある。気にするな」
気になるよ!
「せめて床が見える程度には片づけて頂かないと気が散って練習に集中出来ません!」
わたしはそう宣言してから床に落ちているとしか思えない楽譜を拾い始めた。
どうしてこんなに汚いの?
リビングやキッチンは(チラッと見ただけだけど)ちゃんと片付いていたのに。
「煩い奴だな。こんなことなら家政婦のバアサンにここの掃除もして貰うんだった」
川口先生はブツブツとそう言ってたけど、わたしは心の中で納得しただけで何も言い返さない事にした。
山田先生の練習室だって、雑然とはしていたけど、床に物が落ちている事なんて無かった。
大いに不満が残ったけど、少しだけ片付いた部屋で、わたしはやっとピアノの前に座る事が出来た。
だって、スタインウェイだよ!
周りだって綺麗にしてあげなくちゃ可哀想じゃん!
「まずは自分が作ったって言う曲を弾いてみろ」
川口先生にそう言われて、わたしは山田先生にも聞かせた曲を弾いた。
「素人の曲だな」
あっさり、ばっさり言われて、グサッと来た。
けど、事実だとも思った。
そして、部屋の隅に置いてあった電子ピアノを引っ張り出して、徐に川口先生は曲を弾き出した。
「これは・・・」
それは、わたしの作った曲だった。
正確に言えば、わたしの曲をアレンジしたものだった。
一回聞いただけでこれだけの物を・・・プロって凄いな。
グランパ達に、山田先生に紹介して貰った川口先生の名前を告げた時、その名前に反応したのは一番若い従兄の蒼司だけだった。
「最近よく名前を聞くヒットメーカーじゃなかったかな?でもクラシックをやってたなんて知らなかったな」
う~ん・・・やっぱり有名なのか。
ヒットメーカーって事は忙しいんじゃないのかな?
いや、それとも、そんな人に教えて貰えるのは、やっぱりラッキーなのかな?
「これから毎週、月曜日までに一曲書いて来い。聞いてやる」
うわっ、もの凄い上から目線だ。
でも、書かなきゃ始められない。
「はいっ!」
「それと、明日は弾く方を見てやる。弾きたい曲はあるのか?」
わたしはそう言われて、少し考え込んだ。
「あの・・・『翼をください』ってどんな曲ですか?」
そう訊ねると、川口先生は思いっ切り顔を顰めた。
「あの、その・・・今日、合唱部の人達に伴奏を頼まれて・・・文化祭で歌うらしいんですが・・・」
わたしはその曲を知らなかった。
そして、断れなかった。
テニス部の副部長である、後藤先輩に見学と入部のお断りを入れに行ってから、わたしはバスケット部と合唱部とオーケストラ部にも断りを入れに行った。
しかし、バスケット部はかなり人数が少ないらしく、試合の際だけでもいいから、と助っ人を頼まれ。
合唱部では、先日のミニ・コンサートが拙かったのか、入部はともかく一曲だけでも伴奏をお願いしたいと、三年生の部長にまで頭を下げられて断れなかった。
最後のアンコールが拙かったのかな?
そして、オーケストラ部では・・・
「あと、一曲、文化祭で弾くように頼まれているんですが・・・選曲がまだ・・・」
さすがに、先日弾いた曲の中からじゃ拙いだろうし。
オーケストラ部では、顧問の佐々木先生直々に頼まれてしまったのだ。
あの時、第一音楽室を使わせてもらった事まで盾にとられては断れない。
こんな事ではどこにも入部が出来ない。
どうしよう・・・
「『翼・・・』は元々ポピュラーの曲として発表されたものだが、教科書に取り上げられてから愛唱歌として日本では広く歌われている。英語にも訳されて出た筈だ。『Wings to fly』だったか?」
聞いた事がなかったので首を振った。
「そうか、お前は帰国子女だったな」
そう言うと川口先生は電子ピアノを弾いて、なんと!歌って見せてくれたのだ!
うっわぁ・・・喋っている時はあんなに低くてボソボソ喋っているのに、なに?この伸びのある高い声!
ワンフレーズしか歌って貰えなかったけど、川口先生の声が素晴らしい事と『翼をください』という曲が素晴らしい事はよく判った。
わたしは思わず、拍手をしていた。
「あと、文化祭で弾く曲だが・・・『ハンマークラヴィーア』にしろ」
え?
わたしは拍手を止めた。
「む、無理です!」
速攻拒否だよ!
「俺の歌を聞いた代償は高くつくんだ。覚えとけ」
ええ!自分で勝手に歌ったくせに!
・・・楽譜を探さなきゃ。
グランパは持ってるかな?
「それにしても、先生は歌もお上手ですね。なぜ、歌手にならなかったんですか?」
アレンジメントも、ピアノの腕だって確かだけど、ポップスの作曲をしているなら、歌っても構わないんじゃ?
「俺が歌うのは下手糞な歌手の見本になる為だけだ」
ああ、そうですか。
作曲家も大変ですね。
わたしはもう反論する気力を失くしてしまった。
とにかく『翼をください』と『ハンマークラヴィーア』の楽譜を手に入れないと。
前者はともかく、後者は難しい事が判っていても、チャレンジし甲斐がある曲だ。
それに、川口先生がどんな指導をしてくれるのかも。
わたしは思わずワクワクしながら家に帰った。
こうして、わたしの日本でのピアノレッスン一日目が終わった。
合唱部が頼んだ曲が『翼をください』になった理由。
1. 「けいおん!」で一番最初に演じられた曲だから。
2. 「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」で綾波が歌っていた曲だから
3. 元々好きな曲だから
4. カノンが歌っていた英語版に感激したから
5. 徳永英明が・・・以下同文
さて、正解は?