迷いと攻防
笑いが込み上げ、口もとが緩みそうになるのを何度も我慢する。
それが痛みに苦しんでいる様に見えたのか、彼女は俺に付き添って保健室へと誘導してくれる。
いや、しているのは俺の方か。
放課後、先生は直帰で居ない。
この前、部活動をしている生徒が言っていたのを思い出す。
部活動終了の間際、見回りが戸締りするのだと。
そんな危険な情報を知っているのは、どれだけいるだろうか。
保健室に辿り着き、中に誰もいない事を知って高鳴る胸。
俺の考えなんて知らずに心配する彼女の表情に萌える。
二人で入り口を通り、留惟がドアを閉めて、俺が鍵をした。
「え?」
間の抜けたような視線を、俺に向ける。
「ん?」
俺は最高の笑顔を向けたつもりだけど。
やっと察知したのか、鍵を開けようと慌てる。
「遅いよね、気付くの。優しい留惟、俺は君ともっと仲良くなりたいんだ。色んな表情を見せてよ。」
顔を近づけると、口もとを引きつらせ、逃げ場を失った動揺なのか部屋の奥へと向かう。
距離を取りたくて、逃げているのかもしれないけど。
奥にはベッドと。窓か。
逃がさないよ。
留惟が窓の鍵に手をかけた所で取り押さえた。
激しい抵抗。
なだめる様に抱き寄せ、耳元で囁く。
「ね、今の状況って分かる?騒いで誰かが来たら、どうなるか。君だって困るよね?」
抵抗が緩んだのを感じ、お姫様抱っこ。
そしてベッドに運んで寝かせた。
「くくっ。あはは。」
我慢していた笑いが込み上げる。
俺を見上げる視線。
彼女は信じられないものを見ているような複雑な表情。
まただ。俺の感情を冷ますような痛みと、空虚感。
言葉が出なかった。
罪悪感が生じるのに、彼女を逃がすことも出来ない自分。
「樋野くん、あなたが何を考えているのか分からない。」
ベッドに押し倒した俺に、彼女の目は逸れることなく向けられたまま。
「俺も理解不能だ。」
混乱しているのは俺の方なのか。俺が見たかったのは泣き顔だったはずだ。
「そうだよね、私と付き合うなんて言うんだもの。」
彼女は覆い被さる俺の顔に手を伸ばし、そっと頬に触れる。
足りない。満足できない。どうしたら埋まるんだ、この欲求は。
自分の感情ですら分からないのに、留惟の感情なんて読めるはずもない。
彼女は伸ばしていた手を下ろし、自分の口元に当てた。
声を抑える様に、眉間にしわを寄せて。
大粒の涙が溢れて、どんどん流れていく。
この表情で心が満ちた訳じゃない。
埋まらないのに苦しくて、感情がいっぱいで複雑な切なさ。
「好きだよ、その泣き顔が。お前自身を、俺がどう思っているか何て自分でも分からないけどね。」
確かに泣き顔が見たかった。
だけど、こんなに自分も悲しくなるなんて。
伝わらない。どう言い表せばいいのか分からない。
「他の誰かに譲るつもりはないくらいには執着している。」
それが俺の精一杯。
「ふっ。泣き顔か。そうね、あなたに見せたのは、そればかりかも。」
涙を流しながら、心を許したような笑顔を俺に向けて。
前にも留惟の泣き顔を、俺は見たことがあるって言うのか?
「覚えてないよ、きっと。あなたは誰にでも優しいから。私はその他大勢に埋もれて、記憶にも残らない。」
涙を拭って、笑顔を変わらず俺に向ける。
「いつ?それは、どこで?」
思い出すことも出来ず、不安に似た感情に自分が振り回されるようだ。
「何度かあったのよ。」
留惟は遠い目をして、俺を見ていないように思える。
悔しい。思い出せない自分が。過去の俺は、一体何を……
泣き顔。何度か。微かに記憶が掠った。
「確かに、記憶にあるような気がする。雨の日、あれは下校中か。」
顔や出来事までは思い出せないけれど、確かに俺は見た。
「ねぇ、留惟。君は俺のどこを好きになってくれたの?」
すっきりしない思考を誤魔化すためじゃない。
自分の気持ち、心が問う。知りたいと願って。
「優しい所。その樋野くんの優しさが、皆に等しく同じで……そこに居ないかのような儚さに見えて、目が離せなくなったの。」
心に刺さる言葉。
「俺が本当は優しくないって事?」
「違うわ。上手く言えないけれど、本当のあなたは可愛いね。」
可愛い?初めて言われた。
それは褒め言葉?どう反応していいのか分からない。
そんな俺に、また彼女は笑う。
「自分の気持ちが揺れて、迷って良かった。遠目に見て感じたあなたに幻想を抱いただけなのかと思ったわ。」
嫌われていないのは分かる。それなら。
「思い出すから、留惟……いじめても良い?泣かせてみたいんだ、君を。」




