②
あ、マズイ。これ、ダメなやつだ。
視線を受け、顔の距離が近づいてくるなんて。
目を逸らせないどころか、拒絶も出来ないような空気。
話題を出そうにも、どう続けていいのか分からない。
「……冨喜ぃ~~、やっぱりココにいやがったな!サボってんじゃ……ねぇ。オイ、何してんだ。」
私に近づいた距離はそのまま、視線だけを入り口に向けたトキくん。
入って来たのは現場責任者の木之下さん。
にらみ合ったのは数秒。
トキくんは私に視線を向けて、表情は変えずに小さな声で。
「嘘じゃないよ。ごめんね。」
私の肩に額をそっとのせて、すぐに離れた。
顔が一気に赤くなる。
すぐに手で顔を覆って、誤魔化そうとするけど、そんな必要もないトキくんの後ろ姿。
「木之下さんこそ、サボリっすか?」
「うっせ、黙れ。現場に戻って作業をしろ。今後、こんな事は認めねぇ。」
トキくんを事務所から追い出した木之下さんの空気が、凍るほどに冷たいのが伝わる。
どんどん私に近づいてくるのに、いつものような嫌味も無く無言。
身体は固まったように動けず、視線を向けることも出来ない。
私の横まで来て、大きなため息。
「はぁ~~。ホント、気を付けてくれよな。……まぁ、俺の監督不足か。三浦、大丈夫か?」
いつもは名字なんか使わないくせに。
こんな時だけ。
泣きそうになるのを堪えて、口を開く。
「大丈夫です。それより……私、どうすればいいですか?」
年下の男の子とはいえ、大人の男性から弱さを見せられ、グラつくような感情。
好きとか、恋愛感情ではないけれど、どうしても何か力になってあげたい。
「男に同情で行動するのはお勧めしないっす。ま、何があったかなんて知らんすけど。」
木之下さんは普段と同じ口調に戻る。
思わず笑ってしまった。
「ふふっ。……木之下さんは、トキくんのお父さんを知ってるんですか?」
私が同情するような内情を知っているのは確かだろう。
木之下さんに包み隠さずに尋ねた方が、今の状況を把握してくれるかもしれない。
「知ってるっすよ。そっすね。職人をたどれば、居場所くらいは分かるかもしれないっす。」
視線を向けた私から視線を逸らし、自分の机に移動していく。
「あいつは俺に訊いて来ないし、職人の誰にも尋ねないっすよ。それを……まぁ、逃げてるだけっすか。念押しするけど、同情で優しくするなら覚悟決めろ。」
机の引き出しから書類を出して、現場に戻るのだろうか。
颯爽と入り口に向かい、振り返って向けた視線は真剣だった。
嘘じゃない。
誰にも自分から父親の事を尋ねないのに、私にだけ言った本心。
探しているのだと。
次の日の朝。
私は事務所に入ってタイムカードを打ち、珍しい人の気配に挨拶をした。
「おはようございます。」
いつもなら、現場の見回りでいない所長と木之下さん。
「おはよう。三浦さん、ちょっといいかな?」
所長から手招きで、職人さんたちが昼食を食べる広い机に呼ばれた。
私、何かやらかしたかな。
「はい。」
恐る恐る。
指定された席に座って、二人の重たい空気に唾を飲む。
「冨喜くんだけど、昨日で退職したよ。」
え?
声も出ないくらい驚いた私。
所長は視線を木之下さんに向けて、説明を促す。
思わず私も木之下さんに目を向けた。
「三浦、あいつ……冨喜はSペイントのスパイだったんだ。」
Sペイントのスパイ?
トキくんが他社のスパイ?
理解が追い付かず、木之下さんの言葉が頭を巡る。
「三浦、しっかり聞けよ。」
強い口調に、意識を集中するように力強く頷いて。
思わず涙目になるのを我慢。
「あの後、あいつから報告を受けたんだ。所長にも、すぐに連絡して……すまない、後回しになったのは。」
「いえ。それよりスパイって、どういうことですか。」
木之下さんの気遣いが見え、嬉しさよりトキくんの事が心配になった。
私の動揺からの切り替えに、安心したのか木之下さんは少しの意地悪な笑顔。
「お前は本当にスゴイ女っすね、あいつが惚れただけあるっすよ。……実は、冨喜を紹介した会社に、Sペイントが根回ししてた。うちが増員するタイミングを知って、冨喜を入れたんだ。あいつのオヤジさ、Sペイントにいる職人が居場所を知ってたんだ。情報と交換で、仕方なかったみたいだ。」
トキくん……
「大した情報は漏らしてないってさ。惚れた女に嫌われたくないからって、あいつ……オヤジの情報も聞かずに消えたんだ。」
複雑な感情が入り交じり、何を言って良いのか分からず。
我慢も切り替えも、どこかへ消えて。
涙が込み上げ視界は霞んで、止め処なく零れ落ち続ける。
何度も目元を拭い、必死で繕おうとするけれどうまくいかない。
「三浦さん、ありがとうね。君の職人さんたちに対する態度が、この会社を救ってくれているよ。」
優しい所長の声に、思わず声が漏れてしまう。
悔しい。何も出来なかった。
トキくんに、私は何もしてあげていない。
むしろ、お父さんの情報を得られるチャンスを奪ってしまった。
職人さんたちの間では、情報なんて筒抜け。
会社には悪いけど内緒なんて無い。
卑怯なSペイント。周りのウワサは本当だった。
他の会社には情報を一切与えようとせず、その癖、情報を得るためには手段を択ばない。
そして……木之下さんを切り捨てた馬鹿な社長。
その人がトキくんさえ利用して。
「三浦、気をつけろよ。今回の事は俺たちしか知らない。Sペイントの目的がうちの情報だとすると、次に狙われるのはお前かもしれない。冨喜が心配してた。」
年下の男の子だと思って油断していたのに、いなくなってから私への気遣いを伝えるなんて。
私の気持ち、どうしてくれるの?
惚れちゃうじゃない。
私は直接、好きなんて聞いてない。
なんのドラマなの、この展開。
「大丈夫ですよ、私なんか誰も気にしないでしょうから。」
つい、強がったのもあるけれど。
自分に探りが入るだなんて、本当に思ってもいなかった。
「用心深さは必要ですよ。」
所長からも釘を刺されていたのに、私は……
提出物を出し、事務所まで戻る道。
「こんにちは。」
声をかけられて、普段と同じ反応で振り返る。
「こんにちは。」
そこにいたのはSペイントの社長さん。
その人物に対し、一気に凍りつく自分がいた。
どうにかして逃げないと。
気持ちに連動するように、笑顔を作って会釈して、足早に去ろうとしたけれど。
もちろん相手の方が上手だった。
「あぁ、はじめましてかな。Sペイントの社長、初鹿野です。」
「はい、はじめまして。REシップの事務員、三浦です。」
タイミングを逃してしまった。
恐い。笑っているのに、内心が読めない。
この人が木之下さんを追い出し、トキくんをスパイとして送り込んだ人。
「新しく入った人ですね、慣れましたか?」




