『その後1』
零れた涙を優しく拭って、縛っていた縄を解きながら鼻歌で、ご機嫌の清水くん。
放心状態で見つめる私に、爽やかな笑顔。
「篠崎は俺の事、好きだよね?」
「……。」
思わず絶句。
そんな私の態度に、彼は解いた縄を指で弄りながら、首を傾げて不思議そうな表情を見せる。
「好きだって、素直に言ってよ。」
素直に言えなくしているのは、清水くんの所為かもしれない。
頭の中は色々な事で一杯になる。主に不安要素。
「やだ。」
今、この小さな部屋で認める訳にはいかない。
何となく、彼の術中にはまっている気がするから。
どこからが彼の計算なのだろうか。いつから流され始めたのかな。松沢くんもグルなのだろうか。
「篠崎は好きでもない奴と、キス出来るんだ?」
痛いところを突いて来ましたね。流されたのは事実。
だって、傷ついた姿を見て拒絶とか、しないといけなかったけど。出来なかった。
優柔不断な私の態度も、清水くんの失敗に繋がる様な一因だったと言うか。
自分にも原因が少なからずあると、自責もあって反省とか諸々。
「ね、続きがしたいって言ったら、どうする?」
続きって、あの?『あんな事』の続き?
「篠崎、顔が真っ赤で可愛い。ね、お願い。聞きたいんだ、好きだと言って。」
これは、脅しじゃないのかな?
それなのに、清水くんは悪びれも無く笑顔で迫ってくる。
あぁ、せめて引いてくれたなら、冷静に考える時間もあったかもしれない。
「……好き。だけど、清水くんとは付き合えない。」
一番、自分に正直な言葉を真っ直ぐ伝えた。
「そっか、分かった。ありがとう、篠崎。」
さっぱりとした清水くんの言葉に、心は凍りついたように感じる。
なんて自分勝手なのだろう。
「分かってくれて、嬉しいよ。」
思ってもいない言葉。笑顔で言ったつもり
。「大丈夫、君の攻略法は見つけたから。じっくり行くね。」
彼は口元だけの笑みで、鋭い視線が突き刺さる。
それに安堵するなんて、私に逃れ道はないのかもしれない……
『松沢くんの恋』
放課後の教室。
委員長の仕事と言うよりも、先生から頼まれた雑用を黙々と片付けながら、ため息。
救いなのは、清水くんが生徒会の仕事で忙しくて、ここに居ない事だ。
「篠崎、まだ抵抗してるのか?」
作業の手を止めて目を上げると、松沢くんがニヤリ。
「ねぇ、清水くんからは、どんな風に報告を受けているの?」
彼の質問には答えず、自分の疑問をぶつけた。
「これと言って報告はないんだけどね。清水とは友達歴が長いから、機嫌とか態度とかで何となく?」
松沢くんは作業に戻って、私から視線を逸らした。
少しホッとする自分がいる。
「元はと言えば、松沢くんが……」
思わず言いそうになって、口を閉ざした。
誤魔化そうと次の書類に手を伸ばしたけれど、机の上には処理済みの山だけ。
逃げるのも疲れた。松沢くんなら、逃げる必要もないかな。
「私の弱みって、何?」
ずっと自分で考えていたけど、答えは出なかった。
清水くんに尋ねたとしても、教えてはくれないだろうし。
項垂れて、ため息を吐き出しながら、机に額を乗せた。
「優しいところでしょ。あいつ、そこに付け込んでるよね。」
清水くんの黒い笑顔が目に浮かぶ。
「松沢くんの恋は上手くいかないの?」
話題を逸らしても、現実からは逃げられないのだけど。
自分だけがさらけ出すのは不公平な気がする。
「うん?ふふっ……俺は清水の友達だぜ。好きになった相手を、そう簡単には逃がしてやらないよ。」
松沢くんの表情が気になって顔を上げると、彼は窓の外を見ていた。
読み取れるのは、寂しさかな。
松沢くんは私の観察に気づいたのか、視線を合わせて苦笑。
「で?清水とは、どこまでいったのかな。どこまで許してしまったのか、参考にしたい俺は、とても気になるね。」
そう、どこまで許してしまえるのか。私には分からない。
「教えないわ。だって松沢くんは相手の弱みに付け込んだり、清水くんと同じ方法で攻めたりしないと思うから。」
「ふうん。清水の事も、俺の事も良く見ているんだね。嫌いじゃないよ、そういうの。」
「うん、だけど……嫌いじゃないからと言って、私と付き合えないよね?」
お互いに見え透いたような笑顔で、沈黙。
何だか松沢くんは、清水くんより、私と同類な気がする。
私と清水くんの問題に、何か出来る事がないかと心配しながら、深くは入ってこない。
そんな彼に本命が誰なのかを、私が確かめるのは間違っていると思う。
だから、同じように話題を振るだけで留めるね。
「さてと、お送りしましょうか?それとも清水を待って、何か話をするのかな?」
「まだ明るいから、さっさと帰るわ。あなたは、どうするの?」
「俺も清水を待たずに帰るよ。今日は本命だけを想って夜空でも眺めるかな。」
きっと私も、今夜は松沢くんが言うように夜空を眺めるだろう。
私は荷物を持って席を立つ。
「じゃ、松沢くん。また明日。バイバイ。」
「あぁ、また明日。」
松沢くんは、また外を見つめて寂しそうな横顔を見せた。
どこか自分を見ているようで、辛くなる。
だけど本当に私と近い感情を抱いているのは、松沢くんの相手なのだと思う。
『あんな事』
自分の部屋を暗くし、窓から眺める夜空。
「好き。だけど、清水くんとは付き合えない。」
彼に告げた言葉を、小さな声で口にした。
窓にはうっすら、口から出た言葉とは裏腹な表情が見える。
窓に額を当て、込み上げるのは情けなさ。
今更、付き合って欲しいと言うことなど出来ない。付き合っている自分も想像できない。
感情の変化を、どう伝えれば良いのかさえ。
『篠崎は好きでもない奴と、キス出来るんだ?』
意地悪よね、そんな事をしないと分かっていて私を追い詰めるような言葉と視線。
あなたは私に、認めてしまえば楽になれると言いたいのかもしれないけれど。
唇に指2本を当てて、目をぎゅっと閉じ、あの時のキスを忘れようと擦った。
痛みと熱を感じるのに、頭に過るのは別の記憶。
無言で見つめて距離を縮めながら、目を閉じていく彼。
私は受け入れるように目を閉じた。軽い口づけ。
視線の合ったまま唇を重ねて。
聞こえる吐息。伝わる熱と、彼の優しい香りに包まれる様に身を委ね。
自分に圧し掛かる少しの重み。見下ろす彼の表情は、切ないような苦しみを伴っていた。
流されるまま。優しい手が私に触れていく。
拒絶もせず、逸らしていた目を向けて、気が付けば。
彼を抱き寄せている自分がいた。
我に返ったのは、下校を知らせる放送。
慌てて身を起こし、目に入った状況に唖然。
いつのまにか首元のリボンが解かれ、制服の上着は全開。
私は彼を押し退け、両腕で胸元を隠した。言葉は出ない。
彼は私の頬を両手で包み、視線を合わせて笑顔を見せる。
どん底へ突き落すような、彼の満面の笑み。
その場から走って逃げたのだけど、心は彼に囚われたままのような気がする。
込み上げるのは恥ずかしさと、後悔と、少し満ちるような気持ち。
私は彼を、どこまで許してしまえるのか。
付き合ってはいない状況で、私は何て不埒なのだろう。
目を開けると、窓の外は曇り、星を覆っていた。




