③
世間話だというのに、威圧感と探るような視線。
「まだ慣れていなくて、分からないことが一杯です。」
何を訊かれても知らないで通せるだろうか。
逃げに選んだ言葉を利用されるなんて、思いもしない。
「そうですか、ぜひ、当社の事務員と仲良くされると良いですよ。そうだ、今夜、当社の食事会にいらっしゃいませんか?」
え?何故に??何で、そんな他社の食事会に誘うの?
「いえ、すみません。今日は。」
断ろうとした言葉さえ、遮って。
「遠慮はいりませんよ。うちの事務員の大石 美咲も入った時期が近いので、きっと困っていることも相談すれば、参考になるでしょう。」
断れる雰囲気がない。
どうすれば良いんだろうか。
「おい、三浦!」
この声は。
声のする方に視線を向け、別の不安が過る。
木之下さん、捨てた社長と会うのはどうなの?
「初鹿野社長、お久しぶりです。お話し中のところ済みませんが、急用なので失礼します。」
口早に、それでいて動揺も見せずに丁寧な対応。
そして私に視線を向けて、真剣な表情のまま。
「三浦、所長が探している。戻るぞ。」
そんな他社の社内事情にも、関心があるのだろうか。
私たちの会話に、軽々と侵入してくる。
「どうした、造船所内で何かあったのか。私も対応を迫られるといけない事かもしれないなら、教えて欲しい。」
木之下さんは慣れているのか、営業スマイルで応える。
「いえ、三浦が提出した書類の計算式が抜けていて、合計が合わないそうで。至急、再提出を依頼されただけです。では、社長。失礼します。」
「初鹿野社長。本日は私用で出かけますので、折角のお誘いですが、お断りさせていただきます。すみません、失礼します。」
口早に言い逃げ。
「行くぞ。」
小さな声で、導くように走って行く後姿の木之下さん。
もう一度、目も見ずに会釈して、その後を追った。
恐かった。
木之下さんが来なければ、私は。
必死で走って、建物の中に入る。
事務所に続く階段。
息が切れ、零れた涙に足は止まった。
「……っ。」
悔しい。恥ずかしい。
混乱に涙が止まらず、周りも見れずに。
「大丈夫か、三浦。すまない、もっと気を回せていれば。」
いつもとは違う優しい木之下さんの声。
「すみません、ごめんなさい。」
涙を何度も拭うけれど、止めることも出来ずに、ただ謝ることしか出来なかった。
「どうしたの?」
心配する、聞いた事のない女性の声。
不味い。こんな場面を見られては、どんな噂が流れるか。
また木之下さんに迷惑をかけてしまうかもしれない。
「すみません。バカノに初めて会って、色々と詮索されたみたいで。」
え?そんな事、言って大丈夫なの?
「まぁ~~、あのバカ社長に?かわいそうに。ちょっと、あんた麦茶でも持ってきてあげて。」
「そりゃ、ビックリしただろね。かわいそうに。今、麦茶でも持ってきたげよう。」
騒ぎを聞きつけた協力会社の方々に、親切を受けながら。
涙も止まって、恥ずかしさに笑顔がもれてしまう。
そんな安堵を、周りも読み取ったのか笑顔で。
初鹿野社長の悪口大会が勃発。
そんなに悪い評判しかないのだろか。
安心したのは、木之下さんが悪く言われないことだ。
ん?何か忘れて……
「木之下さん、私、書類を。」
「あぁ、心配すんな。三浦を、あいつから離すために咄嗟に言ったことだ。まぁ所長が心配してるだろうから、報告には行かないとっすね。お前は、もう少しだけここにいろよ。」
木之下さん、他の協力会社の方にも信頼されてるんだ。
報告から戻った木之下さんは、周りの人に私の面倒を見てくれた事に感謝を述べ、丁寧なお辞儀。
私も会釈をした。
そして事務所に戻ると、心配そうに駆け寄ってくる所長。
「すまないね、今日、彼の姿を見た時に、三浦さんにも報告しておくべきだった。何か言われたかな?」
私は、食事会とSペイントの事務員と仲良くするように言われたことを伝えた。
その話に、所長と木之下さんは真剣な表情で。
「不味いね。何か、仕掛けてくるかもしれない。」
「そっすね。ホント、あのバガノ、ウザいっすわ。」
木之下さんの暴言に、所長は苦笑で否定もせず。
私は不安になる。
自分の会話も阻まれれば、強気で自分の意思を通すことも難しい。
まして逃げ道を見つけることも出来ないなら。
「Sペイントの事務員には、気をつけるっすよ。良い噂を聞かないっすからね。」
いつものような軽い感じの忠告だけど、気をつけていた。
出来るだけ係わらないように。
油断していた?
そうかもしれない。
彼女は私と仲良くなることではなく、この造船所から消そうとしていたなんて。
思いもしない。
そんなチャンスを待っていたなんて…………
そして私をドン底へと突き落すような画策は実行に移されていた。
所長も木之下さんも不在。
私は事務所内の掃除をしていた。
そこへ造船所のお偉い様が登場。
「お疲れ様です。」
「あぁ、少し飲み物を頂けるかな?」
なんだろうか、いつもと少し雰囲気が違うような。
気のせいかな?
「はい、良ければ座ってお待ちください。」
アイスコーヒーを入れて、お偉い様の前にコップを置いた。
「三浦さんだったかな、君は俺の事をタヌキと言ってるそうだね。」
へ?タヌキ?
「私がキツネではない話と関係ありますか?」
思い当たる会話を振ってみるけれど、お偉い様、森脇さんは私が何を言ってるのか分からないって顔。
私も何が何だか分からない。
そんなお互いに考えている間に結論が出たのか、森脇さんは深い一息吐いた。
そして、いつもの雰囲気に戻ったような気がする。
「ふっ。君がキツネじゃないって、どういう話があったのか教えてくれるかな。多分、自分の事をタヌキと言った理由も判るだろうから。」
変なの。何故、そんな前の会話を知りたがるんだろうか。
でも、お偉い様の言う事だから何か考えがあるのだろう。
「確か、森脇さんが協力会社の事務員に書類の作り方の講習をされた日です。その事務所に帰る道で、深元さんが造船所のシステムについて難しい話をしてたんです。で、何のタイミングか澤田さんが深元さんをタヌキだと言ったんですよね。」
このタヌキめって。
私は何の話なのか、よく分かってなかったけど。
そんな話、聞いてどうするのか未だに不明。
森脇さんは、じっと私が話すのを観察している。
はい、続けろって無言の圧力ですね。
それくらいは分かりますよ。
「その後、深元さんが澤田さんもタヌキだと言ったので、きっと頭の良い人はタヌキなんだと思ったんです。それで、講演の後だったのもあり『森脇さんもタヌキですか?』と、聞いた気がします。二人は笑って『どうだろうね』と言うので、『私はキツネですか?』と聞いたんです。すると、二人から否定されました。以上で、タヌキとキツネの話は終わったと思うのですが。その話、森脇さんは誰から聞いたんですか?」
深元さんや澤田さんから聞けば、もっと詳しく分かったはずなのにな。
話し終った私に、また雰囲気の違う森脇さん。




