怪盗バロニスの悲劇
「マリア、夜のお散歩に出ないかい」
明るい笑顔で面倒事を持ってくる男は、たったひとりだけ。
「君ねぇ、さすがに部下とはいえ、当たり前のように毎朝毎晩こうも自由気ままに出入りされるとあたしも困るんだけど……」
まぁ、彼の城であるのだから彼の自由なのだけど、物申すことくらい許して欲しい。
「しかもそれ、あたしに拒否権はあるのかい? むさ苦しい近衛団たちと本気で戦いすぎてさすがに今日はあちこちが筋肉痛だよ」
行儀悪く椅子に乗せ、伸ばした両足に氷水を浸したタオルを巻き、あたしは手に持つ書籍を閉じた。
「できたら一緒に行ってほしいんだ」
「行く? どこに……」
ほら。ただの散歩じゃない。
まず結論だけ述べてにっこり笑うその姿は……絶対にただごとではない。
なんだかんだで今までの付き合い上、彼のことはだいたい理解できてしまうようになった自分自身がつらい。
「怪盗バロニスがコペック街に予告状を出したそうだ。見に行かないか」
「見に行くだって? 捕まえに行かないか……の間違いじゃないのか」
彼とあたしはずっとそうしてきた。
「今日俺は、心当たりのない悪臭問題で厨房はもちろん、あちこちから呼び出されて頭を下げたんだ」
「……結局脅そうっていうのかい?」
「そんなつもりはないんだけど」
この、ペテン師が。
「ルイ、あの怪盗はただものではないぞ」
何度も何度も敵として相対してきたが、動きを仕留めるどころかまったく手に終えず、気付いたころには彼の予告したものは跡形もなく姿を消していて、当の本人も逃がしてしまうという屈辱を味わっている。
「あの怪盗は奇妙だ」
追いかけるだけ無駄なことも知っている。
「あいつを前にすると、操られた道化師のような気持ちになる」
怪盗バロニスとは、通常の盗賊たちとは違い、手当たり次第に盗みを働くわけではなく、わざわざ予告状を出したうえで大胆不敵にシルクハットにタキシード、そして仮面……と、まるで仮面舞踏会にでも出席するのかと思えるほどわけのわからない格好をした人物がド派手に予告時間に現れるのだ。
盗むものはいつも変わっていて、疑問を持ちつつ追いかけた先には隠されたお宝が眠っていたり、盗難物の数々が隠されていたり、一番最悪だったのは誘拐された孤児たちが閉じ込められていたり……と驚くほど問題づくしなのである。
「あいつに導かれた先で、何度あたしはあの怪盗の尻拭いをしたことか……数えても数え切れないよ」
「いつもエクテスは大手柄だったからね」
「……簡単に言ってくれる」
予定外の相手と戦う身にもなって欲しい。
「しかもだな、ルイ、いつも君のいるときには現れないんだ。君はあたしの苦労を知らないからのんきにバロニス鑑賞のお誘いなんてできてしまうんだよ」
「たしかに、俺はやつに避けられている傾向にあるな」
「冗談じゃないよ。もう英雄気取りで問題解決はこりごりだ。あたしは静かに生きたいんだ。魔王討伐以外で余計なことは……」
「最近のバロニスは変なんだ」
「……あたしからしたらいつも変だよ」
ルイが声のトーンを落としたため、気にはなったけど、あの忌々しい存在を思い出して腸が煮えくり返りそうになった。
「紫色の毛糸や布、その他諸々が盗まれているんだ」
「………」
「今までそんな物を盗んだことはなかっただろう? 君はどう思う?」
どう思うって……本気で言っているのだろうか。絶句しそうになる。
先ほどまで開いていたメーガンおすすめのベッタベタな王道ラブストーリーが描かれた作品を思わず落としてしまいそうになった。
胸糞悪いほどくっさい台詞を永遠と述べる薄紫色の瞳を持つ激甘王子が登場する、今王宮で最も読まれているという恋愛小説だそうだ。
なんだかその特徴を持つ人間を知っている気がして、頭が痛くなる。
「ルイ、これを読んだことがあるかい?」
「? ないけど、これに何かヒントがあると言うのかい?」
差し出した一冊を手に、首を傾けるルイ。
「妹の愛読書でご令嬢たちに大人気の作品と聞いている。せっかくだからと君の部屋にも置いておいたのだけど、気に食わなかった?」
「……ああ、一度これがあたしが読むべき作品かどうか、自身の目で見てみるといい」
年に一度行われる聖夜祭というお祭りで、意中の相手の目の色の何かを身につけるのだったか本人に贈るのだったか……その恋が実るというジンクスがあるらしく、作中にもその描写はあったし、そのイベントならあたしのいた街でも持ちきりの話題だった。
冬に向け、そろそろ乙女たちが準備のために、それぞれの想い人を連想させる色合いを求めて動き始める頃だろう。
「大方、これから最も需要の高そうな色合いを品薄にして、希少価値でも高めたいんじゃないか」
「おお、さすがマリア! 染物屋の娘だけあるね。そんな事は考えたことがなかったな」
そうさ。
この世で最もみんなが憧れる色。
その瞳を持つ男は、あたしを映してゆっくり目を細めたのだった。




